1.エルサレム包囲の中で
・イザヤ書を読んでおります。今日の箇所はイザヤ37章ですが、イザヤ書36章~39章の記事は列王記下18章~20章とかなり重複しています。そのため、今日は、列王記の記事も参照しながら、イザヤ37章を読んでいきます。37章にあるのは紀元前701年にユダがアッシリアの攻撃を受けた時の記事です。物語は36章から始まり、時の王はヒゼキヤでした(36:1)。世界制覇を目論むアッシリアはパレスチナ諸国を軍事占領し、今はエルサレムを大軍で包囲して無条件降伏を求めています。アッシリアの将軍は言います「ヒゼキヤが、『主は我々を救い出してくださる』と言っても、惑わされるな。諸国の神々は、それぞれ自分の地をアッシリア王の手から救い出すことができたであろうか。ハマトやアルパドの神々はどこに行ったのか。セファルワイムの神々はどこに行ったのか。サマリアを私の手から救い出した神があっただろうか。これらの国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国を私の手から救い出したか。それでも主はエルサレムを私の手から救い出すと言うのか」(36:18-20)。「神に依り頼んでも無駄だ」とアッシリア王は自らの力を誇りました。ヒゼキヤはこの屈辱をイザヤに訴えます。「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない。生ける神をののしるために、その主君アッシリアの王によって遣わされて来たラブ・シャケのすべての言葉を、あなたの神、主は恐らく聞かれたことであろう。あなたの神、主はお聞きになったその言葉をとがめられるであろう」(37:3-4)。 (続き…)