すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

説教内検索

08 31

1.旅人であり仮住まいの人々への手紙

・今日は聖書日課の示すところに従い、ペテロの手紙を読みます。ペテロの手紙は、ペテロが弟子シルワノ(使徒言行録ではシラスと呼ばれています)に口述筆記させて書いた手紙と言われています(5:12)。ペテロはローマから、アジア州に住む異邦人改宗者にあてて手紙を書きました。彼らが迫害の中にあって苦しんでいたからです。異教社会の中でクリスチャンになることは、時には、地域共同体から孤立し、苦難を受けることを意味します。何故ならば信仰者の生き方は世の人々と異なるからです。その彼らにペテロは書きます「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れる時には、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」(1:6-7)。あなた方の受ける試練が天に宝を積む、だからその苦しみを耐えなさいとペテロは言います。ペテロの手紙のあて先となったアジア州のキリスト者と、私たち日本に生きるキリスト者は似た状況に置かれています。共に、少数派であり、信仰を表に出して生きれば、苦難が与えられる可能性があるからです。異教社会の中で私たちはどのように生きるべきか、今日はペテロの手紙第2章から聞いていきます。 (続き…)


カテゴリー: - admin @ 09時00分26秒

08 24

1.姦淫は隣人をむさぼる故に罪である。

・この4月から、第四主日は、私(水口仁平)が、マタイによる福音書の山上の説教から、主要なテーマを順を追って話してきました。今日はその五回目で、主題は「姦淫してはいけない」です。「姦淫」と言う言葉を辞書で引きますと「男女が不倫な肉体関係を結ぶこと、あるいは個人の性的自由を侵害する犯罪」とあります。しかし、イスラエルの律法の基本であります十戒では「姦淫するな」という戒め(第七戒)は、「隣人の妻を貪るな」という戒め(第十戒)と共に読まれてきました。姦淫が罪になるのは相手の女性が人妻の場合だけであり、それは夫の所有物に対する侵害として禁じられたのであり、不倫あるいは自分の妻への不貞として禁じられたわけではありませんでした。つまり、人に対する罪ではなく、財産あるいは所有権に対する罪として禁じられていたのです。 (続き…)


カテゴリー: - admin @ 13時43分01秒

08 24

1.ルカによる「失われた羊の例え」

・昨日はマタイ18:12-14から「迷い出た羊の例え」を学びました。教会でつまずいて、あるいは自分の問題が重くなりすぎて、教会に戻れない人をどこまでも探しに行くのが主の御心であり、教会は「去るものは日々に疎し」という世の慣習には従わないことを学びました。今日は同じ例えの裏返し、ルカ「失われた羊の例え」から聞いていきます。ルカ版では次のような内容になっています。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(15:4-7)。 (続き…)


カテゴリー: - admin @ 13時41分54秒

08 24

1.迷いでた一匹の羊の例え

・マタイ福音書18章12-14節は「迷い出た羊の例え」です。新共同訳では次のようにあります「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」。同じ例えがルカ福音書15章4-7節にもありますが、ルカでは「見失った羊」となっています。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」。今日の奨励では、このマタイ福音書を基本にしてメッセージを聞き、明日の奨励ではルカ福音書からメッセージを聞きたいと思います。 (続き…)


カテゴリー: - admin @ 13時40分47秒

08 17

1.人は戦争をやめることが出来ないのだろうか

・8月は私たち日本人にとって悔い改めの月です。かつて私たちは中国や韓国に侵略し、その結果として太平洋戦争が起こり、日本人は打ち砕かれて、1945年8月15日に敗戦しました。私たちは8月15日を敗戦記念日として、奢り高ぶった日本人を神が撃たれた日として覚えたいと思います。日本の国土は焼け野原となり、戦争を指導した人たちは犯罪者として裁かれました。ちょうど、神がイスラエルを裁くために、最初はアッシリアを、次にはバビロニアを用いて、イスラエルを撃たれたようにです。その悔い改めの上に立って、私たちはもう戦争をしないことを誓い、平和憲法を制定しました、それから60年の時が流れました。平和礼拝のこの日、平和の意味を、私たちは聖書から聞いていきます。与えられたテキストはエペソ5章です。 (続き…)


カテゴリー: - admin @ 08時46分56秒

24 queries. 0.041 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress