すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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07 22

1.ソドムの滅亡

・先週に続いて、創世記からソドム滅亡物語を学びます。ソドムの話は新約聖書にも繰り返し出てきます。イエスはガリラヤ湖沿いの町カペナウムで宣教を始められましたが、人々はイエスを受け入れようとしませんでした。そのカペナウの人々にイエスは言われます「カペナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済む」(マタイ11:23-24)。罪のために滅ぼされたソドムの町の方が、イエスを拒絶するカペナウムよりも罪は軽いと言われたのです。ここに出てくるソドムの滅亡が今日の主題です。
・アブラハムの時代、紀元前2000年頃、死海沿岸にソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイム、ゾアルの五つの都市があり、考古学者たちは、それらの町々が大規模な地殻変動のために湖底に沈んだと推測しています。死海は南北に長い湖で、大きさは琵琶湖の2倍ほどです。そこは水面下400メートルの低地帯であり、ヨルダン川から水が注がれますが、高温によって蒸発するため、湖の塩分濃度が異常に高く、聖書では「塩の海」とも呼ばれています。死海の沿岸には岩塩やアスファルト、硫黄が蓄積し、おそらくは地震により地層内部のガス爆発が起こり、アスファルトや硫黄に点火し、大爆発と大火災が起き、低地全体が消失し、その後の地殻変動により死海の水が低地を覆うに至ったのではないかと推測されています。死海は紅海、エチオピヤ、ケニヤへと続くアフリカ大地溝帯(地の割れ目)の上にあり、地溝沿いでは現在でも活発な地震活動と火山活動が続いていることもその推測を裏付けます。
・ソドムにはロトが住んでいました。彼はアブラハムの甥で、幼い頃に父親を亡くし、叔父であるアブラハム夫妻の許で育てられ、彼らと行動を共にしていました(12:5)。しかし、彼自身が神からの召しを受けたわけではなく、彼はただ叔父アブラハムに従って生きているだけでした。その後、アブラハムとロトの飼っている羊がそれぞれ多くなって、共用の井戸では水がまかなえず、羊飼いたちが争うという事態が起こり、アブラハムは「お前が好きな土地を選びなさい。私たちは別れて暮らそう」と提案します(13:9)。ロトは、その提案を受けて、高台から見える豊かな土地を選びました。それがソドムの地でした。その地域は鉱石の出る山があり、岩塩も取れ、建築材料になるアスファルトなども取れて、天然資源の豊かな地だったのです。ロトは苦労の多い遊牧生活を捨てて、都市生活者になることを選び、ソドムで結婚をし、子供をもうけ、町の人間になっていました。
・そのソドムの町に主の御使が到着します。町の門にいたロトは彼らを出迎えて、「どうぞ私の家にお泊りください」と勧めます(19:1-2)。二人は「広場で夜を過ごします」と辞退しますが、ロトは強いて二人を家に招きます。町の治安が良くないことを知っているからです。案の定、夜になると町の人々が押しかけて来て「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから」とわめきます(19:5)、「なぶりものにする」、口語訳では「彼らを知る」と訳されています。二人の御使が若く、美しかったので、「性的に知りたい」と要求してきたのです。ここから男性同士の同性愛のことを「ソドミー」と呼ぶようになります。ソドムの町は風紀が乱れ、悪徳と無信仰の象徴的な町でした。
・ロトは客人を差し出すこと拒否します。すると町の男たちは怒って叫び始めます「そこをどけ。こいつは、よそ者のくせに、指図などして」(19:9)。ロトは20年近くソドムに住んでいましたが、まだ町の人々の本当の信頼を勝ち得ていなかったことが示されています。二人の御使はソドムの罪が極限にまで達しているのを確認し、暴徒たちの目を見えなくし、町を滅ぼすことを決意します。そしてロトに「家族を連れて逃げなさい、この町は滅ぼされるから」(19:15)と督促します。ロトには既に婚約した娘たちがおり、婿たちの家に急いで行き、一緒に逃げようと誘いますが、婿たちはロトの話を間に受けず、断ります。ロトは親戚からも信頼されていないことがここに明らかになります。

2.ロトと家族の避難

・日の出と共に裁きが始まりました。御使たちはロトに急ぐように言いますが、ロトはためらいます。本当に町が滅ぼされるのかどうか半信半疑なのです。御使たちはそのようなロトを急かし、言います「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる」(19:19)。「命がけで逃れよ」、原文では、「あなたの命のために逃げよ」となっています。7年前の東北大震災では、津波はここまでは来ないと判断して、逃げ遅れて亡くなった方が大勢出ました。今回の集中豪雨による洪水もそうでした。まさかここまでは来ないだろう、との油断が多くの命を喪失させました。「あなたの命のために逃げよ」という言葉はまさに数々の災害が残した教訓です。しかし、ロトは抗弁します「主よ、できません。あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、私は山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。御覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います・・・どうか、そこで私の命を救ってください」(19:18-20)。死海沿岸の五つの町のうち、ゾアルだけが消失をまぬがれています。
・いよいよ主の裁きが始まります。創世記は記します「太陽が地上に昇った時、ロトはツォアル(ゾアル)に着いた。主は、ソドムとゴモラの上に天から、硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした」(19:23-25)。ここに太古に起こった実際の災害の遥かな記憶が残されています。逃げる中で「ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった」(19:26)。ロトの妻は出てきた場所を振り返り、逃げ遅れました。東北大震災でも、家族が避難できたかが気になって自宅に戻り、そこに津波が押し寄せて亡くなられた方も多いと聞きます。一瞬の判断ミスがロトの妻の命を奪いました。ルカ福音書のイエスはロトの妻について言及されています「ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は・・・下に降りてはならない・・・畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。」(ルカ17:28-32)。現代では「ロトの妻を見なさい」という言葉は、「失ったものを振り返るな」という戒めになっています。

3.アブラハムの執り成し

・ソドム滅亡物語は原因譚物語です。かつて栄えたソドムの町が何故滅亡したのか、人々はそこにソドムの罪をみて伝承化し、それを創世記記者が、アブラハムとロトの物語として編集したのでしょう。ソドム滅亡はおそらく地震によるものと思われますが、イスラエル人たちは神の裁きと理解し、物語化したのです。しかし創世記の記すソドム物語の主題は、ソドムの裁きと滅びではなく、その滅びの中からロトとその家族が救いだされたことにあります。今日の招詞に創世記18:32を選びました。次のような言葉です「アブラハムは言った『主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません』。主は言われた。『その十人のために私は滅ぼさない』」。
・ソドム物語は18章16節から始まっています。アブラハムの元に主の御使が来て言います「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が、果たして、私に届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう」(18:20-21)。主はソドムを滅ぼす予定であることをアブラハムに告げられ、それに対してアブラハムは執り成し始めます「あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか」(18:23-24)。ソドムにはアブラハムの甥ロト一族が住んでいましたので、ソドムの滅亡はアブラハムには他人ごとではなかったのです。主は「その五十人のために町を赦す」と言われます。アブラハムはその後、「45人ではどうか」、「40人では」、「30人では」、「20人では」と問いかけ、最後に「10人の正しい者がいれば滅ぼさない」との主の約束を取り付けます。
・裁きの結末を創世記記者は記します「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された」(19:29)。ロトが正しい人であったからではなく、アブラハムがロトのために執り成ししたゆえに、主はロトを救いだされたと創世記は記します。このことは私たちにも勇気を与えます。私たちが隣人の執り成しを祈る時、その祈りを神は聞かれているとの確信です。一人の人が信仰に生き、家族のために祈り続けた時、その家族もまた救われていくのです。
・19章後半はロトの救われた二人の娘から、新しい命が生まれたことを伝えます。その方法は、現代的にいえば近親相姦です。ロトの娘たちは言います「父も年老いてきました。この辺りには、世のしきたりに従って、私たちのところへ来てくれる男の人はいません。さあ、父にぶどう酒を飲ませ、床を共にし、父から子種を受けましょう」(19:31-32)。娘たちは自分たちの未来を拓くために非常手段をとった、そして創世記記者はその娘たちからモアブ人が生まれ、アンモン人が生まれたことを神の祝福として記述します。倫理を超えたダイナミックな生の物語がここにあります。命が残された、生かされた者から新しい命が生まれてきた、ソドム物語が伝えるダイナミックな福音を私たちは今日覚えます。広瀬弘忠先生(東京女子大名誉教授)が東北大震災に関連して、「被災者よりサバイバーとして生きよ」という短文を朝日新聞に寄せています(2011.6.21夕刊)。彼は言います「被災者、避難者という言葉には、自らは無力な被支援者だという禁欲的な自己規定がある。そうではなく、彼らは災害からのサバイバーである。ここでいうサバイバーとは、生きることを積極的に捉えて生き続ける者という意味だ。サバイバーは、生死の境をくぐり抜けて新たな命を獲得した者である」。「自分たちは災害の中から救い出された、自分たちは死ぬべき命を生かされた、そのことを大切にして生きよ」と広瀬先生は言われます。過去に何があったかを問うのではなく、これからどう生きるかが私たちの課題です。創世記19章の中心テーマはソドムの滅びではなく、ロトの救済であったことを再確認する時に、私たちは過去に目を向けて生きるのではなく、将来を主に委ねて生きる力が与えられるのです。


カテゴリー: - admin @ 08時03分19秒

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