1.終末は救いの時
・今日から、教会ではアドベント、待降節の時を迎えます。キリストは2000年前にユダヤのベツレヘムに来られました。私たちはこの出来事をクリスマスとして記念し、その降誕を待ちます。それがアドベントの時です。同時にこのアドベント(ラテン語=来る)は、「私はまた来る」と言われたキリストの再臨を待つ時でもあります。聖書では終わりの時にキリストが再び来られ、神の国が実現すると記します。ですから、教会はこのアドベントの時に、終末のことを考えます。 (続き…)
1.終末は救いの時
・今日から、教会ではアドベント、待降節の時を迎えます。キリストは2000年前にユダヤのベツレヘムに来られました。私たちはこの出来事をクリスマスとして記念し、その降誕を待ちます。それがアドベントの時です。同時にこのアドベント(ラテン語=来る)は、「私はまた来る」と言われたキリストの再臨を待つ時でもあります。聖書では終わりの時にキリストが再び来られ、神の国が実現すると記します。ですから、教会はこのアドベントの時に、終末のことを考えます。 (続き…)
1.イエスとピラトの真理問答
・バッハは二つの受難曲を書きました。マタイ受難曲とヨハネ受難曲です。そのヨハネ受難曲のハイライトがイエスと総督ピラトの対話を記したヨハネ18章の記事です。イエスは言われます「私は真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」(18:37)。それに対してピラトが問います「真理とは何か」(18:38)。「真理とは何か」、ヨハネ受難曲のテーマであり、今日私たちが聴きたい主題です。 (続き…)
1.終末についてのメッセージ
・この1年間、聖書日課に従ってマルコ福音書を読んできましたが、マルコの学びは今日の13章をもって最終になり、次週からは主にルカ福音書を通してクリスマスの福音を聞いていきます。クリスマスとは暗い夜空に明るい光の出現を望む時です。光を待望する者はまず闇、この世の現実を見なければいけない。今日のマルコ13章は闇の世界の物語、終末についての話です。 (続き…)
1.イエスはすべてを捧げるために来られた
・マルコ福音書を読み続けています。イエスは日曜日にエルサレムに入られ、神殿で民衆に教えられました。パリサイ人やサドカイ人が論争を挑んできましたが、誰もイエスに勝てません。一人の律法学者はイエスに告白します「先生、おっしゃるとおりです。・・・心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛するということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」と。その後、誰もイエスにあえて問うものはいなかったとマルコは記します(12:34)。 (続き…)
1.最も大事な戒め
・今日、私たちの教会は創立40周年の記念日を迎えました。ただ特に40周年記念の式典を行うわけではありませんし、記念文集も出しません。40周年は教会にとって一つの通過点に過ぎず、過去を振り返るよりも、将来に目を向けることがより大事だと思うからです。ただ、40周年を記念する礼拝の聖書箇所として、「最も大事な戒め」の箇所が与えられたことを、特別なことと考えています。「これからの教会形成の指針として覚えなさい」と示されているような気がするからです。 (続き…)
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