説教書庫
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2019-07-28T13:55:07+09:00
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2019年7月28日説教(創世記40:1-23、忍耐の時を超えて)
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2019-07-28T08:06:23+09:00
28.創世記
2019年7月28日説教(創世記40:1-23、忍耐の時を超えて)
1.監獄でのヨセフ
・創世記からヨセフ物語を読み続けています。ヨセフは族長ヤコブの息子として生まれましたが、11番目の子であるにもかかわらず相続権を与えられ、それを妬んだ兄弟によりエジプトに奴隷として売られます。ヨセフが売られた先は、エジプト王の侍従長ポティファルの家でした。ヨセフは勤勉に働き、主人の信任も得ましたが、ヨセフが主人の妻の性的誘いを断った故に、無実の罪で告発され、投獄されます。その投獄先は「王の囚人をつなぐ監獄」(39:20)でした。私たちは物語の結末を知っていますから、出来事の意味(将来起こること)を理解できます。この投獄を通して、異邦人奴隷にすぎないヨセフがエジプト王の前に出る道が開かれて行くのです。しかし当のヨセフには未来はわかりません。その中で、ヨセフは主なる神の導きを信じ、監獄の中でも自分のやるべきことを忠実に果たしていきます。その結果、「監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手に委ね、獄中の人のすることは全てヨセフが取りしきるように」なります(39:21-22)。
・物語は進展します。ヨセフが投獄されて1年が過ぎた時、ヨセフのいる監獄に、エジプト王の役人二人が投獄されてきました。「エジプト王の給仕役と料理役が主君であるエジプト王に過ちを犯した。ファラオは怒って、この二人の宮廷の役人、給仕役の長と料理役の長を、侍従長の家にある牢獄、つまりヨセフがつながれている監獄に引き渡した。侍従長は彼らをヨセフに預け、身辺の世話をさせた」(40:1-4a)。二人は獄中で不思議な夢を見ますが、夢の意味が分からず、ふさぎ込んでいます(40:4b-6)。現代においては、夢は無意識下に抑圧されていた過去の再体験であるとか(フロイト派)、無意識下における世界のリアリティー(ユング派)とか言われますが、古代において夢は「神の未来への啓示」とされ、夢の解釈は大事な仕事でした。ヨセフは二人に「解き明かしは神がなされる」と語り(40:7-8)、夢の内容を話すように勧めます。
2.夢を解くヨセフ
・給仕役は自分の見た夢をヨセフに話します。「私が夢を見ていると、一本のぶどうの木が目の前に現れたのです。そのぶどうの木には三本のつるがありました。それがみるみるうちに芽を出したかと思うと、すぐに花が咲き、ふさふさとしたぶどうが熟しました。ファラオの杯を手にしていた私は、そのぶどうを取って、ファラオの杯に搾り、その杯をファラオに捧げました」(40:9-11)。ヨセフは、その夢は「あなたが三日後に許されて復職する」ことを示すと夢を解きます。「三本のつるは三日です。三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて、元の職務に復帰させて下さいます。あなたは以前、給仕役であった時のように、ファラオに杯を捧げる役目をするようになります」(40:12-13)。そしてヨセフは給仕役に、「解放されたら自分のことを思い出し、牢から出してほしい」と頼みます(40:14-15)。
・他方、料理役もその夢を語ります。「私も夢を見ていると、編んだ籠が三個私の頭の上にありました。いちばん上の籠には、料理役がファラオのために調えたいろいろな料理が入っていましたが、鳥が私の頭の上の籠からそれを食べているのです」。ヨセフはその夢解きをします「その解き明かしはこうです。三個の籠は三日です。三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて切り離し、あなたを木にかけます。そして、鳥があなたの肉をついばみます」(40:16-19)。
・二人の夢はその通りになり、給仕役は釈放され、料理役は処刑されました。「三日目はファラオの誕生日であったので、ファラオは家来たちを皆、招いて、祝宴を催した。そして、家来たちの居並ぶところで例の給仕役の長の頭と料理役の長の頭を上げて調べた。ファラオは給仕役の長を給仕の職に復帰させたので、彼はファラオに杯を捧げる役目をするようになったが、料理役の長は、ヨセフが解き明かした通り、木にかけられた」(40:20-22)。しかし給仕役の長は、夢を解いてくれたヨセフのことを思い出さず、忘れてしまい、ヨセフは牢獄に残されたままです(40:23)。
・給仕役がヨセフのことを思い出したのは、それから2年後、王が夢に悩まされた時でした。「二年の後、ファラオは夢を見た・・・朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。その時、例の給仕役の長がファラオに申し出た『私は、今日になって自分の過ちを思い出しました。かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄に私と料理役の長を入れられた時、同じ夜に、私たちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、私たちの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。そしてまさしく、解き明かした通りになりました』」(41:1-13)。こうしてヨセフはファラオの前に出る機会を与えられ、新しい物語が始まります。
3.未来は誰の手にあるのか
・現代人は「未来は自分たちの手の中にあり、努力と選択によって形成される」と考えていますが、聖書は私たちには未来の選択権はなく、それは神にあると語ります。なぜなら私たちは自分の寿命さえも支配できない存在だからです。今日の招詞にマタイ6:33-34を選びました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。ヨセフは夢を解きましたが、夢は神が与えられる啓示であり、その解き明かしは神がされると理解しています。そして夢解きにより給仕役を助けたのに、給仕役は忘れて、ヨセフは更に2年間を獄中で過ごします。つらい日々でした。神に対する信仰が揺らぐような日々であったと思われます。
・しかし、その忍耐が彼の人格を磨き、視野を広げました。私たちもまた、「時が満ちる」まで待たなければいけない時があります。今日、一人の姉妹に証しをいただきました。姉妹は隣居する姑の介護を一人でせざるを得ない状況下に追い込まれました。彼女は話されました「介護の現場は、想像を絶する想定外の枠を超えた惨状が目の前に繰り広げられます。隣のマンションに住んでいたのですが、毎朝5時にドアを開ける時部屋の中がどうなっているのかを考えると心臓が飛び出しそうな動悸でした。このまま破裂して死ねたらどんなに楽だろうと思うようになりました。私は、どうにもならない・誰にも言えない・言ってはいけない・我慢しなければならない思いを、『毒吐きノ-ト』というタイトルをつけたノ-トに殴り書きをしてどうにか平常心を保っていました」。
・彼女は苦しさの中で10年間行っていなかった教会を再訪し、祈祷会で牧師に「毒吐きノ-ト」の話をしたところ、牧師から「自分を守る最良の方法です。そういうノ-トを書く事はいいことなのです。最初に『神さま、あのね』と書いて下さい。そうするとそれは、神さまへの今日1日の報告になりますから」との言葉をもらい、新しい光を見出しました。1カ月後に姑は亡くなり、姉妹は1年間の介護の牢獄から解放されます。姉妹もまた先の見えない監獄に閉じ込められたヨセフの体験をし、時が来て、ヨセフのように解放されたのです。ヨセフはもし投獄されなければエジプト王の前に出ることはなかった。その意味で投獄が救いの一歩でした。姉妹も介護の苦役がなければ教会に戻らず、神学校に行くこともなかった。不思議な神の摂理です。
・先が見えない時、私たちはどうすべきか。「信仰的に開き直る」ことです。テモテ書は語ります「私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行くことができない。食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです」(第一テモテ6:7-8)。今を生かされている、それがどのような環境であっても良いではないか。毒吐きノ-トも「神様、あのね」をつければ、立派な祈りの言葉になる。そして神は私たちの苦しみ、悩みを聞いて下さる。いつの日か、苦難の時が終わり、希望がかなえられる日が来る。イエスは語られました「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」、何故ならば、「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じだから」(マタイ6:32)。神がご存じであれば、それで十分ではないか。ヨセフはそれを信じた故に、牢獄での失望の連続の日々を超えて、やがて来る栄光を見ることが出来た。証しをして下さった姉妹はそれを信じ、介護という牢獄の日々を乗り越え、今神学校で学ぶ時を持たれています。「信仰的開き直り」が二人の方を救った。それは過去において私たちにも起こったし、将来において皆さんにも起こる素晴らしい未来です。
admin
2019年7月21日説教(創世記39:1-23、主が共におられた)
http://shinozaki-bap.jpn.org/modules/wordpress/index.php?p=954
2019-07-21T13:36:49+09:00
2019-07-21T08:00:17+09:00
28.創世記
2019年7月21日説教(創世記39:1-23、主が共におられた)
1.エジプトに売られたヨセフ
・ヨセフ物語を読み続けています。ヨセフの父ヤコブはヨセフを偏愛し、ヨセフには兄たちと違う特別の着物を着せ、羊飼いの仕事をさせないで手元に置いて、秘書の仕事をさせていました。父親の偏愛を受けたヨセフは次第に兄たちを見下すようになり、兄たちはヨセフを憎み、商人たちに売り渡し、ヨセフはエジプトに奴隷として売られて行きます。その売られた先は、エジプト王の侍従長ポティファルの家でした(新聖書協会訳“親衛隊長”)。「主が共におられたので、ヨセフはポティファルの信頼を得た」と創世記は語ります。「ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトへ連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた」(39:1-4)。ヨセフはポティパルの家で10年間働き、17歳の青白い少年が今や20代の堂々の青年になっています。
・ヨセフはその能力と忠実さによって主人の信頼を得て、家令(財産管理人)に任じられました。彼は奴隷ではあっても安定した生活に満足しています。そこに思わぬ出来事が起こります。主人の妻が美貌のヨセフに思いをかけて来たのです。「主人は全財産をヨセフの手に委ねてしまい、自分が食べるもの以外は全く気を遣わなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。『私の床に入りなさい』」(39:5-7)。しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に語ります。「ご存じのように、御主人は私を側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべて私の手に委ねてくださいました。この家では、私の上に立つ者はいませんから、私の意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。私は、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」(37:8-9)。
・主人の妻はそれでも毎日ヨセフに言い寄り、あるとき強引にヨセフに関係を迫り、ヨセフは彼女の手に着物を残して逃げます。「彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。こうして、ある日、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、家の者が一人も家の中にいなかったので、彼女はヨセフの着物をつかんで言った。『私の床に入りなさい』。ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た」(39:10-12)。
・主人の妻にとってヨセフと寝ることは快楽の追求でした。しかし、ヨセフにとってそれは命にかかわる出来事、破滅への道でした。ヨセフは彼女から逃げます。拒絶された妻は腹いせにヨセフを告発し(39:13-18)、怒った主人はヨセフを投獄します「『あなたの奴隷が私にこんなことをしたのです』と訴える妻の言葉を聞いて、主人は怒り、ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた。ヨセフはこうして、監獄にいた」(39:19-20)。この事件を通してヨセフはイスラエルの知恵の言葉を思い起こしたでしょう。「彼女の美しさを心に慕うな。そのまなざしのとりこになるな。遊女への支払いは一塊のパン程度だが、人妻は貴い命を要求する」(箴言6:25-26)、「彼女(人妻)の家は陰府への道、死の部屋へ下る」(箴言7:27)。「人妻は貴い命を要求する」、姦淫は人と人の関係を破壊する毒なのです。
2.主が共におられた
・ヨセフは不当な姦淫の誘いを断った故に投獄されますが、創世記39章は37章と連続しており、間に38章が挿入されています。38章はヨセフの兄弟ユダが嫁のタマルと過ちを犯し、その結果嫁タマルの妊娠を通して子が生まれるという姦淫の物語です。何故直接的にはヨセフ物語と関係しないユダ物語がここに唐突に挿入されているのでしょうか。多くの注解者は、ヨセフの兄ユダは姦淫の罪を犯したが、弟ヨセフはそれを拒否した、その対比を見よと創世記編集者が語っていると理解します。だから38章もまた大事なヨセフ物語の一部なのです。そして後代の私たちは、この創世記38章の出来事がマタイによってイエスの系図の中に挿入され、タマルの生んだペレツがイエスの系図を構成している事実を知ります(マタイ1:3)。私たちの信じる神は姦淫の罪を犯さざるを得なかったユダとタマルの弱さを赦し、タマルの子をダビデの祖先の一人に、そして神の子イエスの系図に入れて下さった。創世記38章に福音が隠されています。
・そして姦淫を拒否した故に獄に入れられるヨセフがその苦難を通して、新しい希望を見出す物語が39章後半から展開していきます。別の福音の物語がここから始まります。主人ポティファルはヨセフを投獄しましたが、その投獄された先は王の囚人をつなぐ獄舎であり、そのことが、ヨセフが王の側近と知り合い、エジプト王に仕える契機となります。しかし投獄されたヨセフには先のことは見えません。ただ創世記は監獄の中でも主はヨセフと共におられたため、看守長もヨセフを信頼して全てを任せるようになったと記します。「主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手に委ね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。監守長は、ヨセフの手に委ねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである」(39:21-23)。
・創世記39章には「主が共におられた」という言葉が5回も出て来ます(2,3,5,21,23節)。全ての出来事を「主の導き」と信じる時に、出来事の意味が見えてきます。詩篇105は歌います「主はこの地に飢饉を呼び、パンの備えをことごとく絶やされたが、あらかじめ一人の人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ、首に鉄の枷をはめることを許された。主の仰せが彼を火で練り清め、御言葉が実現する時まで」(詩編105:16-19)。「御言葉が実現する時まで」、ヨセフは「首に鉄の枷をはめられ」、「火で練り清められ」ます。
3.神の経綸に従う
・ヨセフは主人の妻から言いがかりをつけられた時も、無言で主人の妻の罪を自ら担います。神の摂理を信じる者は未来を神に委ねて生きることが出来るゆえに、苦難の中でも平静です。今日の招詞に詩編119:71-72を選びました。次のような言葉です「卑しめられたのは私のために良いことでした。私はあなたの掟を学ぶようになりました。あなたの口から出る律法は私にとって、幾千の金銀にまさる恵みです」。ヨセフの獄中生活は3年間にも及びました(41:1)。無実の罪での3年間の投獄は長い。ヨセフの気持ちの中では希望と失望が交互していたであろうと思えます。
・それに対して創世記注解者リュティは語ります「バプテスマのヨハネは荒野で生活し、ヘロデ王の城内にある地下牢で処刑されます。パウロは多くの刑罰を受けながらも福音伝道を続け、最後はローマで処刑されました。神は十字架上から『わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか』と叫ばれた御子イエスを十字架に残されました。しかし神はそこにおられました・・・艱難、災難、失望、欠乏は神が我々と共におられることへの反証ではない。むしろ、神が我々と共におられることの証拠です」(ヴァルター・リュティ「創世記講解25-50章」223p)。
・与えられた出来事を災いと思う時、その出来事は人の心を苦しめます。しかし出来事を神の摂理と理解した時、新しい道が開けます。ヨセフは不当な罪で投獄されましたが、その投獄された先は王の囚人をつなぐ獄舎で、この投獄がやがてヨセフが王の側近と知り合い、エジプト王に仕える契機となります。その時のヨセフには先は見えませんでしたが、主の導きを信じて待ちました。
・今日の招詞、詩編119編はバビロン捕囚時の詩と言われています。イスラエルの民は、エルサレムが占領され、信仰の中心だった神殿も破壊され、自分たちも遠いバビロンに連れ去られた時、神の導きが分からなかった。捕囚は七十年にも及んだため、「主よ、何故、私たちをこのように苦しめるのですか」と嘆いて、死んで行った人も多かった。しかし、この70年の試練を経て、イスラエル人は神の民として自立していきます。旧約聖書が編集され、ユダヤ教が宗教として成立したのも、捕囚の時代でした。イスラエル人を捕囚したバビロン人は滅び、バビロンを滅ぼしたペルシャ人も滅び、そのペルシャを制圧したローマ人も滅びましたが、ユダヤの民は今日でも民族として残り、その時代に編集された旧約聖書は、今なお読み続けられ、人々に生きる力を与え続けています。
・「卑しめられたのは私のために良いことでした。私はあなたの掟を学ぶようになりました」と詩編作者は歌いました。人は卑しめられなければ、底の底まで落ちなければ、神を求めない存在なのです。地獄を経験した故に、ヨセフは兄弟たちに語ることが出来ました「今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです・・・私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」(45:4-8)。この言葉をヨセフが言えたのは、途上において様々な試練があったからです。「御言葉が実現する時まで」、「首に鉄の枷をはめられ」、「火で練り清められた」からです。リュティが語るように、「艱難、災難、失望、欠乏は神が我々と共におられることの証拠」なのです。これを知らされた者は幸いです。
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2019年7月14日説教(創世記37:12-36、不和を和解へと導かれる神)
http://shinozaki-bap.jpn.org/modules/wordpress/index.php?p=952
2019-07-14T14:31:09+09:00
2019-07-14T08:05:52+09:00
28.創世記
2019年7月14日説教(創世記37:12-36、不和を和解へと導かれる神)
1.兄弟たちの嫉妬が悲劇の引き金となる
・創世記からヨセフ物語を読んでいます。その始まりである創世記37章の主題は、「兄弟の不和」です。ヤコブは12人の子供を持ちましたが、最愛の妻ラケルの子であるヨセフを偏愛し、他の兄弟と区別しました。そのことが兄弟間に不和を生みます。「イスラエル(ヤコブ)は、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった」(37:3)。「長い晴れ着」とは王侯貴族のみが着ることを許された特別の着物で、それを与えられたことは、11番目の息子であるヨセフを、他の兄たちを差し置いて、相続人にすることを意味しています。兄弟たちは当然面白くない、兄たちは「ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」(37:4)とあります。
・偏愛されて高慢になったヨセフは「兄弟たちが自分を拝礼する夢を見た」と語り、兄たちのさらなる怒りを買います(37:8)。ヨセフはさらに、「両親さえ彼を拝む夢を見た」と語り(37:9)、兄たちばかりか、ヤコブさえも不愉快になります。兄たちはさらにヨセフを憎みました。ここに家族の不和をもたらす三つの出来事が起こりました。親の特定の子への偏愛、偏愛された子の高慢、不公平を強いられた兄たちの嫉妬です。この三つが重なり合い、物語を新しい局面へと導きます。37章には神の言葉は何も記されていません。そこにあるのは、「夢見る人ヨセフ」の姿です。創世記では、夢は神が与えた使信であり、新しい局面は神の偉大な救済計画の導入となります。しかし、渦中にいる人間には神の計画は見えません。
2.エジプトに奴隷として売られるヨセフ
・ヨセフは父に命じられて、兄たちが羊を飼うシケムの地を訪問します。創世記は記します「兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていた時、イスラエルはヨセフに言った『兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが・・・兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか』」(37:12-14)。シケムにいた兄たちは遠くからヨセフが長い晴れ着を着てくるのを見た時、日ごろからの憎しみが殺意にまで高まります。彼らはヨセフを殺してしまおうと相談します。「兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、相談した『おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう』」(37:18-20)。
・最年長のルベンは弟を殺すことに反対します「ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った『命まで取るのはよそう』。ルベンは続けて言った『血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない』」(37:21-22a)。創世記は「ルベンは、ヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったのである」(38:22b)と記します。兄弟たちはヨセフを捕らえて着物をはぎとり、穴の中に投げ込みました。「兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった」(37:23-24)。からの井戸だったのでしょう。もう一人の兄ユダもヨセフを殺すことに反対します「ユダは兄弟たちに言った。『弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから』。兄弟たちは、これを聞き入れた」(37:26-27)。ルベンやユダの言葉の中に、働きかけられる神の姿があります。こうしてヨセフはエジプトに奴隷として売られることになります。
・兄たちは雄山羊の血を着物に浸し、ヨセフは獣に食われて死んだと父に報告します。「兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、『これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください』と言わせた」(37:31-32)。父ヤコブは、最愛の子が死んだと聞かされ、晴れ着の血を見せられて、嘆きます。「父は、それを調べて言った『あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ』。ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ」(37:33-34)。
・ドイツのノーベル賞作家トーマス・マンは「ヨセフとその兄弟」という長編小説を書いています。創世記のヨセフ物語を基盤にした作品で、「ヤコブ物語」(1933年)、「若いヨセフ」(1934年)、「エジプトのヨセフ」(1936年)、「養う人ヨセフ」(1943年)の4部からなります。物語は1926年から1943年まで足かけ18年にわたって書かれ、邦訳で2000ページを超える大長編です。背景にはナチス・ドイツによるユダヤ人迫害があります。ナチスは、旧約聖書はイエスを殺したユダヤ人の聖典であり、教会で旧約聖書を読むことを禁じました。違反して旧約聖書を語った牧師や神父は強制収容所につながれ、5000人以上が殺されたと言われています。そのような時代にドイツから追放された亡命者であるトーマス・マンが旧約聖書を題材とした長編小説を書き始めたのです。最初の「ヤコブ物語」が完成したのは1933年、ナチスが政権を握った年です。彼は語ります「ユダヤ人を題材とする小説を書くのは、反時代的であるゆえにまさに時代的である」(森川俊夫「ヨセフと兄弟たち」、巻末解説より)。そして最後の「養う人ヨセフ」が書かれたのは1943年、第二次大戦でドイツの敗色が明白になっていた年です。トーマス・マンは自由を圧殺し、聖書の民を抹殺しようとするナチス・ドイツに抵抗するためにこの物語を書いたのです。
3.この物語が意味するもの
・今日の招詞に創世記50:19-20を選びました。ヨセフ物語の最終部分です。「ヨセフは兄たちに言った『恐れることはありません。私が神に代わることができましょうか。あなたがたは私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです』」。イスラエル民族がエジプトに来たのは、紀元前17世紀のヒクソス(ギリシャ語=異国の地の支配者)王朝の頃といわれています。異邦人王朝だったからこそ、異邦人のヨセフを取り立て、その家族の定住も許しました。ヤコブは子供たちに囲まれ、祝福の内に死んでいきました。兄弟たちは父ヤコブが死んだ後、ヨセフが自分たちに復讐するのではないかと恐れ、ヨセフの前に出て赦しを請います。その兄弟たちに語られた言葉が今日の招詞の言葉です。
・「あなたがたは私に悪をたくらみました」、この「たくらむ」と言う言葉はヘブル語の「カシャブ」であり、「神はそれを善に変え」、この「変え」も同じ「カシャブ」という言葉です。「あなたたちは私をエジプトに売るという悪を企んだが(カシャブしたが)、神はあなたたちの悪を多くの民の救いという善に計られた(カシャブされた)。神がそうされたことを知った以上、あなたたちに報復するという悪を私が出来ようか」とヨセフは言ったのです。ヨセフは神の導きを信じるゆえに兄弟たちを赦しました。そのことによってイスラエル民族はエジプトに住み、増え、一つの国民を形成するまでになりました。もし、ヨセフが神を信じず、感情のままに兄弟たちに報復していたならば、イスラエル民族は存続しなかった。悪を行うのは人間ですが、その悪の中にも神の導きがあることを信じる時、その悪は善に変わるのです。
・聖書学者北森嘉蔵は語ります「聖書は人間の罪が悪をもたらすことを明言する。しかしこの悪が神によって善に変えられていく。それが信じるのが聖書の信仰である」(北森嘉蔵「創世記講話」P308-311)。ヨセフ物語が私たちに示しますのはこの摂理の信仰です。「ヨセフとその兄弟」という長編小説を書いたトーマス・マンは物語の最後を締めくくります「かくして終わりを告げるのである。ヨセフとその兄弟たちについての、この美しい物語にして神の発意は」。翻訳者小塩節は述べます「神の発意による、神の計画による物語が、人間トーマス・マンによって語られる。ナチスがどのような暴虐を行おうとも、創造の世界は確固としてある。旧約聖書の事実としてある。それを20世紀の困難な世に現実に生きている人間が再度物語ることによって、命を吹き込む。こうして二つの世界(人間の生きるこの世界と神によって語られるあるべき世界)が一つになる」。どのような時代の中にあっても神は語っておられる、その語りを私は聞いた、だからあなた方に語るとトーマス・マンはいいます(小塩節「トーマス・マンとドイツの時代」)。
・2001年9月11日にニューヨークへの自爆テロで3000人が殺された時、神はそこにおられました。報復で行われたアフガニスタンへの空爆で幼い子供達が死んでいった時も、アメリカ人とイラク人が殺しあうイラクの地にも神はおられました。無差別テロにより3000人が殺されたアメリカは、報復でアフガン・イラクを攻め、その結果、米軍死者は6000人を超え、数十万人の戦争後遺症に悩む自国民を抱えました。さらにアフガン・イラクでは10万人を超える現地の人々も戦争で亡くなりました。3千人の報復のために数十万人が死ぬ、人は愚かです。私たちが神は悪を善に変える力をお持ちであることを信じるゆえに、世界は変わりうると信じます。この歴史の教訓をいかに生かすかが私たちに与えられた宿題です。ヨセフは神の導きを信じて兄弟たちを赦し、そのことによってイスラエル民族はエジプトに住み、増え、一つの国民を形成するまでになりました。悪を行うのは人間です。しかし、その悪の中にも神の導きがあることを信じる時、その悪は善に変わりうる。私たちはそれを信じることを許されているのです。箴言は語ります「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」(箴言16:9、口語訳)。
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2019年7月7日説教(創世記37:1-11、神の摂理)
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2019-07-07T12:56:03+09:00
2019-07-07T08:12:33+09:00
28.創世記
2019年7月7日説教(創世記37:1-11、神の摂理)
1.ヨセフ物語の始まり
・今日から創世記・ヨセフ物語を読んでいきます。アブラハム・イサク・ヤコブと族長の時代が続き、ヨセフはヤコブの子、アブラハムから4代目です。ヨセフ物語は創世記37章から始まります。イスラエル(神と格闘する者)とも呼ばれたヤコブはメソポタミヤでの苛酷な20年間を終えて、故郷カナンに戻ってきました。ヤコブはメソポタミヤで二人の妻が与えられ、最初の妻レアは6人の子を産み、二人のそばめから4人の子が、最愛の妻ラケルからヨセフとベニヤミンが生まれます。この十二人の子がやがてイスラエル十二部族を形成します。妻ラケルは、ヨセフを生み、その後ベニヤミンを生んだ後、お産が原因で亡くなります(35:16-18)。
・妻に死なれたヤコブは愛するラケルから生まれた二人の子たちを、特にヨセフをかわいがりました。ヨセフには兄たちと違う特別の着物を着せ、羊飼いの仕事をさせないで手元に置いて、秘書の仕事をさせていました。父親の偏愛を受けたヨセフは次第に兄たちを見下すようになり、そのため、兄たちはヨセフを憎むようになります(37:4)。この憎しみがやがて兄たちに、ヨセフを殺そうとする気持ちを生ませます。
・その次第を創世記は記します「ヨセフは十七歳の時、兄たちと羊の群れを飼っていた。まだ若く、父の側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」(37:1-4)。「裾の長い晴れ着」、王侯貴族たちが着る着物であり、ヤコブはヨセフを「11番目の子供であるにもかかわらず、その相続者とした」ことを暗示しています。
・偏愛されて高慢になったヨセフは、「兄弟たちが自分を拝礼する夢を見た」と語り、兄弟たちの怒りをかいます。創世記は記します「ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。ヨセフは言った『聞いてください。私はこんな夢を見ました。畑で私たちが束を結わえていると、いきなり私の束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、私の束にひれ伏しました』。兄たちはヨセフに言った『何、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか』。兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ」(37:5-8)。ヨセフ物語では夢が大きな役割を担います。「兄たちの束が周りに集まって来て私を拝む」、兄弟たちは「ヨセフが自分たちの支配者になろうとしている」と理解してヨセフを憎みます。
・ヨセフはさらに、「両親さえ彼を拝む夢を見た」と語り、兄弟ばかりか、ヤコブさえも不愉快にさせます。「ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄たちに話した『私はまた夢を見ました。太陽と月と十一の星が私にひれ伏しているのです』。今度は兄たちだけでなく、父にも話した。父はヨセフを叱って言った『一体どういうことだ、お前が見たその夢は。私もお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか』。兄たちはヨセフを妬んだが、父はこのことを心に留めた」(7:9-11)。「父はこのことを心に留めた」、古代においては「夢は神からの、語りかけ、また預言である」と受け止められていました。
2.その後のヨセフ
・37章1-11節には、家族に不和をもたらす三つの要素が盛り込まれています。「親の特定の子への偏愛」、そして「偏愛された子の高慢」、「不公平を強いられた兄弟たちの嫉妬」です。この三つが重なり合い、物語を悲劇へと導いていきます。物語の意味を考えるために、その後の展開を見ていきます。ある時、ヨセフは父の使いで、兄たちが羊を飼う地まで行きますが、兄たちはヨセフを殺してしまおうと謀ります。たださすがに反対する者も出て、ヨセフはエジプトに奴隷として売られることになります。兄たちは雄山羊の血をヨセフの着物に浸し、弟は獣に食われて死んだと父ヤコブに報告します(37:33-34)。こうしてヨセフはエジプトに売られて行きます。
・エジプトに連れて来られたヨセフは、ファラオの宮廷の侍従長ポテパルに奴隷として売られます。父親に大事にされて育ったヨセフが一転して、奴隷として苛酷な労働を課せられるようになります。しかし、ヨセフはそのことを嘆きません。エジプトへの旅の間に、兄たちが自分を憎んで殺そうとしたのは自分の傲慢さのためであったことを知り、彼の傲慢が砕かれ、試練が生意気盛りの少年を信仰の人に変えていきます。39章では、短い数節の間に、「主が共におられた」という言葉が繰り返し出てきます。失意のヨセフですが、「主が共におられた」ので、逆境の中でも彼は成功者になっていきます。
・しかしその後、ヨセフは言いがかりで告発され、投獄されますが、逆境の中にあっても不平を言うことなく、与えられた職務を誠実に為していくヨセフの態度が監守長の信用をもたらします(39:21-22)。そのヨセフのいる獄に、エジプト王の給仕役と料理役の二人が、王の怒りに触れて投獄されてきます。何日か経ち、二人は夢を見て、ヨセフがその夢解きをしました。給仕役の夢は3日後に釈放されるという夢であり、料理役の夢は3日後に木にかけて処刑されるという夢でした。二人は夢の通りになり、給仕役は釈放されますが、ヨセフのことを忘れ、彼は牢獄に残されたままです。しかし、ヨセフは給仕役の忘恩を恨みません。全てが神の導きと知る人は、静かに事態の改善を待ちます。
・それから2年が経ち、エジプト王ファラオは夢を二度見ました。第一の夢では7頭のやせた牛が肥えた7頭の牛を食い尽くし、第二の夢ではしおれた7つの穂が肥えた7つの穂を呑み込みます。ファラオは心騒ぎ、国中の魔術師や賢者を呼び集めますが、誰もファラオを納得させる夢解きをする者はいません。その時、給仕役の長がかつて自分の夢解きをしてくれたヨセフのことを思い出し、ファラオに推薦することから、ヨセフの出番になりました。こうしてヨセフがエジプト王のもとに呼び出され、ヨセフは王の夢解きをします「今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。しかし、その後に七年間、飢饉が続き、この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう」(41:25-31)。
・ヨセフは対応策も語ります「豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう」(41:34-36)。ヨセフの夢解きとその対応策はファラオの心を動かし、ヨセフは大臣に登用され、政策が実行に移されるようになります。
・7年後、預言通り飢饉が起こりますが、準備の出来ていたエジプトは飢饉で困ることはなく、食糧の乏しい周辺諸国の民を養い、カナンにいたヤコブ一族も食糧を求めてエジプトに下ってきます。ヨセフの前に兄弟たちが跪いて拝みます。かつての夢(「兄弟たちが自分を拝礼する夢を見た」)が真実の預言であったことがここで明らかになります。一族を迎えたヨセフは兄たちに語ります「神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」(45:7-8)。「私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」、ここに神の摂理を信じる者の信仰が表明されています。
・近代西洋では啓蒙思想の台頭により、夢の解釈などは迷信として排斥されるようになり、歴史の表舞台から姿を消しましたが、その夢がふたたび注目され、人間の心の隠れた側面を表しているものとして科学的に研究されたのは20世紀のジグムント・フロイトに始まります(1900年「夢判断」)。フロイトはオーストリヤ生れのユダヤ人でしたが、後にナチス・ドイツに追われてイギリスに亡命しています。彼は「夢判断」の中で、オーストリヤからイギリスへの移住をヨセフの旅(カナンからエジプトへ)と比較しています(ロベール「フロイトのユダヤ人意識」)。聖書の物語は、それが自分の物語と思う時、特別な意味を持つようになります。
3.神の摂理
・今日の招詞にヘブル12:11-12を選びました。「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」。ヨセフは奴隷として売られた時も、無実の罪によって投獄された時も、給仕役が恩を忘れて出獄の機会を失った時も、一言も怨みや不平を言わず、焦りもしませんでした。いつまで逆境が続くのか分からない状態の中で、彼は「主が共にいて下さる」ことを信じ、与えられた境遇の中でなすべき最善を尽くしました。その生き方が彼の道を開いて行きました。
・ヨセフがエジプトに奴隷として売られた時は17歳でした。エジプトに売られ、奴隷の身に落とされることによって、彼は初めて神を信じる者になりました。エジプトで投獄されたことは辛い人生の転機でしたが、投獄されなければ、王の給仕役と知り合うこともなく、王の前に出ることもなかった。そこに働く「くしき業を見よ」と創世記記者は語ります。普通の人はただ目に見える現実だけを見つめて嘆きます。しかし神の摂理を信じる者にとって、苦難こそが神の祝福の第一歩なのです。まさに「鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」(ヘブル12:11)。
・神に委ねる生き方をする者は神の祝福を受けます。その祝福とは自分の使命を見出すことです。ヨセフはエジプトの宰相にまで登りましたが、それはやがて来る飢饉と一族受け入れの準備のためでした。生かされていない人生、主が共におられない人生は、この世的に成功してもそれだけの人生であり、墓石と共に終ります。私たちが求めるべきは人生の意味です。そして人生に意味を与えてくださる方は、生命の源であり、死を超えた存在である、「神お一人」です。強制収容所での体験を「夜と霧」に書いたフランクルは「どんな人のどんな人生にも「見えない使命」が与えられている。それを見つけて果たすことによって、初めて人生は全うされる」と語ります。フランクルは晩年、アメリカで死刑囚のいる刑務所に行って講演し、語りました。「明日もしあなたが死刑になるとしても、今からでも人生を意味あるものに変えるのに、遅すぎることは決してない」。人生の意味を見つけるのは最後の瞬間まで諦める必要はない。私たちは「生きているのではなく、生かされている」ことを知った時、ヨセフ物語は私たちの問題となります。
admin
2019年6月30日説教(フィリピ4:1-9、神にある平和)
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2019-06-30T13:54:53+09:00
2019-06-30T08:19:02+09:00
11.ピリピ書
2019年6月30日説教(フィリピ4:1-9、神にある平和)
1.教会内の不和をどう考えるか
・今日、私たちは、パウロの書いたフィリピ教会への手紙を通して、教会内に不和が生じた時に、どう対処すれば良いのかを学びます。教会も人の集まりですから、そこには意見の違いや対立が生じます。信仰の先輩たちは私たちに教えます「教会に不満を持つ人、意見の違う少数者の人が教会を去ろうとする時、あなたがたはその人たちを無理に引き留めたり、戻るように呼びかけない方が良い。それはいたずらに混乱を招くだけだから」。意見の異なる人々が教会を去るならそれに任せよというのです。経験に基づく知恵でしょう。しかし、パウロは私たちに言います「あなたがたはそうしてはいけない。気の合う人、意見を同じくする人とだけ礼拝を共にするのは教会ではない」と。私たちはどちらの意見に従うべきなのでしょうか。ご一緒に考えてみたいと思います。
・パウロはエフェソの獄中から、フィリピ教会に手紙を書いています。フィリピの人々は獄中のパウロを慰めるため、贈り物を持たせてエパフロディトを派遣しましたが、彼は重い病気になってフィリピに帰ることになりました。そのエパフロディトに託して、フィリピの人々に感謝を表したのがフィリピ人への手紙です。フィリピ書は礼状なのです。しかし、パウロはその礼状の中で、あえて教会の中にある争いに触れます。4章2-3節です「私はエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげて下さい」。
・この手紙は個人的な手紙ではありません。それは教会に宛てて書かれた公式の手紙であり、教会の礼拝の場で読まれることを期待して書かれました。その手紙の中で、パウロは二人の婦人の名前を挙げて和解するように勧め、また教会の人々にも仲裁の労をとるように書いています。パウロは何故この問題を個人的な問題として、教会の外で解決するようにしないのでしょうか。教会の指導者に個人的な手紙を書き、問題の解決を依頼することも出来たのに、何故あえて教会全体の場に持ち出すのでしょうか。二人の婦人の名前を礼拝の場で読み上げることを通して、二人に悔い改めを迫ったのでしょうか。そうではありません。パウロは「都合の悪い事実があってもそれを覆い隠すな。不和があれば、それを公の場に出して、主の名によって解決しなさい」と求めているのです。「主によって」(4:1)、「主において」(4:2)とパウロは強調します。教会の主がキリストであれば、そこに集う人々は和解できるはずだ、もしそれが出来なければ教会ではないのだと言っているのです。
・この手紙から、私たちは何を読み取ることが出来るのでしょうか。パウロとフィリピの人々は、二人の婦人の仲たがいの原因を知っていますが、私たちにはそれが何かわかりません。パウロとフィリピの人々は「真実の協力者」と言われている人が誰か知っていますが、私たちは知りません。ただ私たちは次のような事実を知ることは出来ます。二人の婦人は福音伝道のために良い働きをした人々であり、教会にとって無くてはならない人であるということ、そして神が二人の和解を望んでおられることも知っています。パウロはそれで十分だと私たちに言います。「神が和解を望んでおられるのならば、そうしなさい。また、周りの人々も和解のために働きなさい」と。
2.私たちの人生の現実の中で
・私たちは、水曜日の祈祷会でサムエル記を読んできました。サムエル記の主役はダビデで、イスラエル王国はダビデ王の時代に繁栄の頂点を迎えました。ダビデは偉大な王として歴史に名前を残しています。しかしサムエル記はダビデが罪を犯さずに、正しい人として神に仕え続けたとは記述しません。そうではなく、ダビデもまた人間の弱さのゆえに罪を犯し続けたことをあからさまに記しています。サムエル記下の主題はダビデ家の家庭紛争です。ダビデは多くの妻や側女を与えられましたが、それに満足せず、姦淫の罪を犯します。ある時、部下の兵士ウリヤの妻バテシバが水浴している姿を見てその美しさに焦がれ、彼女を王宮に呼び、彼女と寝るという過ちを犯しました。バテシバは妊娠し、困ったダビデは、夫ウリヤを殺させ、女を自分の妻とします。このことを責められたダビデは悔い改めますが、この事件を契機にダビデ家に次から次に不幸が訪れます。自分の撒いた悪を神が刈り取らせられるのです。
・最初は息子アムノンの不祥事です。ダビデの長男アムノンは異母妹タマルに恋をして彼女を力ずくで自分のものにした後、辱めて捨てます。ダビデは自らもバテシバを手に入れるためにウリヤを殺した過去を持っていますので、アムノンを処罰することが出来ず、放置します。この措置にタマルの兄アブサロムは怒り、妹を辱めたアムノンを自らの手で殺して国外に逃亡します。ダビデは長男アムノンの死を悲しみ、三男アブサロムを許すことが出来ません。部下の将軍ヨアブが両者のために和解の労をとり、アブサロムは帰国を許されますが、ダビデは息子と会おうとしません。このダビデの子を許さない態度がアブサロムの心をかたくなにし、彼はダビデに反旗を翻して、王としての即位を宣言します。やがてアブサロム軍とダビデ軍の間に戦いが起こり、アブサロムは敗れて殺されます。アブサロムの死を知ったダビデの嘆きの歌をサムエル記は次のように記しています。「私の息子アブサロムよ、私の息子よ。私の息子アブサロムよ、私がお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、私の息子よ」(サムエル記下19:1)。
・聖書はダビデを信仰の偉人と称えますが、そのダビデでさえ、人を許せず、その結果、長男が殺され、三男も死んでいきます。私たちもまた人を許すことが出来ないゆえに、家庭や職場での不和に悩まされています。これが人生の現実です。人は王宮の中にいても、兄弟同士の不和があり、親子の不和があって、幸せではないのです。人の幸せは私たちが獲得したお金や地位に依存せず、逆にお金や地位が私たちを虜にして不幸に導いていく現実があります。私たちはこの現実を知ったから、平安を求めて教会に来ました。しかし、教会にも不和があり、平安が無ければ、私たちはどうすればよいのでしょうか。
3.喜べない状況でも喜びなさい
・今日の招詞として、私たちは、フィリピ4:4-5を選びました。次のような言葉です「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます」。私たちは平安を求めて教会に来たのに、教会の中にも不和があって平安がありません。私たちはどこにも行く場所がありません。だからパウロは不和を解決せよ、和解して喜べというのです。何故いがみ合いが教会の中で生じるのでしょうか。
・キリストは私たちが神と和解できるように死んで下さいました。キリストの死によって私たちは神と和解したのです。そして神と和解した者は人とも和解します。もし、私たちが人と和解できないとしたら、それは神との和解が無いからなのです。不和の根本原因は私たちと神との関係の不完全なのです。ですから、根本を解決しなければ、意見の違う人たちが教会から出て行っても教会内の不和は残ります。時間と共に新しい不和が教会内で生じるでしょう。それゆえ、人との不和の問題は人間的に解決すべき問題ではなく、教会全体で考える問題なのだとパウロは言うのです。
・私たちの毎日は常に喜べる状況ではありません。挫折も失意も仲たがいもあります。しかし、その中で喜んで行くのがキリスト者ではないかとパウロは言います。パウロは続けます。「どんなことでも、思いわずらうのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(4:6-7)。不和がある時、何故それを人間的に解決しようとするのか、何故人知を超える神の平和を求めないのかとパウロは言います。宝を見出した人は全てを捨てても宝を贖います。キリストと出会った人もそうします。キリストに出会った人は、自分の内には何の義も無く、ただキリストが死んで下さったから義とされた事を知りました。だから自分の誇りも捨てます。自分の誇りを捨てた時、人との争いもなくなります。何故なら、争いとは人と人の誇りのぶつかりあいだからです。
・人生は短く、その終わりは見えています。「もし、不和の人がいれば、一刻も早く和解しなさい。相手が許さなくともあなたは許しなさい」とパウロは訴えます。前にご紹介したマザーテレサの「あなたの最良のものを」という言葉をもう一度引用します「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい・・・善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく、し続けなさい。あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。・・・助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく、助け続けなさい。あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。たとえそれが十分でなくても、気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい」。
・そしてマザーは大切なことを伝えます「最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです」。「人との関係の断絶は神との関係の断絶なのだ、だから神と和解している人は人と和解せよ、相手が赦さなくともあなたは赦せ」とマザーは言っています。マザーの言葉こそピリピ4章の最善の注解なのです。私たちは相手を変えることは出来ません。しかし、自分が変わることは出来ます。私たちが相手を赦した時に、相手も私たちに心を開き始めます。「人知を超える神の平和」は働き始めるのです。教会はその神の平和を知る場所なのです。
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2019年6月23日説教(フィリピ3:12-21、天に国籍を持つ者として生きる)
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2019-06-23T12:48:21+09:00
2019-06-23T08:19:11+09:00
11.ピリピ書
2019年6月23日説教(フィリピ3:12-21、天に国籍を持つ者として生きる)
1.キリストに出会った喜びを伝えるパウロ
・フィリピ書は、「喜びの書簡」と言われています。私たちは、自分が幸福で満たされている時には喜びます。ただ、苦難の中にある時、重荷を担っている時には、喜べません。しかし、パウロは、「キリスト者は苦難の中でも喜ぶことが出来る」と語ります。パウロがこの手紙を書いた時、彼はエフェソの獄中にあり、殉教を前にした緊迫した状況の中にありました。にもかかわらず、この手紙には「喜ぶ」という言葉が多く用いられています。パウロはエフェソの獄中から、フィリピ教会に手紙を書いています。
・パウロがエフェソの獄中にいると知らされたフィリピの教会は、パウロを慰めるためにエパフロディトに贈り物を託して送り、エフェソでパウロに仕えるように手配しました。そのエパフロディトが重い病になってフィリピに帰ることになり、彼に託して、パウロはフィリピの人々に手紙を書きました。それがフィリピ書です。パウロは案じてくれたフィリピの人々に感謝し、教会のために祈ります。フィリピ書1~2章はパウロの感謝とフィリピの信徒を気遣う愛情に満ちた手紙です。3章の始めでパウロは書きます「最後に、私の兄弟たちよ。主にあって喜びなさい」(3:1)。「主にあって喜びなさい」、フィリピ書を貫くパウロのメッセージです。
・その感謝の手紙が、3章2節から突然激しい語調になります。「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」(3:2)。パウロは手紙を書いている中で、フィリピ教会を混乱させているユダヤ主義キリスト者の活動をここで思い起こし、警告します。手紙には、「犬ども」、「よこしまな働き手」、「切り傷に過ぎない割礼を持つ者たち」、と激しい言葉が並びます。当時のエルサレム教会は、「洗礼を受けただけでは救われない。割礼を受け、律法を守らないと救われない」として、巡回伝道者を各地の教会に派遣していました。フィリピ教会にも伝道者たちが訪れ、教会の中に混乱が生じていた。パウロはユダヤ人が大切にする割礼を「切り傷に過ぎない」とし、彼らを「犬」と呼びます。何故このような激しい言葉を投げかけるのか、それはユダヤ主義者の活動が教会を壊しかねない要素を持っていたからです。割礼を受けなければ救われないとしたら、キリストは何のために死なれたのか。割礼を強制する彼らはキリストの十字架を無益なものにしている。だから「よこしまな働き手」なのだ、とパウロは批判します。
・パウロもかつては律法による救いを求め、そのために努力し、そのような自分を誇った時もありました。彼は言います「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」(3:5-6)。彼はユダヤ人の誰よりも、熱心に律法による救いを求め、熱心のあまり律法を守らないキリスト者共同体への迫害者にさえなった。その彼がダマスコ途上で復活のキリストに出会い、キリストに捕らえられ、教会の迫害者から伝道者になりました(使徒9:1-9)。彼は律法学者としての名声も、教師としての安定した生活も失くし、ユダヤ人からは「裏切り者」として命を狙われるようにもなりました。
・しかしパウロは、「私にとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、私の主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、私はすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(3:7-8)と語ります。律法を守ろうとする者は自分の功績を誇ります「これだけ努力をして、これだけ実績を上げてきた。だから救われるのは当然だ」。パウロは自分を誇った過去を恥ずかしく思い、それらを「糞土」のように捨てたと語ります。パウロはすべてを失くしましたが、キリストを得た。彼はキリストに出会って命を見出しました。彼は語ります「私には、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります」(3:9)。
2.キリストに出会った者の生き方
・私たちはキリストに出会った。キリストに捕らえられた。だからキリストを追い求めていくとパウロは言います「私は、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、私自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(3:12-14)。人間の目から見れば、「成功の人生」があり、「失敗の人生」もあります。何の成果もあげられなかったと悔やむこともあります。パウロは語ります「後ろのものは忘れよう」(3:13a)。神の目から見れば「過去の功績」等どうでもよく、いかに「今を一生懸命に生きるか」のみが評価される。実績を上げることが出来なくとも、一生懸命に走った人に、神は「賞」をお与え下さる(3:14)。だから「前のものに全身を向けよう」(3:13b)とパウロは語ります。
・そして有名な言葉が来ます「私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、私たちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです」(3:20-21)。ここに永遠の命を求めるのか、この世での救いを求めるのか、信仰の分かれ目があります。島田裕巳著「日本の10大新宗教」によりますと、創価学会は1,000万人の信徒を持ち、立正佼成会は300万人、霊友会も300万人の信徒がいます。キリスト教人口100万人に比し、驚くべき数です。大教団に成長した新宗教のほとんどは「日蓮・法華系」の教団です。浄土信仰を説く既成仏教に飽き足らない人々が、現世における救いを強調する法華信仰に惹かれている。「南無妙法蓮華経」を唱えれば救われる、信じれば豊かな生活が送れるという教えが人々を捕らえている。これは律法を守れば救われる、善行を積めば幸せになれるとするユダヤ主義者の考え方と同じです。しかし、パウロはこのような考え方を、「絶対そうではない」と否定します。
3.苦難の中で喜ぶ信仰
・今日の招詞としてフィリピ4:4-6を選びました。次のような言葉です「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思いわずらうのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」。パウロは獄中にあっても喜んでいます。
・パウロは手紙の冒頭で言います「兄弟たち・・・私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになった」(1:12-14)。獄中でパウロが気力を失わずにいる姿を見て、大勢の人が励まされ、ある者はキリスト教に回心しました。神が監獄という場所においても、働いてくださることを知るゆえにパウロは喜ぶ。どこにおいても私たちは神を賛美することが出来ます。現にパウロはエフェソの牢獄から、この手紙を書いています。私たちは、自由に外出の出来ない老人ホームにいても、病気で入院した病院においても、神のために働けるのです。
・私たちが苦しみの中にあれば、その苦しみを神の前に差し出す。悲しみの中にあれば、その悲しみを神の前に訴える。その時、神は悲しみの意味、苦しみの意味を教えてくださる。意味がわかった時、苦しみは苦しみのままで、悲しみは悲しみのままで、祝福に変わっていく。苦しくてたまらない時、祈って与えられた御言葉が私たちの人生を変えた経験を何度もしています。苦しみや悲しみがなくなることが救いではなく、苦しみ悲しみの中で神の声を聞くことこそ救いなのです。現世利益、功績主義は必ず行き詰ります。お題目を唱えても、治らない病気は治らないし、解決しない問題は解決しない。癒しは仮のものであり、救いではない。私たちは、病人は病気のままで、苦しむ人は苦しみながら、救われていく。悲しみや苦しみがもはや私たちを支配しない、神の平安の中にあるからです。それこそが救いではないでしょうか。
・パウロは言います「私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」(3:20)。フィリピはローマの植民都市で、市民はローマ市民権を与えられていました。フィリピの市民がローマ市民であるように、私たちも地上に暮らしていても、天の国の市民なのだとパウロは言います。ペテロも語ります「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい(第一ペテロ2:11)。旅人であり、仮住まいの身ですから、自分の家を持つとか、老後の資金を蓄えることに価値を置かない。「年金だけでは暮らせない。老後には2千万円が必要だ」と言われても、動揺しない。神が道を開いて下さる、神が養って下さると信じるからです。この野放図な楽天性こそ、天の市民の生き方です。私たちはこの地上で多くのものを失うかもしれないし、多くの人たちから捨てられるかもしれませんが、神が私たちを見捨てられることは決してない。何故なら、神は私たちのためにキリストを遣わして、その命で私たちを贖ってくださった方だからです。そのキリストは私たちの重荷を共に負って下さる、キリストが共にいてくださるから、私たちはどのような状況下でも心配しない、だから喜ぶことが出来るのです。
admin
2019年6月16日説教(フィリピの信徒への手紙2:12-18、キリストのために苦しむ恵み)
http://shinozaki-bap.jpn.org/modules/wordpress/index.php?p=948
2019-06-16T12:34:44+09:00
2019-06-16T08:06:11+09:00
11.ピリピ書
2019年6月16日説教(フィリピの信徒への手紙2:12-18、キリストのために苦しむ恵み)
1.非日常の中で喜ぶ
・今日から三回にわたって、私たちは「フィリピの信徒への手紙」を読みます。フィリピはマケドニア州にある港町で、パウロが初めてヨーロッパ伝道を行った記念すべき町です。 キリスト教はパレスチナ(アジア)から始まりましたが、発展したのはヨーロッパです。「福音がアジアからヨーロッパに伝わる」ことがなかったら、その後の世界史は大きく変わったでしょう。パウロのフィリピ伝道は世界史の大きな転換点になりました。そのフィリピで、パウロはリディアという一人の裕福な婦人に出会い、彼女はパウロの話を聞いて、回心し、洗礼を受けます(使徒16:14-15)。やがてこのリディアの家の教会がフィリピ教会と成長していきます。パウロはフィリピを離れた後、テサロニケ、コリント、エフェソ等で伝道活動を続けますが、フィリピ教会はパウロの活動支援のためにエパフロディトに託して献金を送り、彼はパウロの助手として働き始めます。しかし彼は重い病気に罹り、フィリピに帰る事となりました。パウロは帰還するエパフロディトに託して、支援感謝の手紙を書きます。それが「フィリピの信徒への手紙」です。
・パウロはこの手紙をエフェソの獄中から書いています。フィリピ教会の人々はパウロ投獄の知らせを聞いて心配したと思います。その人々にパウロは現況報告を書きます「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」(1:12-14)。パウロは獄中にあって喜んでいます。何故ならば、逮捕と裁判を通して、異教世界の責任のある人たちの居並ぶ法廷で、キリストを述べ伝える道が開かれたからです。そしてパウロの喜びを見て、兵士の中にも回心する者が出てきたようです。パウロは先にフィリピでも投獄されていますが、その時には監獄の看守とその家族が救われる体験をし(使徒16:25)、今また逮捕・監禁・裁判という「強いられた受難」が、エフェソの役人の中から回心者が出ています。「強いられた受難」が「神の恵みとしての受難」に変えられた。パウロはそれを喜んでいるのです。
・フィリピの教会はパウロが捕らえられたと聞き、エパフロディトに慰問の品を持たせて、派遣しました。パウロは教会の支援に感謝すると共に、いま自分が獄にあってフィリピの人々のために働けないことを、心残りに思っています。しかし、パウロの心は彼らと共にあり、パウロがいない今も主に従順であるように祈ります。「愛する人たち、いつも従順であったように、私が共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいなさい」(2:12)。パウロは続けます「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい・・・不平や理屈を述べることを止めなさい」。つぶやきや疑いを捨てなさい、そうすれば「とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」(2:15-16)とパウロは語ります。
・パウロは獄中にあり、死の脅威の中にあります。1章21節以下でパウロは語ります。「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、私には分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」(1:21-24)。パウロは、人間としては、釈放されて再びフィリピを訪れることを願っていますが、それは適わないかもしれない。彼は死を覚悟し始めています。それが神の御心であれば受け容れていこうと思っています。彼は語ります「信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえ私の血が注がれるとしても、私は喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。私と一緒に喜びなさい」(2:17-18)。民の罪を購う「贖いの日」には、犠牲の動物の血が祭壇に注がれ、祭壇を清めます。パウロは自分が処刑され、その血がフィリピ教会の祭壇を清めるのであれば、喜んで死のうと語ります。
2.善き力にわれ囲まれ
・パウロは獄中でキリスト賛歌を歌いました。同じく獄中でキリスト賛歌を歌ったのがD.ボンヘッファーです。讃美歌73番は、デートリッヒ・ボンヘッファーが1944年に書いた「善き力にわれ囲まれ」という詩を歌にしています。ボンヘッファーはナチス時代を生きたドイツの牧師です。1933年、ナチスが政権を取り、ユダヤ人迫害を始めると彼はそれに抗議します。ドイツの大半の教会はナチスの政策に従ってドイツ帝国教会として再編成されますが、ボンヘッファーはカール・バルト共に告白教会を組織し、「不正な指導者には従うな」と呼びかけます。彼は政権ににらまれ、心配した友人たちはニューヨークのユニオン神学校の職をボンヘッファーに提供し、1939年彼はアメリカに渡りますが、1ヶ月間いただけですぐドイツに帰ります。祖国の人々が犠牲になって苦しんでいる時、自分だけが平和な生活を送ることは出来ない、苦しみを共にしなければ、もう祖国の人に福音を語れないと思ったからです。
・彼はドイツに戻り、ヒットラー暗殺計画に加わります。彼は語ります「車に轢かれた犠牲者の看護をすることは大事な務めだ。しかし、車が暴走を続け、新しい被害者を生み続けているとすれば、車自体を止める努力をすべきだ」。暴走を続けるナチスを止めるには、その頭であるヒットラーを倒すしかない。そう考えたボンヘッファーは国防軍情報部に入り、ヒトラー暗殺計画を推し進めますが、発覚し、1943年4月に捕らえられます。1年半後の1944年12月に彼は獄中から家族にあてて手紙を書きますが、そこに同封されていたのが、讃美歌の元になった詩です。
・1番は次のような詩です。「善き力にわれ囲まれ、守り慰められて、世の悩み共に分かち、新しい日を望もう」。1年半にわたって彼は投獄されています。その中で、家族や友人が彼のために祈り続けてくれる事を感謝し、それを与えてくれた神の守りを「善き力に囲まれ」と歌います。ナチスに対する反逆罪で捕らえられた彼は死刑になることを覚悟しています。また牧師として、暗殺行為に関ったことが良かったのか、迷いはあります。その迷いの中で「過ぎた日々の悩み重く、なおのしかかる時も、さわぎ立つ心しずめ、御旨に従い行く」と歌います。
・2番が続きます「たとい主から差し出される杯は苦くとも、恐れず感謝をこめて、愛する手から受けよう」。主から差し出される杯は「死」かも知れない。死ぬのは怖いし、人としては、釈放されてまた家族や友人と楽しい日々を過ごしたいと願います。しかし、それは適わないかもしれない。その時は主から差し出される杯をいただこう。この邪な、曲がった時代の中にも、神の光は輝いている。「輝かせよ、主のともし火、われらの闇の中に。望みを主の手にゆだね、来るべき朝を待とう」と彼は歌います。いつ処刑されるかわからない不安の中にありながら、主にある平安を彼は喜びます「善き力に守られつつ、来るべき時を待とう。夜も朝もいつも神は、われらと共にいます」。神がわれらと共にいませば、それでいいではないか。4ヵ月後の1945年4月に処刑されて、彼は39歳の若さで死んで行きます。
3.キリストのために苦しむ恵み
・今日の招詞にフィリピ1:29-30を選びました。次のような言葉です「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、私の戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」。パウロは今キリストの福音を伝えた故に獄にいます。福音は時として迫害をもたらします。
・イエスは安息日に病人を治療してはいけないという律法を知りながら、目の前に病人を憐れみ、いやされました。らい病人には触れていけないという掟があっても、愛の故にそれを無視されました。だから律法を重んじるユダヤ人たちはイエスを捕らえました。ローマ帝国は皇帝を神として拝めと求め、パウロはこれを拒否したため、帝国はパウロを捕らえました。キリストに従うとする時、世から迫害を受けることはあり、迫害を受けた時、私たちは日常の平和から、非日常の苦難の中に入ります。しかし、その苦難が神ゆえのものであることを知る時はもう怖れません。
・パウロの言葉はボンヘッファーを慰めましたが、鈴木正久という日本人牧師にも死を超えた希望を与えています。日本基督教団議長を務めた鈴木正久牧師は死が避けられないことを知り、嘆きます。その彼を再び立ち上がらせたのは、フィリピ書でした。鈴木牧師は語ります「フィリピ人への手紙を読んでもらっていた時、パウロが自分自身の肉体の死を前にしながら非常に喜びにあふれて他の信徒に語りかけているのを聞きました・・・パウロは、生涯の目標を自分の死の時と考えていません。それを超えてイエス・キリストに出会う日、キリスト・イエスの日と述べています。そしてそれが本当の「明日」なのです。本当に明日というものがあるときに、今日というものが今まで以上に生き生きと私の目の前にあらわれてきました」(鈴木正久・病床日記から)。「神が共にいてくださる」ことを知る時、牢獄もまた喜びの場になります。キリストを信じる者にも死は恐怖です。しかし、その恐怖は神が取り去って下さいます。信仰のある者と無い者の違いは、いざと言う時に絶望に押しひさがれるか、それとも神による救いを見出すかです。パウロは語ります「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」。
admin
2019年6月9日説教(使徒言行録2:1-13、言葉の奇跡が起きた)
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2019-06-09T13:15:08+09:00
2019-06-09T08:03:26+09:00
05.使徒言行録
2019年6月9日説教(使徒言行録2:1-13、言葉の奇跡が起きた)
1.待つ群れへの聖霊降臨
・聖霊降臨節を迎えました。ペンテコステ、元来は過越し祭りから50日目の麦の収穫感謝祭(ユダヤ教の五旬祭)でしたが、この日に、イエスの弟子たちに聖霊が下り、弟子たちの宣教を通して多くの人が回心し、教会が生まれた日としてお祝いするようになりました。具体的には弟子たちが「異なる言葉」で話始め、その結果、エルサレムで生まれた福音「キリストの教え」が言葉の壁、民族の壁を超えて伝わり始める、という出来事が起こりました。それがペンテコステです。使徒言行録2章はその日に起こった出来事を記しています。
・使徒言行録は、十字架で死なれたイエスが三日目に甦り、その後40日間弟子たちと共にいて、聖霊が与えられるまでエルサレムに留まるように指示されたと伝えます「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」(使徒1:4-5)。40日後、イエスは昇天されました。残された弟子たちは、一同に集まり、聖霊を与えてくれるように祈り続けます。その祈りに答えて、神の力、聖霊が与えられたとルカは記します。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(使徒2:1-3)。
・現代の私たちには理解できない表現を用いて、ルカは聖霊降臨の出来事を伝えようとしています。「激しい風が吹いてきた」、風の原語はプノエ、霊はプネウマです。「炎のような舌が見えた」、舌はグロッサで、その複数形グロッサイは言葉です。つまり、霊=プネウマが風=プノエのように下り、舌=グロッサが言葉=グロッサイを与えたとルカは説明しています。「風」、「火」、「現れる」等の表現は、旧約聖書では、「神の臨在」を示す言葉です。風は見えないが感じることが出来る、見えない聖霊が風のように弟子たちに下り、その霊によって弟子たちに語る言葉が与えられたという意味です。ルカは記します「一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」(2:4)。「ほかの国々の言葉」、原文をそのままで訳すと、「異なる言葉」、になります。
・エルサレムには外国生まれのユダヤ人たちや、ユダヤ教に改宗した異邦人たちが数多く住んでいました。ユダヤは何度も国を滅ぼされ、その度に人々は外国に散らされてそれぞれの地に住み、その子孫たちが祭りにエルサレム神殿に参拝するため、故国に帰っていたと思われます。彼等はヘレニスタイと呼ばれ(6:1)、コイネーと呼ばれる俗語ギリシャ語を話していました。大きな物音にびっくりして弟子たちのいた家の周りに集まった人々は、ガリラヤ出身の弟子たちが自分たちの国の言葉で(すなわちギリシャ語で)、語っているのを聞き、驚いて言います「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうして私たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」(2:7-8)。ルカは続けて報告します「私たちの中には・・・ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(2:9-11)。人々は驚き、とまどいました。
2.弟子たちが伝わる言葉で語り始めた
・実際に何が起きたのかはわかりません。しかしルカの報告を通して、二つのことを知ることができます。その一つは臆病だった弟子たちに、語る力が与えられたことです。弟子たちはイエスが捕らえられた時、その場から逃げ出しました。弟子の一人ペテロは心配になってイエスの後をついて行き、大祭司の屋敷まで行きましたが、そこで女中に見とがめられます「あなたもイエスの仲間だ」(ルカ22:56)。ペテロは激しく否定します「そんな人は知らない」。他の人もペテロを仲間だと言いましたが、ペテロは否定します。そして三度目に否定した時、鶏が鳴きました。ペテロは「この人こそメシア」と慕っていたイエスを裏切りました。自分も殺されるかも知れないという恐怖の前に、ペテロは過ちを犯しました。ほんの50日前、夜の闇の中で女中にさえ語ることの出来なかったペテロが、群集を前にイエスのことを語り始めたという奇跡が起きたのです。神の霊はちりに命の息吹を吹き込み、人間を創造しました(創世記2:7)。今また、神の霊は臆病であった弟子に命を吹き入れ、大胆に語る賜物を持った新しい人間を創造しました。語ることの出来なかった人々が、語るための舌を与えられた。それがペンテコステの日に起こった出来事の意味の一つです。
・もう一つの出来事の意味は、「神が為された偉大な業」(2:11)を、人々にわかる言葉で伝えることができたということです。ルカは「"霊"が語らせるままに、(弟子たちが)ほかの国々の言葉で話しだした」と記しますが、おそらく弟子たちは、外国生まれのユダヤ人や異邦人改宗者も理解できる当時の共通語であるギリシャ語で語り始めたのでと思えます。イエスや弟子たちが日常に用いていた言葉は、ヘブル語またはその方言であるアラム語です。他方、外国に住む、あるいは外国から帰国したユダヤ人たちは、ヘブル語を理解せず、ギリシャ・ローマ世界の共通語であるギリシャ語しか話せませんでした。その彼等に福音を伝えるにはギリシャ語で話すしかない。弟子たちの出身はガリラヤですが、その地は「異邦人のガリラヤ」と呼ばれたほど、ギリシャ化が進み、弟子たちの何人かはギリシャ語を話すことが出来たのでしょう(今日のヨーロッパの人々が母国語はもちろん、共通語である英語を話せるのと同じです)。弟子たちがイエスの受難と復活をギリシャ語で語った結果、その言葉は人々に伝わり、その日に3千人が洗礼を受けたとルカは記します(2:41)。
・このギリシャ語を話すユダヤ人たちが、やがて福音宣教の担い手になります。使徒8章でエルサレム教会にユダヤ教会からの迫害が行われたことが記されていますが、この迫害の結果、ギリシャ語を話すユダヤ人たちがエルサレムを追われ、サマリアやシリア、さらにはアジア地方にまで伝道を行い、その結果、福音が民族、国境を超えて広がっていきます。ルカはその歴史を踏まえて、ペンテコステの出来事を書き記しているのです。
3.福音の真理は言葉を超える
・聖霊は、教会が福音(良い知らせ)を持って、人々のところに出て行く力を与えます。その行為は、当初は戸惑いと疑いと嘲りを招くでしょうが、やがて少数の人々であれ、存在の根底から悔い改めさせる力を持ちます。今日の招詞に使徒1:8を選びました。次のような言葉です。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」。昇天するイエスが弟子たちに託した言葉です。福音は神の業の目撃証言を通して伝わり、その証しは言葉を通して語られます。その証言を集めたものが新約聖書で、その新約聖書がギリシャ語で書かれたことは、考えれば不思議です。何故ならイエスも弟子たちもアラム語で語っていたからです。アラム語で語られた出来事が、ギリシャ語という当時の共通語で書き記されることを通して、福音が世界に伝えられていった、その出発点がペンテコステの日に起こった「異なる言葉」の奇跡でした。
・イエスや弟子たちの証言集であった新約聖書はギリシャ語で書かれましたが、キリスト教がローマ帝国の公認宗教になると、やがて帝国の原語「ラテン語」に翻訳され、ラテン語聖書(ウルガタ)が権威を持つようになります。ただ民衆はラテン語がわからず、聖書が何を語っているのかを理解できませんでした。その壁を破ったのが、宗教改革です。イギリスではウィクリフが聖書を英語に翻訳し、ドイツではルターによりドイツ語聖書に生まれ、それがグーテンベルクの発明した印刷術によって、世界各地に伝えられていきます。宗教改革を起こしたものは、各国語に翻訳された聖書の力でした。日本ではキリシタン時代に最初に日本語聖書翻訳がなされました。1837年に出されたギュツラフ訳ヨハネ福音書です。この聖書翻訳は日本から漂流した三人の船乗りの協力で為され、三浦綾子著「海嶺」に詳しく報告されています。その後、明治になってキリスト教の布教が許されるようになると、多くの外国人宣教師が日本を訪れ、聖書の翻訳を手がけるようになります。その一人がマタイ福音書を翻訳したヘボンで、彼はローマ字表記の考案者としても有名です。それから150年、現在の私たちは多くの日本語訳聖書を持つことを許されています。
・最近出た新しい翻訳の一つが、山浦玄嗣(はるつぐ)氏のケセン語訳聖書です。ケセン語は東北・気仙地方の方言で、使う人口も少ない言葉です。山浦さんは岩手県大船渡市のカトリック医師ですが、ある時教会で「マタイ福音書・山上の説教」をケセン語で読んで聞かせた所、ある老婦人が涙を流して、「今日ぐらいイエス様の気持ちがわかったことはなかった」と彼の手を掴んで感謝したことから、50歳を超えて聖書の原語であるギリシャ語を学び、翻訳を始めたというのです。何とかイエスの心を伝えたい、その熱情がケセン語聖書を生みました。その山浦さんの熱情が別の回心者を生んでいきます。常盤台教会の会員であった太田雅一兄は、教会に講演で来られた山浦玄嗣さんの証しを聞いて、自分もギリシャ語を学びたいとして東京バプテスト神学校に入学され、やがて牧師になられました。伝わる言葉は奇跡を生んでいくのです。使徒言行録2章1-13節の短い文章の中に、「聞く」という言葉が繰り返されています(2節、6節、11節)。理解できる言葉で話された福音は、「聞かれる」ことによって伝わって行きます。使徒言行録によれば、この日、3000人が、ペテロの「悔い改めてバプテスマを受けなさい」という勧めに応えて、バプテスマを受けたとされています(使徒2:41)。教会が説教を大事にするのも、会衆が「聞く」ことによって、回心の奇跡が起きるからです。教会とは、「神のみ言葉が語られ、神のみ言葉が聞かれる」共同体なのです。キリスト教信仰は、教会という共同体を通しての、交わりの信仰なのです。
・ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が下り、彼らに語る力が与えられ、普遍的な言語であるギリシャ語で福音が述べ伝えられ、聞かれました。その聖書が最初にラテン語に翻訳され、さらには英語やドイツ語に翻訳され、今では日本語にも翻訳され、言語の力が福音を世界に伝えました。そして今でも、多くの人々が、異なる言語の人々に福音を伝えたいとして活動しています。先日不幸な事件のありましたカリタス学園は、もともとカナダのケベックに設立されたカリタス修道会が、1960年に三人の修道女を日本に派遣して設立されたとのことです。その三人の修道女たちは、来日当初は日本語が話せなかった。福音を伝えるために必死に言葉を学び、それが実って学校設立まで至った。ペンテコステの奇跡は現代でも起こり続けているのです。
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2019年6月2日説教(ガラテヤ6:1-10、互いに重荷を担いなさい)
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2019-06-02T13:06:09+09:00
2019-06-02T07:56:24+09:00
09.ガラテヤ書
2019年6月2日説教(ガラテヤ6:1-10、互いに重荷を担いなさい)
1.肉ではなく、霊によって歩め
・ガラテヤ書を読み続けています。今日が最終回です。ガラテヤ教会はパウロが設立しましたが、パウロが立ち去った後、エルサレムから派遣された教師たちが来て、「人は信じるだけでは救われない。救われたしるしとして割礼を受けなければいけない」として、人々に割礼を求め、教会に混乱が生じていました。エルサレム教会の人々はユダヤ教の伝統の中で育って来ましたので、救いのしるしとして割礼を受けることは当然だと考えていたのです。しかし、パウロはこの割礼に猛然と反対し、ガラテヤ教会にあてた手紙の中で、言います「もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」(2:21)。
・パウロは続けます「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」(5:13)。ガラテヤ書は宗教改革者マルティン・ルターの特に愛した書だといわれています。竹森満佐一先生はルターの言葉を記します「ガラテヤ書は私の信頼する私の手紙である。私のケーテ・フォン・ボーラである」(ガラテヤ書講解説教から)。ケーテ・フォン・ボーラ、ルターの妻の名前です。それほどに愛し、信頼してということでしょう。ルターは修道士でした。ルターの妻も修道女でした。二人とも結婚しないとの誓約をしていたはずです。しかし「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです」というパウロの言葉が二人を後押ししたのでしょう。二人は誓約から自由になって結婚しました。まさに聖書の言葉は私たちの人生を変える力を持っています。
・人はキリストの霊をいただくことによって、自分の中にある肉の欲が、霊の愛に変えられていきます。それは具体的にどういうことか、どのように実践すべきかを、パウロは教会の人々に伝えます。それが今日、お読みするガラテヤ6章「重荷を担い合う生き方」です。パウロは言います「万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、霊に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい」(6:1)。私たちは洗礼を受けてキリスト者になりますが、それでも罪を犯し続けます。では洗礼を受けて何が変わるのか、それは「自分が罪を犯し続ける存在であり、それでもキリストに赦されて現在を生かされていることを知る」ことです。キリスト者は自分が罪人であることを知るゆえに、相手の罪を責めなくなります。そこに柔和が生まれ、この柔和が交わりを生みます。それが2節の言葉です「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」。重荷とは、労苦です。労苦を担い合いなさい、隣人を愛するとは、相手の労苦を共に担うことです。それは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私の許に来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)と言われたイエスの後に従う行為です
・パウロは、言葉を続けます「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。めいめいが自分の重荷を担うべきです」(6:3-5)。私たちの行為は、最終的に神の御前で審判を受けます。その時、「あの人に比べて悪いことはしていない」とか、「世間の人は賞賛してくれた」等の言葉は何の意味も持ちません。神の前に立って恥ずかしくないように、今現在を生きなさいとパウロは語ります「自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります」(6:8)。だから「たゆまず善いことを行いなさい」(6:9-10)とパウロは教会の人々に語るのです。
2. イエスの焼き印を身に帯びて
・パウロは手紙の最後に言います「この十字架によって、世は私に対し、私は世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」(6:14-15)。もし人が神からの招き=福音を受け入れるなら、その人の生き方は根本から変えられます。新しい創造が始まるのです。新しく創造された人は「世に対してはりつけにされている」、世とは異なる価値観に生かされます。私たちも洗礼という形で、「イエスの焼き印」を身に帯びています。まだ洗礼を受けていない人はぜひ洗礼を受けてほしい。それはイエスと共に十字架に死に、イエスと共に新しい命を生きるという「焼き印」です。その焼き印を受けて人は教会に加わるのです。教会は地上にあるゆえに問題を抱えた群れではありますが、それでも地上に開かれた神の国の入り口なのです。
・パウロは言葉を続けます「これからは、だれも私を煩わさないでほしい。私は、イエスの焼き印を身に受けているのです」(6:17)。「焼印=スティグマ」、焼き鏝で奴隷につけられる所有者の印です。パウロはキリストに対する信仰故に数々の迫害を受けて来ましたが、体に残る鞭の傷跡こそ「イエスの焼き印」と考えています。だから彼はキリストなしの信仰には我慢がならないのです。だから彼は割礼を受けよと勧める宣教者に対して、「あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい」(5:12)と激しい言葉を用います。
・ガラテヤ教会の人々も、またエルサレムの伝道者たちも、手紙の激しさにびっくりし、また憤慨したでしょう。伝道者たちに言わせれば、「自分たちはキリストの福音を伝えており、ただ同胞ユダヤ人の誤解を避けるために教会の人々に割礼を奨励しただけだ」ということでしょう(6:12)。またガラテヤの教会員も思ったことでしょう「自分たちはキリストの福音を信じている。ただその信仰に加えて律法の行いを守ろうとするのが何故そんなに悪いのか」。パウロは何故こんなに激しく怒るのでしょうか。それは「異なる福音」が、キリストの恵みを台無しにするからです。割礼に代表される律法主義は教会を壊す「パン種(腐敗の元)」なのです(5:9)。
3.教会の実生活の中で
・では人はどのように変わりうるのか、それを確認するために、招詞にヨハネ8:11を選びました。次のような言葉です「 女が『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』」。律法学者とファリサイ派の人々が姦通の現場で捕えた女性を連れて来て言いました「先生、この女は姦通をしている時に捕まりました。こういう女は石で打ち殺せとモーセは律法の中で命じています」(8:4-5)。イエスは答えられます「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、石を投げなさい」(8:7)。イエスの答えを聞いた者は、「年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエス一人と、真ん中にいた女が残」されました(8:9)。イエスは、人々に、「あなたは本当に神の前に無罪だと言えるのか、本当に姦淫の思いを抱いたことはないのか」という問いかけをされたのです。良心を持つ人は誰も、「自分は神の前に罪を犯したことがない」と言うことが出来ません。だから誰も石を投げることが出来ませんでした。
・聖書に語る「罪」には二つの区分があります。英語では法を犯す罪、犯罪をCrime、内なる心で犯す罪をSinと言い分けています。そしてこの内なる罪Sinこそが外に現れ出て、Crimeとなるのです。イエスが、「あなたたちの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げなさい」と言われた後、ファリサイ人や律法学者が立ち去ったのは、「自分たちは神の戒めを破ったことはない。神の前でSinなる罪を犯したことはない」と言い切れなかったからです。聖書のいう罪を正しく認識した時、誰も他人を裁けなくなります。みながいなくなり、その場には女性とイエスの二人だけが残されました。イエスは残された女性に言われます。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか」(8:10)。女性が「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(8:11)。イエスはそれ以上、咎めようとせず、女性を解放されました。
・ヨハネ7:53-8:11は聖書では〔 〕の中に書かれています。古い写本に記載がなく、後代の加筆の可能性が高く、資料的な問題があることを示します。この部分をルカ21:38の後に入れている写本もあり、おそらくは当初ルカ福音書にあったものが削除されて、後にヨハネ福音書に挿入されたのではないかと思われます。何故なのでしょうか。姦淫の罪を犯したにもかかわらず、その罪を無条件に赦されるイエスの態度に、ルカ教会の人々が戸惑ったからだと思われます。しかしヨハネ教会の人々はその戸惑いを超える真実を物語の中に見出したゆえに、あえてこの物語を自分たちの福音書の中に挿入したのだと思われます。
・ここに在るのは無条件の赦しではありません。「私もあなたを罪に定めない」とは、「あなたは罪を犯した。しかしあなたはこの辱めを通して自分の罪を知った。もう十分だ」という意味です。だから「もう罪を犯してはならない」。女を律法通り石打の刑で殺した時、一人の命が失われ、そこには何の良いものも生まれません。それは父なる神の御心ではない。しかし、女に対する処罰を猶予することによって、女は生まれ変わり、新しい人生を生き始める。ここに、「人を滅ぼすための裁き」ではなく、「人を生かすための裁き」が為されています。倫理や道徳を強調するルカ福音書の編集者はこれを削除し、偏見を超えて赦しの物語に注目したヨハネ福音書の編集者がこれを拾い、その結果「福音の中の福音」が残されました。愛するとは赦すことであるとの真理がここ示されました。内村鑑三はこの箇所を「この一篇の如き、これを全福音の縮図として見ることが出来る。もしこの篇だけが残っていてもイエスの感化は永久に消えない」と評しています(内村鑑三、1929.11、聖書の研究)。
・パウロが「万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、霊に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい」(6:1)と語るのも同じです。「互いに重荷を担いなさい」(6:2)、排除するのではなく、受け入れなさい。イエスが一人の女性の人生を買い取られたように、あなたも赦された者として、あなたの出会う相手の人生を買い取りなさいとパウロは語るのです。ガラテヤ書には「イエスの愛」と、それに従う「弟子パウロの愛」が息づいています。そこを読み取った時、この聖書の言葉が私たちの生き方を変える言葉になるのです。
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2019年5月26日説教(ガラテヤ5:1-15、キリスト者の自由)
http://shinozaki-bap.jpn.org/modules/wordpress/index.php?p=945
2019-05-26T13:05:32+09:00
2019-05-26T08:23:01+09:00
09.ガラテヤ書
2019年5月26日説教(ガラテヤ5:1-15、キリスト者の自由)
1.福音から離れ始めたガラテヤ諸教会へ
・ガラテヤ書を読み続けています。ガラテヤ書の舞台は小アジアのガラテヤです。最初のキリスト教会はエルサレムに生まれました。復活のイエスに出会った弟子たちがエルサレムに集められ、ペンテコステの日に、聖霊を受け、福音を語り始め(使徒2:36)、多くの人々がバプテスマを受け、教会が生まれました。当初のエルサレム教会はユダヤ人信徒で構成されていましたが、一部の信徒たちはユダヤ教の中核である神殿礼拝や祭儀を拒否したため、彼らはサマリヤやシリアに追放され、そこに新しい教会が生まれていきます。シリアのアンティオキアを中心とするユダヤ人・異邦人混合教会です。アンティオキア教会はやがて、キプロスや小アジア、ギリシア等へも宣教師を派遣し、ガラテヤ、エペソ、コリント等にも教会が生まれて来ました。福音がローマ世界に広がり始めましたが、同時にいろいろの問題が生じて来ました。
・ガラテヤの諸教会はパウロの伝道によって設立されましたが、パウロが立ち去った後、エルサレムから派遣されたユダヤ人教師たちが、「キリストを救い主として受け入れるだけでは十分ではない。救われたしるしとして割礼を受けなければいけない」として、人々に割礼を求めました。そのことを伝え聞いたパウロは、ガラテヤ諸教会宛てに手紙を書き、「もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」(2:21)と彼らが割礼を受けないように迫りました。
・アンティオキア教会にはユダヤ人もギリシア人もいましたが、民族は違っても兄弟姉妹の交わりがなされ、信仰が民族を超えたものとなり、人々はその地で初めて「クリスティアノ」(キリスト者)と呼ばれ始めました。しかし、エルサレム教会の人々は依然としてユダヤ教の枠内にいて、「異邦人も割礼を受けて律法を守らなければいけない」と主張していました。パウロはエルサレムに行って、使徒たちと話し合いを行い、異邦人には割礼を強制しないことが決められましたが、原理主義的なグループは律法に対しこだわり続け、「割礼を受けなければ救いはない」と諸教会に申し送り、争いが絶えませんでした。そのためにガラテヤ書が書かれました。
2.再び奴隷に戻るな
・ガラテヤの人々は、割礼を受けなければ救われないとのエルサレム教会の指導を受けて、割礼を受けようとしています。パウロは彼らに言います「自由を得させるために、キリストは私たちを自由の身にして下さったのです。だから・・・奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります」(5:1-2)。割礼を受ける、律法によって救われるとは、律法をすべて守ることを意味しますが、そのようなことは人には出来ません。自然のままの人間は自己の欲望を制御できない、私たちは律法を守ることは出来ない、だからキリストが死んで下さった、その恵みにすがるしかないとパウロは語ります「割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います」(5:3-5)。
・パウロは続けます「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」(5:6)。形ではない、中身なのだとパウロは語ります。ユダヤ主義者たちは形のある信仰を求めました。律法は見えます。割礼を受ける、安息日を守る、食べていけないと言われたものは食べない、見えるものを守ることで救いの確信を得たいと思うのが律法主義です。しかし、この律法主義は教会を壊す悪を秘めています。パウロは言います「僅かなパン種が練り粉全体を膨らませるのです」(5:9)と。小麦粉の塊にパン種(酵母)を入れて焼くと、ふっくらとした、やわらかいパンになります。私たちは酵母の働きが人の役に立つ時、それを「発酵」と言い、役に立たない時、「腐敗」と言います。しかし、腐敗も発酵も同じ菌の働きです。ガラテヤの人々は割礼を受け、律法を守ることを、パンをおいしくする信仰的な行為として受け入れようとしていますが、パウロは「それはパンをおいしくするのではなく、パンを腐らせる行為だ。律法主義を受け入れた時、教会はキリストの体ではなくなる」と語ります。
・律法そのものは悪ではありません。ただ「律法を守れば救われる、守らない者は裁かれる」とする時に、それは悪になって行きます。安息日は「休みなさい」という恵みですが、「安息日を守らない者は呪われる」とした時、その律法が悪になって行きます。割礼もそうです。神に従うしるしとして割礼を身に帯びることは祝福ですが、「割礼を受けない者は救われない」とする時、それは悪になって行きます。人は良いものを悪に変えてしまう存在なのです。
3.キリスト者の自由
・今日の招詞にルカ18:13を選びました。次のような言葉です「ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人の私を憐れんでください』」。イエスは、自分は正しいとして人を見下しているファリサイ人を懲らしめるために、ある喩え話をされました。こういう話です「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、私は他の人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています』」(18:10-12)。
・ここに典型的な律法主義者の生き方が示されています。「してはいけないと定められた悪いことはしていません。しなさいと言われた良いことをしています。だから救って下さい」。自分は律法を守っている、自分は正しいと自負する人は、対価として救いを要求します。そして律法を守らない人を攻撃します(私は徴税人のような者でもない)。それに対して、罪人と名指しで攻撃された徴税人の祈りが、招詞の言葉です。彼は自分が救いに価しないことを知っています。彼にできることはただ神の憐れみを乞うことだけです。イエスは言われます「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(18:14)。パウロが割礼にこだわるのもそのためです。割礼を受けた人は自分の救いを神に要求するようになる。それはもはや神の恵みに生きる福音信仰ではなく、自分の力を頼みにする偶像礼拝です。
・パウロは語ります「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです」(5:13-14)。自由とは「自分の思う通り何でもできる」ことではありません。人はキリストに出会い、解放されることを通して、自分の中にある肉の欲が、霊の愛に変えられていきます。肉の欲とは相手を自分に仕えさせようとする欲です。他方、霊の愛は自分が相手に仕えていく行為です。前にもお話ししましたが、オーストラリア駐在時代にお世話になったD.ヘイマン宣教師は、私たちに次のように語りました「私はワインが大好きです。オーストラリアのワインはおいしい。しかし、宣教師がお酒を飲むことにつまずく人もいるので、私はお酒をやめました。しかし、あなた方はどうぞおいしいワインを楽しんで下さい」。「つまずく人がいるので、私は飲まない、しかしあなたは飲んで楽しみなさい」。これが律法から解放されたキリスト者の自由、愛に基づく自由です。
・律法からの解放は人を自由にします。マルテイン・ルーサー・キングは、1963年に「汝の敵を愛せ」という説教を行いました。当時、キングはアトランタの黒人教会の牧師でしたが、公民権運動の指導者として投獄されたり、教会に爆弾が投げ込まれたり、子供たちがリンチにあったりしていました。そのような中で彼は語ります。「イエスは汝の敵を愛せよと言われたが、敵を好きになれとは言われなかった。我々の子供たちを脅かし、我々の家に爆弾を投げてくるような人をどうして好きになることが出来よう。しかし、好きになれなくても私たちは敵を愛そう。何故ならば、敵を憎んでもそこには何の前進も生まれない。憎しみは憎しみを生むだけだ。愛は贖罪の力を持つ。愛が敵を友に変えることの出来る唯一の力なのだ」敵を友に変えることの出来る愛はアガペーの愛であり、それは感情ではなく、意思です。それは神から与えられる賜物です。割礼はこの賜物を虚しくするのだとパウロは語るのです。
・私たちは嫌いな人を好きになることはできなくとも、彼らのために祈ることはできます。自分に敵対する人のために祈るという実験を私たちが始めた時、その祈りは真心からのものではなく、形式的なものでしょう。しかし形式的であれ、祈り続けることによって、「憎しみが愛に変わっていく」体験をします。その時、私たちは隣人の欠点を数えなくなります。パウロは言います「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」(6:15)。「新しく創造される」、キリストの愛によって根底から変えられる、その道に私たちは招かれているのです。
・最後にパウロがコリント教会に書いた自由の定義を引用します。「全てのことが許されている。しかし、全てのことが益になるわけではない。全てのことが許されている。しかし、全てのことが私たちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」(第一コリント10:23-24)。自由とは何をしてもよいことではない。そうではなく、兄弟を憎まない自由、兄弟の悪口を言わない自由、兄弟のために祈る自由が、与えられている。キリストの十字架に接して、私たちは兄弟を憎まない自由を強制ではなく、自由意志で選び取っていくのです。