1．荒野の試練
・先週私たちはイースター礼拝で、マタイ28章から復活のメッセージを聞きました。マタイの復活メッセージの中核は「生きておられる方を死者の中に捜すな。イエスは復活されてもう墓にはおられない。ガリラヤに行き、そこで復活されたイエスと出会え」というものでした。弟子たちはエルサレムを去り、ガリラヤに行き、そこで復活のイエスと出会い、「この方こそ神の子であった」との信仰を与えられます（28：16-17）。ガリラヤこそ、イエスと弟子たちの出発点、福音伝道の働きが行われた地、そして、復活のイエスと出会う場所だったのです。私たちもそれぞれのガリラヤを持つべきだと先週学びました。
・イースターの終わった今、改めてイエスの活動の出発点、ガリラヤでの宣教の始めの記事を読みます。それが今日の聖書箇所マタイ4章の記事です。イエスはユダのベツレヘムでお生まれになりましたが、その後イエスの家族はガリラヤのナザレに移り住み、イエスもそこで30歳までの時を過ごされます。その時、ユダの荒野に洗礼者ヨハネが現れて、「悔い改めよ、天の国は近づいた」として、人々に悔い改めを呼びかけました。イエスも「新しい時代が来つつある」とのヨハネの呼びかけを聞き、激しく心動かされてガリラヤを離れ、ユダの地に行かれ、ヨハネから洗礼を受けられました。イエスの公生涯の最初の行為はバプテスマ（洗礼）でした。私たちも肉的生涯は出生から始まりますが、霊的生涯はバプテスマから始まります。
・イエスの洗礼の時、天から声が聞こえたとマタイは記します「これは私の愛する子、私の心にかなう者」（3：17）。イエスが、ご自分が神の子として世に遣わされたことを自覚されたのは、この時であったと思われます。そしてイエスは、「神の子として何をすれば良いのか」を聞くために荒野に導かれます。マタイは「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、"霊"に導かれて荒れ野に行かれた」（4：1）と書きます。父なる神がイエスを荒野に追いやり、そこで試練を与えられたとマタイは理解しています。この短い言葉が示しますのは、「すべての試練は神から来る」ということです。ですから私たちが、与えられる試練、悲しみや苦しみを受け入れ、その意味を考えていく時、試練は神の祝福になっていきます。なぜならば、神は私たちを滅ぼすためではなく、訓練するために試練を与えられるからです。
・荒野でイエスが与えられた試練、誘惑は三つでした。いずれの誘惑も、人生における根本問題に関わるものです。最初は「神の子なら、石がパンになるように命じたらどうだ」というものでした（4：3）。飢えている人にパンを与えれば、つまり人は経済的に豊かになれば幸福になるのではないかとの問いかけです。しかし、イエスは言われます「人はパンだけで生きるものではない」（4：4）。人はパンを食べるために生きるのではなく、生きるためにパンを食べる、パンが主役ではないとイエスは答えられます。二番目の誘惑は、「神の子なら、神殿の屋根から飛び降りたらどうだ」（4：5-6）というものでした。奇跡を起こして、神の子であるしるしを人々に見せよと言う誘惑です。奇跡を起こす、例えば、病人を癒し障害者を治せという要求です。しかしイエスは言われます「癒されても人は死ぬ。死で終わるものは究極的なものにはならない。だから癒しではなく、救いを求めよ」と。それが「あなたの神である主を試してはならない」（4：7）という言葉です。
・三番目の誘惑は、「私を拝むならば、世の栄光をお前に上げよう」という誘いでした（4：9）。この世で何かを為そうとするならば、世と妥協せよとサタンは誘います。しかしイエスは言われます「この世の幸福、この世の満足は、いつかは終わる」、だから終わらないもの、命の創造者であられる「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と。イエスが体験された荒野の試練は、いずれも「神の子なら」という問いかけで始まります。「神の子なら」、救い主として何をすべきかをイエスが模索された物語です。イエスはこのユダの荒野で決定的な霊的体験をされて、「神の国」宣教への召しを受けられました。
2．悔い改めよ、天の国は近づいた
・そしてイエスがヨハネから独立して宣教の業を始められる時が来ます。マタイは記します「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」（4：12）。ヨハネを捕えたのはヘロデ王の子、ヘロデ・アンティパスでした。彼は当時、ガリラヤとペレヤ(ヨルダン川東岸)の領主であり、洗礼者ヨハネが活動していたのは、彼の領内ペレヤの地でした。ヘロデは、洗礼者ヨハネの運動が拡大してメシヤ運動(世直し運動)となり、領地に騒乱が起こるのを怖れ、ヨハネを逮捕し、マケラスの要塞に閉じ込めます。この報せを聞いて、イエスはユダヤを去り、ガリラヤに退かれます。イエスは、ヨハネの逮捕に自分が宣教に立つべき時が来たことを知り、それをガリラヤで始められるのです。イエスは当初故郷であるナザレに帰られましたが（4：13）、ナザレの人々がイエスを受け入れなかったため(ルカ4：16以下)、両親や兄弟が住む「ナザレを離れ」、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムに住まいを定められ、以後、この町がイエスのガリラヤ宣教の拠点になります。
・このカファルナウムを、マタイは「ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町」と説明します。マタイはこの説明文をつけることで、イエスの宣教の開始をイザヤ預言の成就であると主張します。イザヤは次のように預言しています「先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」（イザヤ8：23-9：1）。「ゼブルン」と「ナフタリ」は、最初にガリラヤ地方に住んだイスラエル部族の名です。そのガリラヤは「辱めを受けた」、国境沿いにあるその地は、イザヤの時代にアッシリアに征服され、その属州にされたのです（前732年）。その後もガリラヤは外国人に支配されてきました。イザヤの預言は、「異邦人の支配を受けている、闇の中を歩む民、死の陰の地に住む者たちが光を見る」、異邦人支配から解放されて再びイスラエルに回復されると預言するものです。そのガリラヤでイエスが宣べ伝えられた福音は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と要約されています。「天の国」とは｢神の国｣と同じです。イエスが、このガリラヤにおいて神の国が始まったと宣言されたのです。それは「闇の中を歩む民は大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に光が輝く」という預言の成就が為されるであろうとの使信です。
３．暗闇と死の陰に住む人々は光を見る
・今日の招詞にイザヤ53：4-5を選びました。次のような言葉です「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」。
・イザヤ53章の背景にあるのは、バビロン捕囚からの帰還の出来事です。イスラエルはバビロンに滅ぼされて、その民は異国の地に捕虜となりますが、解放の時が来て、捕囚の民をエルサレムに連れ帰るために、一人の指導者が立てられます。「主の僕」と呼ばれる人です。彼はバビロンでの生活に満足し、祖国エルサレムに戻ろうとしない人々を説得し、故郷に連れ帰りますが、バビロンから勇んで帰った人々が見たのは、廃墟のエレサレムでした。自分たちの土地は他人のものになっており住んでいた家も今は他の人が住んでいます。帰還の民は主の僕を非難します「約束が違うではないか。どこにエデンの園があるのだ。ここには私たちの住む家も、耕すべき畑もないではないか」。民衆からの突き上げの中で、主の僕は重い病にかかり、失意の内に死にます。その僕の死を歌った歌がイザヤ53章です。
・キリストが十字架で死なれた時、弟子たちは絶望に包まれました「この人こそ、神の子、救い主と思っていたのに、違った。この人は無力にも、磔にされて死なれた。この人は救い主ではなかった」。その弟子たちがやがて復活のイエスに出会い、「この方こそ神の子キリスト」と信じるようになります。その神の子が何故十字架で死ななければいけなかったのか、彼らはその答えをイザヤ53章に見出しました「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであった・・・彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」。キリストが私たちのために死んで下さったことにより、私たちは神と和解し、神の平安に生かされる者となったことを彼らは知ったのです。
・イエスはどのようして私たちの罪を担われたのか。イエスはらい病者の癒しにおいて、「深く憐れみ」、「手を差し伸べてその人に触れ」、「清くなれ」と宣言し、癒されます(マルコ1：40-45)。らい病者に触れることは当時は最大のタブーでした。また一人息子の死を悲しむ母親を「憐れに思い」、「棺に手を触れ」、彼を生き返らせます（ル当時カ7：11-17）。死体に触れることも、｢汚れ｣として禁止されていた行為です。また「癒し」の行為は、安息日にも行われました（マルコ3：1-6）。安息日を重視した人々からは、イエスは｢神の戒めを破った｣と批判されます。これらのことが示しますことは、イエスは社会的禁止を犯してまでも病の人の痛みを共有され、そのことによって律法学者やパリサイ人に憎まれ、その行為故に社会的制裁を受けて殺されたのです。つまり、イエスの癒しは自らの命をかけて行われたのです。まさに、「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであった」のです。そのことを知った弟子たちは、十字架のイエスを誇るようになります。十字架が弱さの故ではなく、愛の故であったことを知ったからです。
・その弟子たちの経験を私たちもします。何故ならば、私たちもまた「暗闇の中に閉じ込められ、死の陰の地に住んでいる」からです。私たちの究極の関心は自己の幸福であり、同じように自己の幸福を求める他者の欲望とぶつかり、お互いに傷つけあいながら生きています。その罪と罪との衝突が世を暗闇にしています。先週お話ししましたように、身元不明や生き倒れで亡くなる無縁死がこの日本で年間32,000人発生しています。年間の自殺者３万人と合わせれば、毎年６万人以上の方が、看取られること亡くなっています。また日本では毎年30万件の人工妊娠中絶が行われています。30万人の生まれるべき命が捨てられているのです。まさに、｢私たちは暗闇の中にいる｣のではないでしょうか。また私たちは必ず死ぬ存在であるのにそれを見ようとはしません。しかし年老いていく中で、あるいは病気によって、「死の陰」は色濃くなり、本当の私たちはそれにおびえながら生きています。私たちもまた、「闇の中を歩み、死の陰の地に住む」者なのです。その私たちのためにイエスが十字架の苦しみと死を引き受けて下さって、私たちの罪は赦されました。そのイエスが死から起こされた、復活されたことによって、私たちも死の陰から救い出されました。今、私たちは闇の中ではなく光の中にいる、そのことを知り、悔い改めよとマタイは呼びかけているのです。悔い改めとは向きを変えること、自分が闇の中にいることを認めることです。そこから光への道が始まります。
・前に何度か、ゲルト･タイセン「イエス運動の社会学」という本を紹介しました。彼は、イエスが来られて何が変わったのかを社会学的に分析した人です。彼は書きます「イエスは、愛と和解のヴィジョンを説かれた。少数の人がこのヴィジョンを受け入れ、イエスのために死んでいった。その後も、このヴィジョンは、繰り返し、繰り返し、燃え上がった。いく人かの『キリストにある愚者』が、このヴィジョンに従って生きた」。キリストが来られることによってキリストにある愚者が起こされた、それが最大の変化だとタイセンは言います。キリストにある愚者とは、「世の中が悪い、社会が悪いと不平を言うのではなく、自分には何が出来るのか、どうすれば、キリストが来られた恵みに応えることが出来るのか」を考える人たちのことです。聖書の言葉はこの「キリストにある愚者」を生み出していくのです。そして私たちも「キリストにある愚者」として、招かれているのです。
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