すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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08 06

1.洪水伝承

・創世記を読み続けています。今日から3回にわたって「ノアの洪水物語」を見ていきます。洪水伝説は世界各地に伝わっています。おそらくは氷河期末期に起こった地球温暖化により世界各地で氷河が融けて大洪水が起こり、その記憶が伝説となって伝わったものと思われます。あるいは地殻変動に伴う津波で大洪水が起きたのかもしれません。世界各地に伝わっているということは、何度も異なる場所で大洪水が起きたことを想起させます。その大洪水に関する最古の資料が1872年にバビロニアの遺跡から発見された「ギルガメシュ叙事詩」で、5千年前にさかのぼるとされます。考古学者はこの叙事詩が創世記ノアの洪水物語の底本になったとみています。
・創世記の洪水物語は6章5節から始まります。創世記は語ります「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた『私は人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。私はこれらを造ったことを後悔する』」(6:5-7)。すべてが「良し」として創造された世界なのに(1:31)、いまや人は自分が神になろうとして、隣人を支配し、搾取する存在になり果てている。その事実を神は見られ、この世界をいったん滅ぼすことを決意されたと創世記記者は記します。
・創世記は6章9節から祭司資料と呼ばれる記事になります。記事を書いたのはバビロン捕囚期のユダの祭司たちで、彼らはイスラエルが滅亡し、自分たちが捕囚としてこのバビロンに流されたのは、自分たちが犯した罪の故だと考えています。彼らはバビロンの地でギルガメシュ物語を読み、そこにある洪水伝承を自分たちの物語として読み取りました。6:11-13にその罪責告白があります「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた『すべて肉なるものを終わらせる時が私の前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、私は地もろとも彼らを滅ぼす』」。捕囚地の祭司たちは自分たちの罪の現実を洪水物語という形で記述しているのです。しかし同時に、彼らは「神は一人の正しい者(ノア)に眼を留められ、彼を通して世界を再創造された」と記します。神が「すべて肉なるものを終わらせる」と宣言されたにもかかわらず、ノアを助けて下さったように、自分たちもいつの日か罪を赦されて故国に帰ることができる、その希望がノアの生存に託されています。
・この理解の根拠は箱舟の大きさです。神が指示された箱舟の大きさは、滅ぼされたエルサレム神殿の大きさとまるで同じなのです。創世記は記します「箱舟の長さを三百アンマ(135メートル)、幅を五十アンマ(22.5メートル)、高さを三十アンマ(13.5メートル)にし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい」(6:3-5)。エゼキエル書40-43章、列王記上6-7章に示されるエルサレム神殿と同じ大きさです。創世記記者(祭司資料記者)は箱舟の大きさをエルサレム神殿と同じくすることによって、箱舟建設の中にエルサレム神殿の再建、捕囚からの解放を祈願しています。その箱舟にはすべての生き物のつがいが一組ずつ入るように命じられます(6:17-22)。

2.洪水の始まり

・洪水の具体的な記事は創世記7章10節から始まります。「七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」(7:10-11)。いよいよ雨が降り始めます。創世記は記します「雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた」(7:12-16)。「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた」、ノア一族と動物たちの箱舟生活が始まったのです。
・他方、箱舟の外では洪水が荒れ狂っています。創世記記者は書きます「地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った」(7:21-23)。ノアと箱舟にいたものたちを除いて、すべての生き物が死に絶えるという悲惨な出来事が起こされたのです。

3.晴れた日に箱舟を造る

・今日の招詞にマタイ24:37-39を選びました。次のような言葉です「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである」。ノアは晴れた日に洪水に備えて箱舟を造り、周りの人々はノアを嘲笑しました。「どこに洪水の兆候があるのか」、嘲笑した人々は残らず死んだとイエスが語られています。
・今日科学者の間で「ノアの箱舟」の再評価が起きています。地球温暖化により氷河や凍土が解け、海水面が上昇し、再び大洪水が起こることが懸念されているからです。また温暖化による海水温の上昇で、気象変動が激しくなっています。政府の調査では、「日本の年平均気温は19世紀末以降1.1度上昇し、温室効果ガスの排出が多いままだと今世紀末には20世紀末より4.4度上昇する。その結果、洪水、水害については、時間雨量が50ミリを超える短時間豪雨や総雨量が1000ミリを超える豪雨は現在より頻繁に発生して、降雨総量も今世紀末には最大3割増加し、防水施設の能力を超えた水害が頻発する。また高温による死亡リスクは、今世紀末には最大3.7倍になり、熱中症は、今世紀半ばに全国の大半の地域で搬送者が2倍以上になる」と予測されています(2015.10.23「気候変動の影響への適応計画」)。もはや「晴れた日に箱舟を造る」ノアを笑えない現実が来つつあるのです。招詞の言葉は、イエスが「人は危機が迫らないと行動しない。あなたがたも洪水=終末に向けて備えるように促して」おられるのです。
・私たち日本人も2011年3月11日に千年に一度ともいわれる大津波(大洪水)を経験しました。太平洋沖で起こった大地震が三陸海岸に大津波を起こし、2万人近い方が亡くなりました。マグネチユ−ド9の強大な地震エネルギ−は東北沿岸部を呑みこむ津波となり、地上の家や自動車を、まるで籾殻のようにもてあそんで、多くの人命を奪いました。私たちは津波の映像を見て大きな衝撃を受けました。そして思いました「神はなぜこのような災害を私たちに与えられるのか。亡くなった人たちはそうでない人々よりも罪深かったのか。たまたまその地に住んでいただけではないか」。神は世界と人間を良いものとして創られた(創世記1:31)、それなのに大震災のような悲劇が起こるのは何故かと思います。これは十字架上でイエスが問われた問い「わが神、わが神、何故私を見捨てられるのか」(マルコ15:34)と同じように、答えの見つからない不条理です。
・震災後の日本の教会で、ヨブ記がもう一度読み直されています。ヨブ記は「罪もないのになぜ私に苦難をお与えになるのか」と叫んだヨブを通して、「世界の不条理」を正面から問う書だからです。旧約学者の並木浩一氏は「ヨブ記からの問いかけ」という短文の中で語ります「ヨブ記の中で神が言及する地球物理的な自然は・・・固有の法則を持っている。自然も自律的であり、人間の願望には従わない。気象がそれを象徴的に語る・・・今回の東日本を襲った大地震と津波の発生は北米大陸プレートが過去に相当の回数行って来た自然界のリズムによる。このリズムに十分な配慮を払った生活形態を築かなければ、人々は再び悲惨な状況に追い込まれるだろう。ヨブ記は今日、人間に固有な責任の確認と外部世界の独自性の承認とを我々に問うている」。
・大震災はあくまでも自然災害であり、そこに神の意志が働いているとは思えません。ましてや天罰などではない。ではなぜ起きるのか。答えは見つかりません。不条理としか言いようのない出来事です。しかしいかなる不条理の中でも、人にはやるべきことがあります。神はなぜノアを選ばれたのでしょうか。神は実はすべての人に箱舟の建造を命じられたのかもしれません。多くの人はそれをあざ笑った。晴れた日に洪水に備えて箱舟を造るのは、正気の沙汰ではありません。人々が信じない中で神の命に従い、行動することは決してやさしいことではありません。ヘブライ人の手紙はこう述べています「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けた時、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました」(ヘブル11:7)。
・人々の嘲笑の中で、ノアだけが愚直にも「晴れた日に箱舟を造り始めた」。それを見て神はノアを正しい者と認められたのではないかと思います。そして私たちも、「晴れた日に箱舟を造る」ことを命じられています。それは「やがて来る死に備えて、現在を大切に生きるように」との命令です。死もまた不条理ですが、受け入れざるを得ない。私たちはそれを見つめて生きることが求められています。不条理を見つめた生き方は、世の人々から見れば、窮屈な生き方となります。多くの人は「死を考えることを縁起が悪い」と考えます。しかしクリスチャンは死を見つめて生きるように命じられている。だからクリスチャン人口は人口の1%を超えません。私たちは「毎主日に教会の礼拝に参加し」、「収入の十分の一を献金として捧げ」、「自分がこの世では寄留者であることを認識し」、「まだ見ぬ永遠の国を熱望して」います。この世の人から見れば窮屈な生き方でしょう。ノアの洪水は私たちにそうするように語ります。私たちもまたノアのように、「晴れた日に箱舟を造る」生き方に変えられたのです。


カテゴリー: - admin @ 08時07分28秒

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