すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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09 23

1.サムソンとペリシテ人との戦い

・9月は礼拝の中で士師記を読んでおります。士師記はサムソン物語を13−16章の4章にわたって記します。士師記の中で、最も長い物語です。サムソンはペリシテ人と対峙した士師(戦争指導者)です。ペリシテ人は、紀元前15-13世紀に、エーゲ海よりパレスチナ海岸に侵入した海洋民族で、それ以降、彼らの名によってこの地域は「パレスチナ=ペリシテの地」と呼ばれるようになりました。彼らは、ガザ、アシュドデ、アシュケロン、ガテ、エクロン等の海岸部に都市を築き、士師時代後期からイスラエル最大の強敵となります。そのペリシテ人の支配からイスラエルを救い出すために、士師サムソンが起こされました。
・サムソンはペリシテ人からイスラエルを守るために士師として召命されますが、「彼はナジル人として召命されて生まれた」(13:5)と描きます。ナジル人は神から特別の召命を受け、聖別(ナーザル)された者という意味で、強い酒を飲まないこと、髪をそらないことが求められました。「サムソンは聖別された者として、人々の期待の中で生まれ、成長した、主は彼と共におられた」(13:24-25)と士師記は描きます。
・そのサムソンが成人した時、彼はペリシテ人女性を愛し、結婚します。サムソンの両親は異民族の女性との婚姻に反対しますが、士師記は、これは主の計画であったと描きます(14:3-4「父母にはこれが主の御計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった。当時、ペリシテ人がイスラエルを支配していた」)。サムソンはペリシテの女性をめとりますが、妻はサムソンの力の秘密を同胞のペリシテ人に漏らしてしまい、怒ったサムソンはペリシテ人30名を殺してしまいます(士師記14:17-19「宴会が行われた七日間、彼女は夫に泣きすがった。彼女がしつこくせがんだので、七日目に彼は彼女に明かしてしまった。彼女は同族の者にそのなぞを明かした。七日目のこと、日が沈む前に町の人々は彼に言った。『蜂蜜より甘いものは何か、獅子より強いものは何か。』するとサムソンは言った。『私の雌牛で耕さなかったなら、私のなぞは解けなかっただろう。』その時主の霊が激しく彼に降り、彼はアシュケロンに下って、そこで三十人を打ち殺し、彼らの衣をはぎ取って、着替えの衣としてなぞを解いた者たちに与えた。彼は怒りに燃えて父の家に帰った」。)
・サムソンの乱暴に憤慨した妻の父は娘をサムソンと離縁させ、同胞のペリシテ人の男に嫁がせます。怒ったサムソンは報復にペリシテ人の畑を焼いてしまう乱暴をします(士師記15:3-5「サムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえ、松明を持って来て、ジャッカルの尾と尾を結び合わせ、その二つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付けた。その松明に火をつけると、彼はそれをペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の山から麦畑、ぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やした」)。

2.ペリシテ人の報復

・ペリシテ人たちは自分たちの畑を焼いたサムソンへの報復に、最初にサムソンの嫁と舅を殺し、さらにサムソンの身柄引き渡しをイスラエルに求めます(15:9「ペリシテ人は、ユダに上って来て陣を敷き、レヒに向かって展開した」)。恐れたイスラエルの人々はサムソンを縛って、ペリシテ人に差し出します。ここにサムソン物語の本来の意味、支配者たちが敵を怖れる中で、一人でペリシテ人と戦うサムソンの姿があります。イスラエルの人々は言います「我々がペリシテ人の支配下にあることを知らないのか。何ということをしてくれた」(15:11a)。それに対してサムソンは答えます「彼らが私にしたように、彼らにしただけだ」(15:11b)。ここにあるのは、現在の沖縄・普天間基地の辺野古移転問題と同じ構造です。基地の県内移転に反対する沖縄住民に対して、日本政府は威嚇します「我々がアメリカ軍の支配下にあることを知らないのか」。それに対して沖縄の人々は応えます「私たちは自分の国で平和に暮らしたいだけなのだ」。政府の役割は、住民の切実な声を汲み上げて官民一体で米軍と交渉することですが、政府はその役割を放棄し、先頭に立ってアメリカ軍基地造成を行っています。それはペリシテ軍の圧力に押されて、「我々は、お前を縛ってペリシテ人の手に渡すためにやって来た」(15:12)と語るイスラエルの指導者と同じです。
・共に戦うイスラエル人は誰もいなかったのに、サムソンは一人で立ち向かっていきます。「サムソンがレヒに着くと、ペリシテ人は歓声をあげて彼を迎えた。そのとき、主の霊が激しく彼に降り、腕を縛っていた縄は、火がついて燃える亜麻の糸のようになり、縄目は解けて彼の手から落ちた。彼は、真新しいロバのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、これで千人を打ち殺した」(15:14-16)。ここには敵を殺すことに対する罪悪感はなく、殺した敵の数を誇る風潮があります。サウルやダビデの時代もそうでした(サムエル記上18:5-7「イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』」)。これは、ある意味やむを得ないことかもしれません。戦国時代とは、敵を殺すことが正義である時代なのです。

3.サムソン物語をどう読むか

・今日の招詞にヘブル11:32-34を選びました。次のような言葉です。「これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました」。
・サムソン物語をどう読むかは難しい課題です。今日の私たちから見ますと、サムソンは士師にふさわしくない乱暴者です。それにも関わらず、士師記は最大の記述をサムソンについて割り当てます(13−16章)。彼は当時イスラエルを占領し、支配するペリシテ人に、恐れず立ち向かった救国の英雄として描かれています。乱暴者サムソンがペリシテ人を殺したことを士師記は礼賛します。「神の民イスラエルは無割礼のペリシテの支配下にいてはいけなかった。ペリシテを恐れて何もしない民を奮起させるために主はサムソンを用いられた」と理解し、新約時代のヘブル書ですら、彼を信仰の人として描きます。士師記の人物は、ギデオンにせよ、エフタにせよ、サムソンにせよ、不完全な人です。主は不完全な人を用いて御旨を行われることを士師記は示しています。
・勝村弘也は「サムソン物語雑考」の中で語ります「士師記13〜16章に描き出されているサムソンの姿は、読者に独特の奇妙な印象を与える。サムソンは、ここで〈士師〉の一人に数えられているようではあるが、イスラエルをペリシテ人の抑圧から解放したわけでもなく、何らかの軍勢を指揮したわけでもない。彼はどこまでも単独で行動する〈テロリスト〉的な人物に見える。聖書の読者は当惑するほかない。」彼は続けます「サムソンは、ふつうの士師でもナジル人でもない。しかし、まさにこの男からイスラエルの解放は〈開始〉されたと申命記史家は主張している。サムソンによってペリシテ人に対する闘争は始まった。ペリシテからの救出ないし解放はダビデによって完成するが、サムソンはこのサウルからダビデへと続く展開の先駆者と見られていることになる。」
・新約のへブル書はサムソンを肯定します。「獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました」と。サムソンは途方もない乱暴者で、また女性の誘惑に弱く、失敗ばかりを繰り返し、最後は敵に捕らえられて目を抉り出されるような悲劇も経験しています(16:21)。しかし民衆は失敗しても失敗しても挑戦を続けるサムソンの姿に感動し、そのことが多くの伝承を生み、士師記に最大のページ数を割り当てさせたと思います。このことは現代日本社会に大事なメッセージを伝えるのではないかと思います。先に述べた沖縄の基地問題です。沖縄に米国の軍事基地を提供することが、本当に日本の「平和と安全」に寄与するのかの議論がなされないままに、新しい基地建設が進められています。それに対して「普天間飛行場の移設先は国外、最低でも県外」と唱えた鳩山前首相はつぶされて行きました。世の人々は「鳩山氏はアメリカという巨大な風車に、ドン・キホーテのように突っ込んで見事にぶっ飛ばされた」と嘲笑しますが、ある意味でペリシテ人という強大な風車に跳ね飛ばされたサムソンの生き方もドン・キホーテに似ています。沖縄の自治が、日本政府とアメリカ政府によってつぶされようとしている現在、ドン・キホーテ的存在は必要です。
・聖書は私たちに世の大勢に流されず、「主によって示された正しいことをせよ」とサムソン物語を通して語っておられます。教会は世にあって世に仕えますが、世にならうことはしません。「人の目ではなく、神の目に何が正しいのか」を求めて生きます。サムソンは、多くの人々がペリシテ人を怖れて何もできなかった時、一人でペリシテ人に立ち向かって行きました。国民の多くがアメリカ軍の威圧の下に何もしようとしない時、「平和に暮らしたい」と基地建設反対を訴える沖縄の人々がいます。かつてユダヤを攻めてきたアッシリアの軍隊から逃れるために、エジプトに頼った人々にイザヤは語りました「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない・・・エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない」(イザヤ31:1-3)。日本の安全保障を何故アメリカの軍事力に頼るのか、アメリカ人も肉に過ぎないではないか。サムソン物語は私たちに、今の日本の国家としての在り方をどう考えるかを、一人一人に迫る物語です。


カテゴリー: - admin @ 07時56分14秒

09 16

1.マルタとマリア

・教会では9月の礼拝は、聖書教育を用いて「士師記」を連続して読む計画を立てていますが、今日は予定の一部を変えて、ルカ福音書から「マルタとマリア」の個所を読んでいきます。8月の女性会誌「世の光」の中でこの個所が取り上げられ、何人かの女性会会員の方から、「食事の奉仕」と「御言葉の奉仕」のどちらが大事かについて議論があったが、聖書は何を語っているかを教えてほしいとの要望があったからです。本日は予定を変えて、ルカ福音書を読んでいきます。
・ルカ福音書「マルタとマリア」の物語は、「善きサマリア人の例え」同様、ルカ福音書だけが伝える物語です。客をもてなすために忙しく立ち働くマルタが、ただ座ってイエスの話を聞いているマリアを「叱って下さい」とイエスに呼びかけ、それに対してイエスが「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」とマルタをたしなめられる場面です。物語はイエスが旅の途中にマルタの家にお入りになることから始まります。「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた」(10:38)。マルタ、マリアの姉妹はエルサレム近郊のベタニヤ村の住人であることがヨハネ福音書から知られています(11:1)。マルタにはラザロという兄弟もいて、イエスはこのマルタ、マリア、ラザロの兄弟たちと親しくされていたようです。
・ルカは、「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」(10:39)と記します。マリアはイエスの足もとに座って、イエスの言葉に耳を傾けていました。姉のマルタは、一行のもてなしのためせわしく立ち働いていましたが、マリアの態度を見て腹を立て、イエスのそばに行って言いました。「主よ、私の姉妹は私だけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」(10:40)。マルタは長女で、一行をもてなすために台所で忙しく立ち働いています。しかしマリアは手伝わない。マリアに対する不満が言葉となって、イエスに伝えられました。それに対してイエスは答えられます「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(10:41-42)。

2.マルタ的生き方の良さと欠点

・多くの人々が、この物語に女性の対照的な二つのタイプを想定します。つまり、マルタ的生き方(行動的、能動的女性)とマリア的生き方(瞑想的、受動的女性)の二つのタイプです。一般的に男性はマリア的女性を好み、それに対して女性はマルタ的女性を支持します。そのため女性会での議論で、ルカ福音書が「イエスがマリアを肯定し、マルタを否定するニューアンスを打ち出している」ことに疑問を呈し、「皆がマリアのようにイエスの足元に座って話を聞いていたら、誰も食事が出来なくなるではないか」、「マルタのようにほかの人のために働く人がいなければ世間はなり立たない」等の反論が出たと聞いています。ドイツのプロテスタント教会では多くの修道女たちが、共同生活をしながら、福祉施設や教会の御用のために働き、その宿泊施設は「マルタの家」と呼ばれるそうです。マリアの家ではなく、「マルタの家」です。
・マルタの反論は当然です。この物語をマルタの立場から読んでみましょう。マルタは、イエスと弟子たちが長旅に疲れ、埃まみれであることを見て、手や足を洗う水を用意し、渇きをいやす飲み物を差し出しました。そして今、食事の支度に忙殺されています。10人を超える人々のためにパンを焼き、野菜を洗い、ぶどう酒を準備し、マルタはてんてこ舞いです。しかし妹のマリアは食事の準備を手伝おうともせず、イエスの足元に座って話を聞いています。だから彼女はイエスに苦情を申し立てます。「主よ、私の姉妹は私だけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」。
・マルタはイエスと弟子たちをもてなすために一生懸命なのに、マリアは手伝おうとはせず、イエスもそれをとがめない。自分の正しさが否定されたという憤りが、マルタの言葉遣いの中に滲み出ています。マルタは世話好きの女性であり、献身的に家のために尽くす一家の主婦でした。身を粉にして家族のために働いているのに誰も評価してくれない、その不満が爆発したのです。この不満は現代の日本においても、主婦の働きが正当に評価されず、多くの女性たちが不満を覚えているのと同じです。家事労働を外部化し、家政婦や介護ヘルパーに仕事を依頼すると、時給1000円以上の支払いが必要で、それを年間に換算すると300万円から400万円になります。主婦はそれだけの仕事をしているのに、世間は外で働く女性をより高く評価し、主婦の評価は低い。主婦の働きによってそれぞれの家庭は維持されているのに、家族からは感謝の言葉もなく、夫からは「それが主婦の役割でしょう」と言われる。もう耐えられない、マルタの言葉に多くの女性が共感するのは当然です。
・イエスはマルタの苦労に気づいておられないわけではありません。イエスは語られます「マルタ、マルタ」、名前を二度呼ぶことの中に、イエスがマルタの気持ちを理解しておられることが読み取れます。ただイエスは彼女の問題点を指摘されます「あなたはあまりにも多くのことに、思い悩み、心を乱している」。「今ここであなたの不平・不満を爆発させて、マリアを同じせわしさの中に引き込むことでは、物事は解決しないのではないか。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」とイエスは語られます。

3.マリア的生き方の必要性

・今日の招詞にルカ8:14を選びました。次のような言葉です。「茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである」。イエスは大勢の人を前に、種まきの喩えを話されました「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。またほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」(ルカ8:5-8)。
・11節以降でその喩えの説明がなされますが、その中の一節が今日の招詞です。「御言葉を聞くが、途中で人生の思いわずらいや富や快楽に覆いふさがれて成長しない」と言われています。「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」とここでもイエスは語られています。イエスにより神の言葉を語られた、しかし福音の種は様々な理由により成長できない。道端に落ちた種は鳥に食べられ、石地に落ちた種は水分の不足で干上がり、せっかく発芽した種も茨に(即ち人生の思いわずらいに)捕らわれてしまい、実を結ぶことができない。イエスは言われます「思いわずらうことをやめ、福音の種に水を与え、日に当たらせ、茨があれば取り除きなさい。そうすれば種は百倍の実を結ぶ」と。
・思いわずらい、世の様々な出来事が私たちの信仰の成長を妨げています。聖書学者の大貫隆は「ルカ14:15-24、盛大な宴会の喩え」の注釈で語ります。「主人が宴席(神の国の食事)に招待しようとしても人々が多忙を理由に断る。最初の人は『畑を見に行かねばなりません』と断り、次の人は『牛を買ったばかりなのでそれを見に行きます』と言い、別の人は『妻を迎えたばかりですので行けません』と答える。日常の時間、つまりクロノスの根強さがここにある。仕事に追われて宴会どころではない。神の国、そんな話を聞いている暇はさらにない。イエスの『今(カイロス)』が、生活者の『クロノス』と衝突し、拒絶される」(大貫隆『イエスという経験』)。
・イエスがマルタに言われたことは「マリアを見習いなさい」ということではなく、「あなたの忙しい仕事を一旦中断して、今は私の話を聞いたらどうか。食べるパンも大事だが、命のパンはもっと大事なのではないか」ということです。「私たちはどこから来て、どこへ行くのか。私たちはなにものか」、いくら考えても正解などなく、私たちは考えることをやめます。それでなくとも忙しい、学校を卒業し、就職し、恋をして結婚する。やがて子供が出来て、小さな家を買い、会社で少しだけ昇進する。そのうち子どもは大きくなり、年老いた両親は介護が必要になる。考えなければいけないことは次から次へ出てくる」(森達也/私たちはどこから来て、どこに行くのか)。
・しかしある時、立ち止まって考えることが必要なのではないか。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ことの意味を考えなければ、思い悩みが御言葉の成長を消してしまう。教会では多くの人が洗礼を受けますが、二年たち三年経つと、いつの間にか教会にいなくなります。この世の思いわずらいや富や快楽への誘惑が、日曜日の礼拝よりも大きな力を持ち、人々の信仰を食い尽くすからです。日本基督教団小岩教会の澤正彦牧師は、学校が日曜日に授業参観をすることにより、娘・澤千恵の礼拝参加が妨げられているとして、小岩小学校の校長を相手に訴訟を起こしました。日曜日訴訟と呼ばれ、昭和57年に起こされたものです。その中で澤牧師は「自分の都合で礼拝を休まない。クリスチャンとはそういう存在だ」だと主張しました。訴訟の妥当性はともかく、礼拝をそこまで大事に守ることは今日の話に通じるものがあると思えます。「人はキリスト者に生まれるのではない、キリスト者になるのだ」(テルトリアヌス)という言葉があります。思いわずらいをいったんやめて、命のパン、神の言葉を食べよ。仕事を一生懸命にすることは大事だが、せめて日曜日は仕事をいったんやめて礼拝に参加する、そうしないと魂が干上がってしまう。イエスがマルタに言われたことはそういうことではないかと思います。


カテゴリー: - admin @ 07時58分05秒

09 09

1.アンモン人との戦いのために立てられたエフタ

・士師記の二回目です。前回に引き続き、士師エフタの物語を読んでいきます。イスラエルは主の前に罪を犯し、主はイスラエルをアンモン人の支配下に放置され、アンモン人はヨルダン川東岸のギレアドを侵略し、川を越えて西岸の地域をも侵し始めました。「敵は、その年から十八年間、イスラエルの人々、ヨルダンの向こう側ギレアドにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめした。アンモン人はヨルダンを渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた」(10:8-9)。
・イスラエルは主に救いを求め、主は彼らを救うためにエフタを士師として選ばれます。このエフタは仲間と徒党を組んで隊商を襲う夜盗集団の頭でした。エフタはギレアドの出身でしたが、遊女の子であったので、故郷を追われてトブの地にいました(11:1-3)。その勇敢さは聞こえていたので、人々は彼に指揮官になるよう頼みます。エフタはギレアデ人の指導者となっても、アンモン人に対して直ちに戦闘を開始しませんでした。彼は先ず、平和的手段で争闘の根を絶とうとしました。彼は使者をアンモン人の王に派遣して、その要求の非をただし、和平交渉をします。11:12-28までは、当時の外交談判の記録です。エフタは平和解決の方法を試みましたが、ギレアデ人の力を侮ったアンモン王は、これを斥けました。ここに至って、「主の霊がエフタに臨んだ」(11:29a)。戦闘の力は、平和の手段が尽きる時に降ります。エフタはアンモン人との戦いに臨みます。「彼はギレアドとマナセを通り、更にギレアドのミツパを通り、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた」(11:29b)。
・しかし強大な敵を打ち負かす自信はありません。彼は戦場に臨むに先だって、神に誓いを立てます「もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰る時、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす献げ物といたします」(11:30-31)。彼が担った責任は、余りに重大でした。彼は自己の力に頼ることができず、そうかと言って、未だ全く神の援助を信じることができませんでした。誓願は人の至情から出るものですが、同時に前後を顧みない無謀な誓いでした。自分の家の者を人身御供に出すから、この戦に勝たせてほしいと嘆願したのです。彼は如何なる犠牲を払っても、この戦争に勝たなければならないと思ったのでしょう。戦争は、大勝利で終わり、強敵は征服され、民の自由は回復されました。そして勇者は、凱旋の栄光を担ってその家に帰りました。ところが、エフタが家に帰ってみると、彼を最初に迎えたのは、彼の娘でした。
・士師記は記します「エフタがミツパにある自分の家に帰った時、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った『ああ、私の娘よ。お前が私を打ちのめし、お前が私を苦しめる者になるとは。私は主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない』」。エフタは娘を生贄として捧げることになってしまいます。彼はおそらく召使を捧げる心積もりであったのでしょう。しかし、現れたのは娘でした。
・娘は悲しみますが、誓願の言葉を破ることは出来ません。彼女は「生贄」として捧げられ、死んで行ったと士師記は記します。「彼女は言った『あなたは主の御前で口を開かれました。私を、その口でおっしゃったとおりにしてください・・・二か月の間、私を自由にしてください。私は友達と共に出かけて山々をさまよい、私が処女のままであることを泣き悲しみたいのです』。二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓い通りに娘を捧げた」(11:36-39)。

2.犠牲の死

・「人はどこから来て、どこへ行くのか。そして何ものなのか」、いくら考えても答えが出ない問いです。私たちは生活の忙しさの中で、普段はそのことを考えません。しかし、自分の命がかかった事態に遭遇すると考えざるを得ません。エフタは戦争という、「負ければ自分は死ぬし、国は亡びる」という極限状況の中で、「勝利の暁には家の者を生贄として捧げます」と誓願してアンモン人との戦いに臨みました。愚かな決断で、そのために彼は娘の命を失ってしまいます。しかし士師記はこれを愚かな出来事とは考えません。内村鑑三は「士師エフタの話〜少女の犠牲」という文の中でこの出来事を語ります。「誓願そのものが、既に間違いであったのです。その成就は、敢えて怪しむに足りません。私共は、エフタの迷信を憐れみましょう。彼の浅慮を責めましょう」と語ります。「しかし」、と彼は続けます「彼の誠実を尊び、彼の志を愛せざるを得ません。燔祭の事実はどうであったとしても、犠牲の事実は、これをおおうことはできません。エフタはここに、凱旋の帰途において、彼の一人の娘を失ったのです。この事によって、彼の高ぶった心は低くされ、誇ろうとした心はへりくだされたことでしょう」(内村鑑三全集第19巻、明治45年6月10日)。
・内村は続けます「彼はたびたびギレアデの首領にならずに、トブの地で彼の一人の娘と共に隠れて、幸福な日を終生送りたかったと願ったでしょう。しかし、幸福は人生最大の獲物ではありません。義務は幸福に優ってさらに貴いのです。義務のゆえに私共は、たびたび幸福を捨てざるを得ません。そして義務のために私共が蒙る損失は、決して損失ではないのです。エフタは彼の幸福を犠牲にして、彼の国を救いました。そしてエフタの娘は彼女の生命を犠牲にして、彼女の父の心を清めました。犠牲なしには、人生は無意味です。もしイスラエルを救うためにはエフタの苦痛が必要であり、そしてエフタ自身を救うためには彼の娘の死が必要であったということであれば、神の聖名は讃美すべきです。エフタは無益に苦しまず、彼の娘は無益に死にませんでした。神はそのようにして人と国とを救われるのです」。この内村の解釈をどう受け止めるかが今日の主題です。
・東京大学・高橋哲哉教授は、「戦前の靖国体制は戦争犠牲者を神として祀ることによって戦争を遂行した。戦後の経済成長も安全保障も『犠牲』の上に成り立っている」と批判します。「福島の原発事故は、原発推進政策に潜む『犠牲』のありかを暴露し、沖縄の普天間基地問題は、日米安保体制における『犠牲』のありかを示した。もはや誰も『知らなかった』とは言えない。沖縄も福島も、中央政治の大問題となり、国民的規模で可視化されたのだから。経済成長や安全保障といった共同体全体の利益のために、誰かを「犠牲」にするシステムは本当に正当化できるのか」と問いかけます(『犠牲のシステム 福島・沖縄』から)。
・そして、高橋氏は内村鑑三に言及します。「祖国のための死を称えることは、日本だけではなく、欧米の近代国民国家もそれをナショナリズムの核とし、戦争を繰り返してきた。キリスト教の犠牲の論理としては、内村鑑三が日露戦争中の1904年に出した『非戦主義者の戦死』や、旧約聖書エフタの物語の中で『犠牲に犠牲、人生は犠牲であります。犠牲なくして人生は無意味であります』と書いている」と批判しました。キリスト教の犠牲の信仰の中核は、「贖罪信仰」であり、キリストの犠牲により救われるとの教えが、内村やその他のキリスト者の犠牲礼賛を生んだと高橋氏は考えています。
・文中に引用されている「非戦主義者の戦死」は1904年日露戦争の時に書かれました。国民すべてに兵役命令が出て、内村の非戦主義に賛同する若い弟子たちに戦争に参加すべきかどうかを問われた時代です。内村は彼らに対して、「博愛を唱うる平和主義者は、この国やかの国のために死なんとはしない。されども戦争そのものの犠牲になって、彼の血をもって人類の罪悪を一部分なりとあがなわんためには、彼は喜んで、神に感謝して、死に就かんとする。彼は彼の殉死によって彼の国人を諌めんと欲し、また同胞の殺伐に快を取る、罪に沈める人類に悔い改めを促さんとする。」と書きました。高橋哲哉氏はこの内村の考え方こそ「犠牲のシステムを推進した」と批判するのです。

3.私たちはこの物語をどう読むか

・今日の招詞に第一ヨハネ3:16を選びました。次のような言葉です「イエスは、私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです」。ヨハネにとっては「愛し合う」とは「相手のために命を捨てる」ことであり、その根拠は「イエスが私たちのために命を捨てて」下さったという贖罪愛にあります。キリスト教の根本教理は、「贖罪による救い」です。神の子が私たちのために死んでくださった、だから私たちも他者のために死んでいこうと信仰です。人間の愛は常に自己の利益を求めて相手を裏切りますが、神の愛はその裏切り続ける者のために死ぬ愛です。神の子が自分のために死んでくれた、そのことを知った時、私たちはもう以前のような生き方は出来ない。この贖罪愛が私たちをキリスト者にします。
・この贖罪の信仰は理性で理解することが難しい事柄です。だから高橋氏のような批判が出てきます。それは自分が血を流して体験した時に初めてわかる信仰です。「宝島」や「ジキルとハイド」を書いた作家のロバート・スティーヴンスンは、ある時、らい病者たちが収容されたハワイのモロカイ島を訪れます。島では、ダミアン神父がライ病者救済のために働き、神父死後は修道院のシスターたちがらい病者の世話をしていました。島を訪れた彼は次のような詩を歌います「この所には哀れなことが限りなくある。手足は切り落とされ、顔は形がくずれ、さいまれながらも、微笑む、罪のない忍苦の人。それを見て愚か者は神なしと言いたくなろう」。なぜ、らい病のような忌まわしい病気があるのかわかりません。不信仰者はそれを見て「神はどこにいるのか」とうそぶきます。
・しかし、彼は続けます「もう一度見つめるならば、苦痛の胸からも、うるわしさ湧き来たりて、目に留まるは歎きの浜で看取りする姉妹たち。そして愚か者でも口をつぐみ、神を拝む」(スティーヴンスン「旅の歌」より)。らい病者のために自分の生涯を捧げる人がいます。この人たちこそ、キリストの贖罪死に心動かされたキリストにある愚者です。この世は神がいないかのように悪で満ちている社会です。不条理の中で多くの涙があります。その中で世の力に迎合しよとせず、キリストの苦難と連帯しようとする人々がいます。そのような人を通して、「神を見た者は、まだ一人もいない。もし私たちが互に愛し合うなら、神は私たちのうちにいまし、神の愛が私たちのうちに全うされる」(第一ヨハネ4:12)という言葉が成就します。知性や理性を超えた信仰の力、贖罪愛こそが、私たちが証ししていくべきものなのです。


カテゴリー: - admin @ 08時15分09秒

09 02

1.士師記とはどのような書か

・創世記の学びを終え、9月には士師記を読んでいきます。皆さんの中には、士師記を読んだことがないという人もおられるでしょうが、そこにも大事な使信があります。士師はヘブル語で「ショフェティーム」、英語では「Judges」と呼ばれ、裁き司、治める者という意味です。エジプトを脱出したイスラエルが約束の地に入り、ダビデ・ソロモンの統一王朝を形成するまでの250年間の苦難の歴史が、指導者「士師」の物語を通して、描かれています。
・イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを出て(出エジプト)、神が与えると約束された地に向かって歩んで行き、やがてモーセは死に、後継者ヨシュアに率いられて、民は約束の地カナンに入ります。約束の地と言っても、そこには先住民族が住んでおり、イスラエルは彼らと戦いながら、土地を獲得しなければなりませんでした。しかし、鉄製の武器を持ち、城壁で守られた都市を攻略することは難しく、当初は人があまり住んでいない山地に入り、そこに定着を始めたと言われています(1:19)。
・神が与えると約束された土地をイスラエルは占領することが出来ませんでした。歴史的には武力に勝る敵を追い払えなかったということでしょうが、士師記はそれを「神を信頼しない」不信仰の故と記します(2:1-3)。戦いを通して、イスラエルはカナンの地に少しずつ足場を築いていきますが、周辺部族からの絶え間ない侵略に常に悩まされます。士師記はそれを「民が主を忘れ、罪を犯した時に、裁きとして略奪者が送られた」と理解しています(2:14)。

2.ギレアドの苦難

・異邦人の侵略に悩んだ民の一つがギレアドの民です。主の前に罪を犯したイスラエルを、主はアンモン人の支配下に放置されたと士師記は語ります。「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行い、バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた・・・主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された」(10:6-7)。アンモン人はヨルダン川東岸のギレアドを侵略し、さらには川を越えて西岸の地域をも侵し始めます「敵は・・・十八年間、イスラエルの人々、ヨルダンの向こう側ギレアドにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめした。アンモン人はヨルダンを渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた」(10:8-9)。
・イスラエルは救いを求めますが、主は拒否されます「バアルやアシュトレトの偶像の神を拝んでいるのなら、その神々に救いを求めればよいではないか」。しかし、イスラエルなおも救済者を求め、主は彼らを救うためにエフタを選ばれます。エフタは隊商を襲う夜盗集団の頭でしたが、その勇敢さは聞こえていたので、人々は彼に指揮官になるよう頼みます。「帰って来てください。私たちの指揮官になっていただければ、私たちもアンモンの人々と戦えます」(11:6)。
・エフタはギレアド出身でしたが、遊女の子であったため、故郷を追われてトブの地にいたと士師記は記します(11:1-3)。その自分を追放した町の人たちが、自分が困ると助けを乞いに来る。エフタは当初は指導者になることを断ります。「あなたたちは私をのけ者にし、父の家から追い出したではありませんか。困ったことになったからと言って、今ごろなぜ私のところに来るのですか」。しかし度重なる要請にやむを得ず、承諾します。

3.戦いのために立てられたエフタ

・エフタはギレアドの指導者となり、民のために、アンモン人と戦う準備をします「エフタはギレアドの長老たちと同行した。民は彼を自分たちの頭とし、指揮官として立てた』(11:11)。やがてエフタはアンモン軍と戦い、これを撃破し、ギレアドの地を守りますが、そのために取り返しのつかない犠牲を払うことになります。それが娘を生贄として捧げる出来事です。エフタは故郷の人々の懇願を受け入れ、アンモン人との戦いに臨みますが、勝つ自信が持てません。そのため彼は「勝利の暁には家の者を生贄として捧げます」と誓願します。「もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰る時、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす献げ物といたします」(11:30-31)。
・彼はおそらく召使を捧げる心積もりであったのでしょう。召使ならば死んでも良いと思ったのでしょう。戦いはエフタの勝利になり、エフタが家に帰ってみると、彼を最初に迎えたのは、彼の娘でした。「エフタがミツパにある自分の家に帰った時、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った『ああ、私の娘よ。お前が私を打ちのめし、お前が私を苦しめる者になるとは。私は主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない』」(11:34-35)。娘は悲しみますが誓願の言葉を破ることは出来ません。彼女は「生贄」として捧げられ、死んで行きました(11:36-39)。

3.罪の縄目の中で

・今日の招詞に士師記21:25を選びました。次のような言葉です「そのころイスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。アブラハムが息子イサクを生贄として捧げよと命じられた時、主は備えの羊を送ってそれを止めさせられました(創世記22:10-15)。しかし、今回は何もされません。アブラハムのイサク奉献との違いはどこにあるのでしょうか。アブラハムは何十年間もの祈りの結果与えられた子であるイサクを、「生贄として捧げよ」と命じられます。アブラハムには主の御心がわかりません。しかし、一言も反論せず、主の命に従います。彼はイサクを連れてモリヤの山に向かい、途中でイサクは父に尋ねます「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」。それに対してアブラハムは応えます「子よ、必要なものは神が備えて下さる」(創世記22:8)。しかし、エフタは「誓願」という形で神と取引し、その罪を問われました。
・礼拝学者のジョン・バークハートは、人は何故礼拝するかについて語ります「私たちが生きている社会は、ほとんどすべての価値が『それは何の役にたつか』という尺度によって測られている・・・私たちの中の多くは、この世は『役に立つ』ものと『役に立たない』ものの二種類に分類できると考えている」。エフタは神が役に立つと信じるゆえに、捧げものと引き換えに神の恩恵を求めました。彼は神を利用しようとした罪の結果を突きつけられたのです。しかも追い詰められても悔い改めることをしなかった。バークハートは続けます「神をまるで私たちの目的を達成するための手段であるかのように取り扱うことは、私たち自身が神であると思い込むことに他ならない」(越川弘英「今礼拝を考える」p29-30)。
・本当に意味のある捧げものとは自分自身を捧げることです。かつてモーセは罪を起こした民衆を救うために祈りました「この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこの私をあなたが書き記された書の中から消し去ってください」(出エジプト記32:31-32)。仮に、エフタが「娘を助けて下さい。そのためには私の命を消し去ってもかまいません」と祈れば、主はおそらく許されたでしょう。エフタに欠けていたものは「神は憐れみ深い」という信仰です。エフタは「神に為した誓願は守らなければいけない」と自分の正しさに固執し、神の正しさと憐れみに物事を委ねなかった。そのことが娘を殺したのです。
・士師記の物語は当時の悪の現実、イスラエルに王がなかった時代、それぞれめいめいがどのように、自己満足的に生きていたか、その堕落の極み、偶像礼拝、不品行、内乱の状況を描いています。私たちが神を離れ、自分の心の基準に従って歩みだすと、結果的には、悪と混乱を極めていく他はありません。人間が「自分の目に正しいと見える」ことを行う時、その必然的な結果は暴力的な混沌なのです。士師記の物語をそのことを私たちに告げます。・聖書でいう罪=ハマルテイアとは、「的から外れる」という意味です。的から外れる、神なしに生きるという意味です。神なき世界では、人間は人間しか見えません。他者が自分より良いものを持っていればそれが欲しくなり(=貪り)、他者が自分より高く評価されれば妬ましくなり(=妬み)、他者が自分に危害を加えれば恨みます(=恨み)。神なき世界では、この貪りや妬み、恨みという人間の本性がむき出しになり、それが他者との争いを生み出していき、世は弱肉強食の、食うか食われるかの世界になります。士師記の「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」ことによる混乱はそのことを示唆するのです。バークハートを紹介した越川先生は語ります「礼拝とは何かを獲得するために人々が集まる場ではなく、私たちに本当に必要なものが既に与えられていることを知って感謝する人々の集いなのです」(同p32)。


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08 26

1.アブラハムの死とイサク、イシマエル

・創世記からアブラハム物語を読んできました。今日が最終回です。創世記はアブラハムがサラの死後、再び妻をめとり、6人の子を生んだと記します「アブラハムは、再び妻をめとった。その名はケトラといった。彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ」(25:1-2)。これは現代の私たちから見れば違和感がある記事です。長年連れ添った妻サラが死に、子イサクも妻を迎え、アブラハム自身も老年になったのに何故と思います。しかし25章26節「リベカが子供を産んだ時、イサクは60歳であった」と記してありますから、アブラハムが死ぬ時、まだイサクに子が与えられていません。アブラハムとしては生命の継承のために、再婚してさらに子を産むことが必要だったと判断したのかもしれません。
・側室に子が生まれた時、アブラハムはその全財産をイサクに譲り、他の子供たちには贈り物を与えて、イサクから分離させたと創世記は記します。「アブラハムは、全財産をイサクに譲った。側女の子供たちには贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけた」(25:5-6)。死後に不要な相続争いが起こらないようにする配慮でした。イサクこそ主に「約束された後継者」であったのです。アブラハムは天寿を全うし、175歳で死んだと創世記は記します「アブラハムの生涯は百七十五年であった。アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」(25:7-8)。古代の人々にとって長寿を全うし、子供たちに見送られて、先祖の列に加えられることが、「安らかな死」でした。
・現代の私たちは、病院での延命治療、孤独死、心のこもらない葬儀、死んだ後の墓の荒廃(無縁墓)に直面しています。教会の役割の一つは、共同体の成員に、「安らかな死と死後の慰めの継続」を与えることです。だから教会は独自の墓地を持ちます。パウロは記します「私たちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(ローマ14:7-9)。生きる時も、死ぬ時も主のため、これが生かされている信仰者の務めです。
・アブラハムはイサクとイシマエルの二人の子により、サラと同じ墓に葬られました。「息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた」(25:9-10)。彼の死を契機に、対立していた兄弟の和解が為されたと創世記は伝えます。イスラエルの族長としての継承者はイサクでしたが、神はイシマエルも祝福し、イシマエルも多くの民の祖となっていきます。彼もまた神の恵みの中にあったのです。創世記は記します「サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イシュマエルの系図は次のとおりである・・・彼らはそれぞれの部族の十二人の首長であった。イシュマエルの生涯は百三十七年であった。彼は息を引き取り、死んで先祖の列に加えられた」(25:12-17)。

2. 人の死と土地

・アブラハムはあなたに約束の地を与えるとの神の招きを受けて、故郷メソポタミヤを離れ、カナンの地に向かいました。60年の時が流れ、その地で、先に妻サラが年老いて死に、アブラハムは彼女のために墓地を購入しました (23:16-18)。やがてアブラハムも年老いて死に、彼の遺骸は妻サラが眠るマクペラの洞穴に葬られました。この土地が約束の地でアブラハムに与えられた最初の、そして唯一の土地でした。アブラハムは地上では寄留民であることを表明しましたが、この地上に死者のための墓地を購入し、アブラハム(25:10)もイサク(35:28)もヤコブ(49:29)もこの墓地に埋葬されます。
・アブラハムは満足して死んだと思われます。人はこの世では寄留者であり、自分を葬るための一片の土地があれば、それで十分だからです。旧約の人々は復活を知りません。彼らにとって死者の存在の唯一のしるしは遺骨です。自分の遺骨がどこに葬られるかは、重要な問題でした。だからアブラハムは価格交渉をせずに相手の言い分を飲み、土地を買い、やがて子イサク(35:28)も孫ヤコブ(49:29)も死に、この墓地に埋葬されます。アブラハムのひ孫ヨセフも、エジプトに住んでいたにも関わらず、臨終に際して「自分の遺骨を約束の地、父祖の墓に葬る」ように命じて死にます。それから300年後、モーセはエジプトを出る時にヨセフの骨を携え、ヨセフの骨を先祖代々の墓に葬ったとあります(出エジプト記13:19)。

3.人がこの世に残すものは何か

・今日の招詞に創世記12:1-3を選びました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」。私たちはこの世では寄留者、仮住まいの身です。信仰の祖と呼ばれたアブラハムが地上で手に入れたのは、妻と自分を葬るための小さな墓所のみでした(創世記25:10)。しかしアブラハムは「人生に満ち足りて死にました」。
・アブラハムは財産こそ残しませんでしたが、多くの命を残しました。創世記25章には三つの系図があります。基本はサラから生まれたイサクの系図で25:19以下に記してあります。二番目が側女のハガルから生まれたイシマエルの系図で、25章12節以下にあります。三番目がケトラから生まれた6人の子供たちの系図です(25:1-4)。創世記を記したイスラエルの民は、周辺諸民族を自分たちと同じアブラハムを父とする兄弟たちだと理解し、それこそがアブラハムに与えられた祝福「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」ことの成就だと考えたのです。
・アブラハム物語に一貫して流れているテーマは命の継承です。子が生まれ、子と両親の命が死の危険から守られていくこと、そして新しい命の誕生により一族の生命が継承されていくことに、創世記記者は神の祝福を見ています。未来は子の誕生の中に組み込まれています。この素朴な生命継承の喜びを現代人も取り返す必要があります。現代日本においては年間20万件から30万件の人工妊娠中絶が為されています(2000年34万件、2013年18万件)。死因のがんや心臓病を抜いて圧倒的なトップです。人口減少社会において最大の少子化対策は、中絶しなくてもよい社会環境の整備です。国がそれを行わないのなら、自分たちに出来ることをしようとして立ち上がったのが、熊本にありますカトリック病院・慈恵病院です。
・慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を創設しました。院長の蓮田太二氏は語ります「18歳の少女が産み落としたばかりの赤ちゃんを殺して庭に埋めるという事件や、21歳の学生がトイレで赤ちゃんを産み落とし、窒息させ実刑判決を受けるなどといった痛ましい事件が発生しました。神様から授かった尊い命を何とかして助けることができなかったのか、赤ちゃんを産んだ母親もまた救うことができたのではなかろうか、という悔しい思いをし、どうしても赤ちゃんを育てられないと悩む女性が、最終的な問題解決として赤ちゃんを預ける所があれば、母子共に救われると考え、開設しました」。
・それから10年経ちましたが、「こうのとりのゆりかご」は全国的な広がりを見せていません。24時間常駐できる医師や看護師が確保できないことと、行政の高くて厚い壁があるからです。厚労省の責任者は語ります「(子捨てが)あってはならないという認識は一切変わっていない。(ゆりかごは)一般化すべきではない」、現実を見ない考え方です。熊本市が2015年に発表した検証報告書によると、開設から8年の間に救うことができた命は112人。112人の子どものうち、18人が家庭に、30人が施設に、29人が特別養子縁組により新しい家族のもとへ、19人が里親に引き取られました。また慈恵病院が併殺している電話相談には10年間で2万件の相談があり、その9割は県外からだと言います。良し悪しは別にして、現代の日本では、このような受け皿は必要なのです。ドイツでは赤ちゃんポストは法制化されて、全国に100か所のポストが造られ、相談窓口は1500か所にもなります(NHK新書「何故わが子を捨てるのか」)。日本でも可能なはずだとして、慈恵病院は繰り返し行政側に働きかけています。「神から授かった尊い命を何とかして助けたい」という祈りがそこにあります。
・私たちは何故聖書を読むのでしょうか、創世記25章を読んで、「命の継承の大事さがわかった」というだけでは十分ではありません。ヤコブは語ります「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません・・・行いが伴わないなら信仰はそれだけでは死んだものです」(ヤコブ1:22、2:17))。最初の行動はまず「関心を持つ」ことです。中絶や子棄てについての様々な情報が、書籍やネットにあります。そして命の継承に無関心な社会にあって、自分たちの出来ることをしていこうとする人々がいることを知ります。では私たちは何をなしうるのか、「御言葉を行う人になりなさい」との言葉は何を求めているかを知り、できることをやり始めます。その後、神が行為されます。篠崎キリスト教会の今年の目標は、教会に何ができるかを知り、それに向けての一歩を歩み始めることです。私たちはアブラハムの末として、人々に「祝福をもたらす者」とされているのです。


カテゴリー: - admin @ 08時18分33秒

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