すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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04 22

1.結婚についてのパウロの勧め

・コリント教会への手紙を読んでおります。この手紙では教会の中に起きる様々な問題についてパウロが助言する形で、論議が進んでいきます。7章の主題は「結婚をどう考えるか」です。教会のあるコリントは人口70万人を抱える当時の世界有数の大都市であり、歓楽の都、虚栄の市と呼ばれ、あらゆる性的な不倫が蔓延していた都市でした。5章では「聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです」(5:1)とあります。6章では「あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか」(6:15-16)とあります。教会の中に性的誘惑に負けて不品行(ポルネイア)、不倫や買春に陥る人も出ていたようです。
・その反動もあって、一部の教会員は「キリスト者は独身を保つべきであり、既婚者も性的交わりを一切断つべきではないか」と極論を主張していたようです。そのため、教会の執事たちが、「結婚と性について」パウロに相談した、それに対するパウロの回答がコリント7章です。パウロは語ります「そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい」(7:1)。独身である方が良いというのが、パウロの基本的な考え方です。パウロは7節でも語ります「私としては、皆が私のように独りでいてほしい」(7:7a)。
・しかしパウロは自分の生き方を強制しません「人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います」(7:7b)。パウロは独身でしたが、ペテロには妻がいました(9:5)。パウロはそれでよいと語ります。「みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」(7:2)。「みだらな行い」と訳されている言葉は「ポルネイア」で、本来の意味は「娼婦(ポルネー)と交わる」ことです。そこから「ポルノ」という言葉が生まれました。それを避けるために神は結婚という祝福をお与えになったとして、パウロは夫婦の性的交わりを肯定します「夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。互いに相手を拒んではいけません」(7:3-4)。
・パウロは結婚をやむをえないもの、情欲を抑制するための手段と考えているように見えますが、そうではありません。彼は、結婚により相手に束縛され、信仰生活がおろそかになる場合が多いことを懸念しているのです「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと世の事に心を遣います」(7:32-34)。パウロの結婚に関する考え方の根底には終末観があります。彼は手紙の中で「定められた時は迫っている」(7:29)と語ります。キリスト再臨の時が迫っている今は、非常時であり、できるだけ身軽になるべき時だと彼は理解しているのです。
・カトリック教会は、コリント7章を基準にして、「信徒は結婚しても良いが、聖職者は結婚せず、終生独身を守る」ように制度化しました。その結果、聖職者の中には関心が同性愛の方向に赴き、少年に対する性的虐待事件が発生する結果を招いています。バチカンの発表によればこの10年間で2500人の聖職者が処分を受けたそうです。パウロが言うように「あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらない」(7:5)事態になったのです。神は人を男と女に造られ、男女の性的交わりを通して命を継承するように造られました。イエスは言われます「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である」(マルコ10:6-8)。パウロは決して自然の摂理に反するような独身生活を求めているのではなく、「キリストのために独身となる者はなりなさい、しかし結婚しても良い。どちらにも神の祝福がある」と語ります。

2.未信者との結婚をどう考えるか

・8節以降で未婚者と寡婦の結婚について語った後、12節からパウロは「キリスト者でない配偶者との結婚生活をどう考えるべきかについて」助言します。当時、コリント教会の中に、「信者は不信者と生活を共にしてはいけない、夫婦の一方が異教徒のままであるときは、直ちに離婚せよ」と極論を唱える人たちがいたのでしょう。その人々にパウロは語ります「ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない」(7:12-13)。キリスト者は少数者ですから、結婚相手の多くは、「信徒でない」異教徒でした。パウロは、たとえ相手が未信者であっても、相手が結婚生活の継続を望むのであれば、継続しなさい、信徒の生活を見て、相手がキリストの福音に救いを見出す可能性があると語ります。「なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです」(7:14)。しかし、「信者でない相手が離れていくなら、去るに任せなさい」(7:15)とも語ります。結婚は大事なことではあるが、信仰の本質にかかわる問題ではないと彼は考えています。
・パウロの教えは日本のキリスト者にとっては大事な教えです。何故ならば、日本でもキリスト者は少数に留まり、多くの結婚は非キリスト者との結婚になるからです。 玉川キリスト教会の福井誠牧師は語ります「クリスチャンである人がクリスチャンでない人と結婚するのは大変なことだ。価値観が違い、ライフスタイルが違う。非信者の人は週5日働き、週末は休みだから家族とどこかに出かけようと考える。クリスチャンは日曜日に教会に行き、礼拝を持って新しい一週を始めようとする。そうなると、結婚生活の故に信仰を持って生きていくのが難しくなる」(聖書1日1章から)。しかし、それは宣教の機会でもあります。ペテロは語ります「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです」(1ペテロ3:1)。「結婚も主のためである」のです。

3.置かれた場所で咲きなさい

・今日の招詞に1コリント7:17を選びました。次のような言葉です「おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召された時の身分のままで歩みなさい。これは、すべての教会で私が命じていることです」。コリント7章はパウロの結婚に対する教えが展開されています。彼は結婚を神が定められた秩序として尊重します。結婚は祝福され、結婚した者たちは自然の秩序の中で性的交わりを行い、新しい生命を生み出す。他方、パウロは未婚者には「独身でいる」ことを勧めます。彼は「結婚しても良いが、結婚しない方がさらに良い」と繰り返します(7:26、38、40)。それは結婚することにより、人の関心が神ではなく、相手を含めた世に移るからです。しかし同時に、「情欲に身を焦がす」(7:9)よりは結婚することを勧めます。独身であることは強制ではなく、自由意志です。それを強制にした時、そこにサタンの誘惑が入り込みます。独身性をとるカトリック司祭が同性愛に陥りやすいのも、自然の感情を無視するためです。
・パウロの結婚観の背景にあるのは強い終末観です。彼は自分が生きている間に終末が来る、その時天変地異が起こると考えています。非常時を前に、キリスト者は世との繫がりを相対化すべきであると考えています。「兄弟たち、私はこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」(7:29-31)。世の終わりは近い、その時に生き方は切迫したものになります。
・パウロの終末観は、現在の私たちにはありません。私たちは「明日は来る」と考えています。多分来るでしょう。しかし、明日の来ない日が私たちにも訪れます。死の時です。私たちが「死を前にして」今をどう生きるかを考えた時、パウロの危機意識を私たちも共有します。パウロが勧めるのは人生の出来事の相対化です。死を前にすれば、「どのような学校に入るか」、「会社の中でどうすれば昇進できるか」、「どのような人と結婚するのか」は、相対化されます。大事なことは「与えられた生命を、与えられた場で、一生懸命に生きる」ことです。ですから、「おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召された時の身分のままで歩みなさい」という生き方になります。
・この言葉を言い換えたものが、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉です。渡辺和子さんの言葉が有名ですが、その原点はアメリカの神学者ラインホルド・ニーバの祈りです。「神が置いて下さった所で咲きなさい。仕方ないとあきらめてではなく、咲くのです。咲くということは、自分が幸せに生き、他人も幸せにすることです。咲くということは、周囲の人々に、あなたの笑顔が、私は幸せなのだということを、示して生きることなのです。神がここに置いて下さった。それは素晴らしいことであり、ありがたいことだと、あなたのすべてが、語っていることなのです。置かれている所で精一杯咲くと、それがいつしか花を美しくするのです。神が置いて下さった所で咲きなさい」。ここに福音があります。


カテゴリー: - admin @ 08時03分42秒

04 15

1.キリストの体である教会で何故争いが起こるのか

・コリント書を読んでいます。教会は「エクレシア」と呼ばれます。エクレシアとは「呼び集められる」と言う意味です。キリストの名によって呼ばれた者が集められ、神の言葉を聞き、それぞれの場で福音を伝えるために遣わされていく場所です。ところが現実の教会ではそこに対立や紛争が生じます。争いの多くは、人間的な結びつきによるもので、この世の争いと変わりません。何故キリストの体である教会において、この世と同じ人間的な争いが起こるのか。それを私たちに教えるのが、コリント教会の経験です。
・コリント教会はパウロの開拓伝道により生まれました。巡回伝道者パウロはコリントに1年半滞在して教会の基礎を築き、その後を同僚のアポロに託して、エペソに移ります。アポロは雄弁家で、聖書に精通し、その説教は人々を魅了したようです。アポロに惹きつけられた人々はアポロ指導下に新しい方向に導かれることを望むようになっていきました。他方、創設者パウロからじかに教えを受け、導かれた人々は、そのような動きを、教会を誤った方向に導くものだと強く反対していました。アポロは雄弁で、外見も立派だったと伝えられています。他方、パウロは朴訥でその説教はわかりにくかったようです(第二コリント10:10)。教会の人々は外見や説教で二人を比べ、「私はアポロに」、「私はパウロ」にと争っていました。
・このコリント3章を読む時、いつもため息が出ます。人はバプテスマを受けても、その前と何も変わらないのか、バプテスマの意味は何なのだろうかというため息です。教会の混乱はコリントだけの問題ではありません。今日の教会でも、牧師と役員の争いにより牧師が辞任するという混乱が方々の教会で起きています。教会も人間の集まりであり、意見の対立や争いはやむをえないという考えに対して、「それは違う」とパウロは主張します。彼はコリント教会に書き送ります。「(あなたがたは)相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」(3:3)。

2.肉の人から霊の人へ

・キリストを救い主と受け入れるためには、霊の働きが必要です。コリント教会の人々も神の霊の導きでバプテスマを受け、キリスト者となりました。しかし、「霊を受けても乳飲み子のままにとどまっている」とパウロは指摘します。「兄弟たち、私はあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまりキリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。私はあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません」(3:1-2)。「肉の人」とは肉の思い、この世の知恵に支配されている人のことを指します。この世の知恵は他者を支配することを目的とします。だから知恵と知恵がぶつかり合い、争いが生まれます。彼らは、教会はキリストの体であり、アポロもパウロも「キリストに仕える僕」に過ぎないことを理解していません。だから「私はパウロに」、「私はアポロに」と争い合うのです。他方、神の知恵は神に仕えることを目的とします。故に知恵が人を一致に導くのです。「教会は人の知恵ではなく、神の知恵を求める場所ではないか」とパウロは語るのです。
・パウロが求めるのは「信仰に成熟した人」(2:6)、「霊の人」(3:1)です。固い食物を食べることの出来る人、この世を超えたものに価値を見出せる人、「パウロが植え、アプロが水を注いだかもしれないが、成長させて下さるのは神である」ことを理解できる人です。パウロは語ります「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(3:5-6)。二人はただの奉仕者に過ぎない、教会を立ち上げるのは、パウロでもアポロでもなく神ではないか、と彼は語ります。人間的な好き嫌いの感情で、「私はアポロに」、「私はパウロに」、という争いをするために教会に集められたのではない。信仰の未熟者(子供)から成熟者(大人)になれとパウロは言います。

3.成熟した信仰者になれ

・パウロは10節から教会を建物に例えて説明をしています。彼は言います「私は、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています」(3:10)。初代牧師のパウロがコリント教会の土台を築き、二代目牧師のアポロがその上に建物を建てました。パウロは続けます「ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」(3:10b-11)。パウロが土台を据えましたが、基礎石になっているのはあくまでもキリストです。パウロもアポロも「神のために働く同労者」に過ぎず、「土台はキリストだ」とパウロは強調します。
・パウロは続けます「この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです」(3:12-13)。耐久性のある資材(金、銀、宝石)で上物を造ったのか、それとも当座の必要を満たす物(木、草、わら)で造ったのかは、50年後、100年後に明らかになる。目先だけを考えた材料は50年後、100年後には朽ち果てるからです。「だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受ける」(3:14-15)のです。
・私たちの教会は、2011年に会堂建設をしましたが、基礎工事にお金と時間をかけ、上物に耐久性のある資材を選びましたので、予算は当初の6,500万円から8,500万円に増加しました。小さな教会にとっては大幅な増額で、増額部分を教会債という形でお願いしました。結果的に自己資金(献金)は3,000万円、教会債4,000万円、連盟借入金2,000万円という形の資金調達になりました。資金の7割近くが借入金ですが、借入金の66%を占める教会債は教会員の方々からの借入であり、その基礎はキリストに対する信仰です。連盟貸付も諸教会からの献金が原資になっており、これもまた信仰が土台になっています。会堂建設の基礎もまたキリストなのです。
・教会は建物ではなく、そこに集う一人一人の信仰者の共同体が教会です。教会は祈りと讃美を捧げる場であり、会堂がなく、礼拝の場所が借家や借室であっても、礼拝を守ることが出来ます。しかし同時に、借家や借室で礼拝を行い続けた時、教会が継続が難しいこともまた事実です。私たちが舞浜伝道所を20年の苦闘の後に閉鎖せざるを得なかったことは、会堂を持たない教会形成の難しさを示しています。ただ、会堂を建て、維持するためには知恵が必要です。今、私たちは借入金の返済負担の重さにあえいでいます。一人一人の教会員が、この会堂の真の土台石はキリストであり、キリストが共にいてくださる限り、この会堂は神の宮で在り続けると信じる時、借入金の返済負担を共に担うことが可能になります。
・では教会は建物を造って、そこで何をするのでしょうか。ヘンドリック・クレーマーは「信徒の神学」の中で述べます「神は世と関わりを持たれる方であるゆえに、教会もまた世のために存在する。しかし、現実には、教会の関心は、教会自身の増大と福祉に注がれてきた。教会は宣教のための器として立てられた。宣教に専念し、世に向けて、御言葉を発信している教会では、分派や論争はおきにくい。主目的において一致があるからだ。教会はキリストに仕え、世に仕えていく。そこでは牧師と共に信徒も宣教の業を担う。信徒こそが世に離散した教会である。教会は信徒を通じて、この世にキリストのメッセージを伝えていく使命を持つ」。「世に向けて、御言葉を発信している教会では、分派や論争はおきにくい」という言葉は大切な言葉です。
・今日の招詞に1コリント3:22-23の言葉を選びました。次のような言葉です。「パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」。パウロは「一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のもの」と語りました。私たちの教会もこのような理想を持ちたい。私たちには「神と世の和解の言葉」が委ねられています。私たちには世を救う「福音」が委ねられています。パウロはコリント教会を「神の教会」、その信徒を「召されて聖なる者とされた人々」と呼びます。争いを繰り返している教会の人々を、パウロはそれでも「聖徒」と呼ぶのです。神に召された故に聖なる者とされたのです。
・私たちも「キリストの名によって召され、神の言葉を聞き、それぞれの場で福音を伝えるために」集められていいます。仲間割れや分派争いをしている時ではありません。教会には異なる人々が集められています。しかし、主から使命を委ねられているという理解は一致しています。この一致ゆえに、教会は「普通の人間の集団」ではなく、「聖徒の集まり」になり、福音を携えて、世に出て行くのです。内村鑑三の墓は多磨霊園にありますが、その墓碑には次の言葉が刻まれています「I for Japan.japan for the world.The world is for Christ. And all for God.」。「私は日本のため、日本は世界のため、世界はキリストのため、そして全ては神のため」、私たちがキリストにある大志を持って教会形成に取り組んでいった時、教会は世に福音を伝える拠点になりうるのです。「Boys, be ambitious in Christ」、「キリストにあって一つ」、この共通理解があれば、この教会は大丈夫です。


カテゴリー: - admin @ 08時06分41秒

04 08

1.コリント教会の分裂騒動

・本年は4月から6月まで、パウロの書いたコリント教会への手紙を読んでいきます。コリント教会は多くの問題を抱えていました。それらの問題に対処するため、パウロは何度もコリント教会宛の手紙を書いています。新約聖書には二通の手紙(第一、第二)だけが収録されていますが、実際は四通ないし五通の手紙が書かれたと考えられています。今日読みますコリント第一の手紙は紀元55年頃、滞在先のエペソで書かれました。
・パウロは先にアテネで伝道し、そこでは哲学や論理学の助けを借りた堂々たる説教をしましたが、アテネの人々は受け入れず、パウロは失意の内にコリントに来ました(使徒17:32以下)。パウロは語ります「そちらに行ったとき、私は衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」(2:3)。パウロは自信を失くしていたのです。しかしコリントでは先に来ていた「プリスカとアキラ」の協力のもと、パウロは再び福音を語り始めます(使徒18:1-8)。パウロはコリントでは「十字架につけられたイエス・キリスト」だけを語り、その結果回心者が次々に起されていきました。パウロは語ります「私の言葉も私の宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、"霊"と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした」(2:4-5)。教会設立後、パウロはコリント教会を弟子のアポロに委ねて去り、今度はエペソの開拓伝道に力を注ぎます。そのエペソにいるパウロの所に、「コリント教会が分派争いで混乱している」との報告が届けられました(1:11)。
・パウロが去った後のコリントでは、教会内に対立が起きていました。パウロに導かれてバプテスマを受けた人々は、パウロの教えを大事にしました。ただパウロの説教は朴訥で難しかったようです。コリント教会のある人々はパウロを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」(2コリント10:10)と評していました。他方、パウロの後継者アポロは博識で雄弁でしたので、その説教に感動した人々は、アポロ派を形成していきました。人々は指導者の外見や説教で、私はアポロに、私はパウロにと争っていたのです。アポロはその後コリントを去り、手紙が書かれた当時、コリント教会は無牧師で、母教会のエレサレム教会からの巡回伝道者が訪れて、バプテスマを授けていたようです。巡回伝道者からバプテスマを受けた信徒たちは、「エルサレム教会の指導者ペテロこそ本物の使徒だ」としてペテロ派になったのでしょう。こうしてコリント教会は分裂状態に陥ってしまいました。
・コリント教会の動きは、現代では「牧師の解任決議」に相当します。教会はパウロに対して、「これ以上、あなたの指導は受けたくないので、辞任してほしい」と要求しているのです。コリント教会の争いは他人事ではありません。私の出身教会は中野教会ですが、中野では35年間牧会された牧師が引退して名誉牧師になられ、後任に新しい牧師を招聘した時、新旧牧師間で教会運営についての意見が対立し、争いに巻き込まれた執事たちが去っていく出来事がありました。私たちの周りの教会でも、毎年のように、期の途中で辞任する牧師がおられます。篠崎教会でも、ある時に牧師と信徒が対立し、別な時には信徒同士で教会運営についての考え方の違いが表面化し、信徒が散らされていくという悲しみを経験しています。

2.パウロはどう行為したか

・人々は感情的な好き嫌いで党派を形成していました。しかしパウロは、感情ではなく、彼らの信仰に訴えて、説得します。彼は最初に教会の人々に問います「キリストはいくつにも分割されたのですか」(1:13a)。教会はキリストが頭であり、教師はキリストに仕える手足に過ぎないのに、何故、手足である教師が頭であるキリストより重視されるのかと問います。次にパウロは「私があなたがたのために十字架につけられたのですか」(1:13b)と問います。「キリストが死んで下さったのであって、私が死んだのではない。あなた方は、私に救われたのではなく、キリストの十字架で救われた。その十字架を仰ぎながら、互いに争うとしたら、十字架は飾りになってしまったのか」と問いかけます。
・最後にパウロは言います「あなたがたは誰の名によってバプテスマを受けたのですか」(1:13c)。あなたがたはキリストの名によってバプテスマを受け、キリストに属する者とされた。それなのに誰がバプテスマを授けたかに、どうしてこだわるのか。パウロからバプテスマを受けた者はパウロ派になり、アポロから受けた人はアポロ派になる、それが正しい信仰と思うのかと問います。バプテスマとは水に入ってキリストと共に一度死に、水から引き上げられてキリストと共に新しく生きることです。その「キリストに結ばれる行為」が何故、「人に結ばれる行為となるのか」とパウロは問いかけます。
・パウロは、「あなたがたがキリストの十字架の意味を真剣に受け止めないから、このような争いが起きるのだ」と語ります。彼は手紙の中で述べます「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です」(1:18)。キリストの十字架は私たちに決断を迫ります。私たち人間の本質は「自己中心=エゴ」です。このエゴが教会を壊す。「私はパウロに」、「私はアポロに」、と主張する時、そこには、“私”しかなく、キリストがありません。主語が “私”の信仰は未熟な信仰であり、未熟だから他者と争うのだとパウロは言います(3:4)。主語が“私”から“キリスト”になった時、成熟した信仰になります。成熟した信仰者が集まる時、争いは起きない。意見の違いはあっても、違いが争いにならない。それは、私ではなく、「キリスト」が何を望んでおられるかが、行動基準になるからです。

3.十字架の言葉に従う

・今日の招詞に1コリント1:22-24を選びました。次のような言葉です。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」。キリストは十字架で殺されました。処刑された人間が「神の子」、「メシア」であると主張することは、愚かであり、信じがたい事柄です。しかし「神はイエスをあえてこの十字架につけられ、そのことを通して人間に悔い改めを迫られた」とパウロは語ります。人間は有史以来戦争を続けてきました。人間は戦争を、殺し合いを止めることが出来ない。殺し合う、相手を排斥することこそが人間の本質であり、気に入らない者は殺す。それを文字通りに実行したのがキリストの十字架なのではないかとパウロは語るのです。
・「殺さなければ殺される」、人の世の競争社会に生きるとはそのような生き方です。その人間が十字架に直面して、おのれの罪を知らされ、救いは人から来ないことを知り、神の名を呼び求めるようになります。だからこそ十字架が、「神の知恵」、「神の力」になりうるのです。十字架は救いのしるしではなく、絶望のしるしです。イエスは十字架上で「わが神、何故私を棄てられたのか」と叫んで死んで行かれました。しかし神はそのイエスを十字架死から起された。「神は悪を善に変えられた」、それを知った時、「私はパウロに」、「私はアポロに」、という言葉が出るはずがないではないかとパウロは語るのです。
・教会はこの世にありますが、この世と一線を画す神の国共同体です。この世にある故に、この世の霊と行いが教会の中に入り込んできます。「自己実現」というこの世の知恵の本質が、あたかも人間の理想のように思えてきます。ウィリアム・クラークは語りました「Boys, be ambitious (in Christ)」、クラークが語ったのは、自分のためではなく、“キリストのために大志を抱け”という言葉でした。しかし世の人はこの「キリストのために」を省いてしまいます。「in Christ」を削除した時、教会はこの世の団体と何も変わらない場になります。教会は会員が「自己実現する」、「自分の正しさ」を主張する場ではなく、「神の正しさ」を賛美する場です。神の正しさという視点から見れば、パウロもアポロもただの人にすぎません。
・パウロは語ります「神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです」(1:28)。コリントは世界有数の大都市で、「歓楽の市」と呼ばれていました。ただ人口の70万人のうち50万人は奴隷であり、格差社会でした。その中で、多くの奴隷たちが教会に導かれ、信徒になって行きました。教会は奴隷の人格を認め、彼らを人間として扱ったからです。パウロは語ります「(教会では)もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)。
・当時の奴隷は「生きた道具」であり、主人は役に立たなくなった奴隷を棄てることも殺すことも自由でした。その中で多くの奴隷たちが自分たちの人格を認めてくれる教会に惹かれて行ったのは当然です。コリントと同じ出来事がインドでも起きています。インドでは人口の3%、3000万人がクリスチャンですが、多くは指定カースト(不可触民)の人々だと言われています。インドに最初に宣教を行ったのはフランシスコ・ザビエルで、彼は貧しい人々に福音を伝えました(沖浦和光「宣教師ザビエルと被差別民」から)。ザビエルはインドにコリント教会を見出したのです。
・アメリカでも同様です。本年はマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されてから50年になります。アメリカでは黒人も法的には平等が保障され、黒人初の大統領も誕生しましたが、人々の心に潜む差別の意識や白人との格差はいぜん根強いままです。追悼式典に集まった参加者の一人は語りました「メンフィスでは、全米各地から集まった約1万人が『I AM A MAN』(私は人間だ)と書かれたプラカードを掲げて行進しました。私も作業員として当時のストに参加しました。それは『人間としての尊厳を取り戻す闘いだった。キング牧師のおかげで今の私がいる』(4月6日朝日新聞より)。教会は人間としての尊厳を取り戻す言葉を持っています。
・今日の日本で、コリントの奴隷、インドの指定カースト、アメリカの黒人と同じような立場にあるのが「非正規労働者」と言われる人たちです。日本は豊かな国と誤解されていますが、実際は貧困率16.1%と高く、2千万人が貧困層と言われています(現代の貧困は相対的貧困と呼ばれ、所得中央値の1/2以下、2002年では年収160万円以下で、人としてふさわしい生活を送れない状態を指す)。男性正規雇用者の貧困率は5.4%ですが、非正規雇用では25.3%と跳ね上がります。また日本では一度、正規雇用の枠から転落すれば、救済の道がありません。その悲惨さの一端を2009年の「年越し派遣村」で私たちは見ました。不況に伴う人員整理で職場も住む所も失った人々が何百万人も出現したのです。その人々に対して教会が何をすればよいのか、わかりません。しかし何かができるはずです。2千万人の人が福音を求めているのです。
・私たちはイエスの言葉の中に人生を生きる知恵を求めて聖書を読みます。「人はパンだけで生きるのではない」(マタイ4:4)、「悲しむ人々は幸いだ、その人たちは慰められる」(マタイ5:4)。偉大な言葉です。しかしそれ以上に偉大な言葉があるパウロは教えます「私はあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」(2:2)。神学者モルトマンも語ります「私たちのために、私たちの故に、孤独となり、絶望し、見捨てられたキリストこそ、私たちの真の希望となりうる」(モルトマン「無力の力強さ」)。復活されたイエスの最初の言葉は「ガリラヤに行きなさい」でした。ガリラヤ、ガーリール(周辺)に行け、現場で生きよ、自分のためだけではなく、隣人と共に生きよとのメッセージに従う時、私たちは「生けるイエス」、「十字架を担ったままのイエス」と出会うのです。


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04 01

1.空の墓

・イースターの時を迎えました。今日はイエスの復活の出来事をマルコ福音書から聞いていきます。マルコはイエス復活の出来事を、「空の墓」として私たちに提示します。マルコ16章には「イエスが十字架につかれて三日目に婦人たちが墓に行ったが、墓は空であった」という短い記述があるだけです。他の福音書にあるような、婦人たちや弟子たちが復活のイエスと出会ったという記事がありまません。マルコはただ「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16:8)で唐突に福音書を終わらせます。なお結びとして16:9−19までありますが、この部分が当初のマルコ福音書にはなく、後代の付加であることは、写本研究等で明らかにされています。あくまでも、マルコ福音書の最後は「婦人たちは恐れた」で終わっています。このマルコの記事は何を物語るのでしょうか。
・イエスは金曜日の午後3時に息を引き取られたとマルコは記します。弟子たちは逃げていなくなっており、婦人たちだけが十字架を遠くから見ていました。金曜日の日没と共に、安息日が始まり、安息日を汚さないために、遺体はあわただしく葬られました。イエスの遺体を引き取ったのは、アリマタヤのヨセフで、彼は「身分の高い議員であった」とマルコは記します(15:43)。マルコは「この人も神の国を待ち望んでいた」と記します(15:43)。生前にイエスと何らかの関わりを持ち、イエスに好意を持っていたのでしょう。ヨセフはイエスの遺体を十字架から降ろして、亜麻布で巻き、岩を掘って作った自分の墓の中に納めます(15:46)。婦人たちは何も出来ず、ただ遺体が納められた墓を見つめていました(15:47)。
・安息日が終わった日曜日の夜明けと共に、婦人たちは香料を買い整え、墓に向かいます。あわただしく葬られたイエスの体に香油を塗って、ふさわしく葬りたいと願ったからです。婦人たちは墓に急ぎますが、墓の入り口には大きな石のふたが置かれており、どうすれば石を取り除くことが出来るか、わかりません。ところが、墓に着くと、石は既に転がしてありました。ユダヤの墓は岩をくりぬいて作る横穴式の墓です。婦人たちが中に入りますと、右側に天使が座っているのを見て、婦人たちは驚き、怖れたとマルコは伝えます。婦人たちは天使の声を聞きます「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」(16:6-7)。
・マルコの記す復活の根拠は「イエスの墓は空であった」という事実です。聖書学者の多くも「イエスの墓が空であった」ことを史実と考えています。イエスの遺体消失に驚いた婦人たちは「墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16:8)とマルコは記します。マルコ福音書の終わり方はあまりにも唐突で、後の教会の信仰の土台となった復活物語を書いていません。そのため、後代の人々はマルコ福音書の付録として、9−20節の顕現物語を付け加えました。しかしマルコはあくまでも9節で福音書を閉じているゆえに、私たちも9節までしか読みません。

2.ガリラヤへ

・マルコの物語では、天使が現れ、婦人たちに語ります「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」(16:6-7)。このマルコの記事は二つの事実を私たちに知らせます。一つはイエスの遺体を納めた墓が空になっていたという伝承があり、二つ目は弟子たちがガリラヤで復活のイエスと出会ったという伝承があることです。
・最初に「空の墓の伝承」を見てみましょう。マルコでは「婦人たちは墓を出て逃げ去った・・・そして、だれにも何も言わなかった」とありますが、その後の消息を伝えると思われる記事がルカ福音書24章にあります。ルカは述べます「婦人たちは・・・墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた・・・使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」(ルカ 24:8-12)。婦人たちは「イエスの遺体がなくなっている」と弟子たちに伝え、弟子たちは墓が空であることは確認しましたが、「まさかイエスが復活されたとは考えもしなかった」とルカは報告しています。ユダヤ教には世の終わりに、神が死者たちを復活させて下さるとの思想がありました。しかしそれは世の終わりであり、今ではありません。ですから、イエスの復活の報告を聞いても弟子たちは信じることができなかったし、弟子の一人トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ私は信じない」と言い放ちました(ヨハネ20:25)。また反対派の人々は「イエスは復活したのではなく、弟子たちが夜中に来て死体を盗んでいったのだ」と言いふらしていました(マタイ28:13-15)。イエスの墓が空であったことは反対派の人々も認めています。
・その後、弟子たちはどうしたのでしょうか。おそらく故郷のガリラヤに戻ったと思われます。その間の事情を伝えると思われる記事がヨハネ福音書21:2-7にあります。そこには、弟子たちがエルサレムを去ってガリラヤに戻り、元の漁師として働いていた時に、復活のイエスと出会ったとあります。弟子たちがガリラヤで復活のイエスと出会ったという伝承を元に、マルコは「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と天使に語らせているのです。

3.私たちは復活をどう生きるのか

・今日の招詞にマルコ1:15を選びました。次に様な言葉です「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。マルコは最初に「洗礼者ヨハネがイエスの宣教を準備するために遣わされた」と説明します(1:4-5)。イエスは故郷ガリラヤで、ヨハネの「神がイスラエルを救うために行為を始められた」との宣言を聞き、燃える思いで、ガリラヤを出られました。そしてイエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられ、弟子になられました。
・しかし、ヨハネは領主ヘロデ・アグリッパを批判したために逮捕され、それを契機に、イエスはヨハネ教団を離れ、故郷ガリラヤに戻られ、ご自分の宣教の業を始められました。その最初の肉声が招詞の、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という言葉です。「時は満ち、神の国は近づいた」、この「時」には「カイロス」というギリシャ語が用いられています。通常流れる時間(クロノス)ではなく、「今、この時」という言葉が「カイロス」です。人々はやがてイエスの言葉を聞いていきます。その言葉が今この時の「出会いの言葉」となる時、人は「悔い改め」、「時はクロノスからカイロスに変わる」と語られます。
・そして弟子たちが招かれ、イエスと共にガリラヤの町や村を宣教して回りました。ここにイエスと弟子たちの原点があります。この「原点に戻れ」と復活者イエスが語られたとマルコは記します。それが「「あの方は復活なさって、ここにはおられない・・・さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる』と」(16:6-7)のメッセージです。「ガリラヤに行く」は現在形で書かれています。そしてそこで「イエスと出会うだろう」という表現は未来形で書かれています。イエスの復活顕現が「完了形ではなく、未来形でかかれている」ことに留意すべきです。
・マルコが書かれた当時、既にエルサレム教会の中心人物であったペテロたちは、「私たちはイエスに出会った」と自分たちの復活体験を語り、その体験を基礎にエルサレム教会を形成していました。その弟子たちに対してマルコは、「あなたたちはエルサレムではなく、ガリラヤに行け。そこで復活されたイエスと出会うだろう。エルサレムにはイエスはおられない。ガリラヤにいる貧しい者や泣いている者と共にイエスはおられる」とマルコは語っているのです。ガリラヤはヘブル語=ガーリール(周辺)から来ています。中心であるエルサレムから見れば周辺の地です。「周辺で=現場で生きる」、「自分のためだけではなく、隣人と共に生きる」生活を私たちが始めた時、私たちは「生けるイエス」と出会います。
・「時は満ち、神の国は近づいた」とイエスは宣言されました。しかしイエスはユダヤ教当局者に捕らえられ、殺され、「すべては終わった」ように見えました。しかし、終わらなかった。聖書学者ゲルト・タイセンは「イエス運動の社会学」という本の中で述べます「イエスが来られても社会は変わらなかった。多くの者はイエスが期待したようなメシアでないことがわかると、イエスから離れて行った。しかし、少数の者はイエスを受入れ、悔い改めた。彼らの全生活が根本から変えられていった。イエスをキリストと信じることによって、『キリストにある愚者』が起こされた。このキリストにある愚者は、その後の歴史の中で、繰り返し、繰り返し現れ、彼らを通してイエスの福音が伝えられていった」。キリストにある愚者とは、世の中が悪い、社会が悪いと不平を言うのではなく、自分たちには何が出来るのか、どうすれば、キリストから与えられた恵みに応えることが出来るのかを考える人たちであり、この人たちによって福音が担われ、私たちにも継承されているのです。「ガリラヤに行きなさい」、「イエスが活動された現場に行きなさい」、「自分一人の信仰に安住するのではなく、イエスと共に現場に飛び込め」とマルコは私たちに迫るのです。


カテゴリー: - admin @ 08時29分10秒

03 25

1.神の見捨ての中のイエスの死

・マルコ福音書を読んでおります。イエスは木曜日の夜に捕らえられ、死刑宣告を受け、金曜日の朝9時に十字架にかけられました(15:25)。十字架刑はローマに反逆した者に課せられる特別な刑で、受刑者はむち打たれ、十字架の横木を担いで刑場まで歩かされ、両手とくるぶしに鉄の釘が打ち込まれて、木に吊るされます。手と足は固定されていますので、全身の重みが内臓にかかり、呼吸が苦しくなり、次第に衰弱して死に至ります。マルコはイエスの死の有様を、感情を入れないで淡々と書き記します。
・マルコは記します「昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」(15:33)。聖書においては、闇や暗黒は神の裁きを象徴します。実際に天変地異が生じたというよりも、マルコがイエスの十字架死を神の裁きの出来事と理解したゆえの表現でしょう。アモス書には「その日が来ると・・・私は真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする」(アモス8:9)という預言があります。「神の子が十字架で殺される」、「これは主の裁きの日だ」と、マルコは「全地は暗くなり」という表現で語っています。
・3時になった時、イエスが大声で叫ばれます「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(15:34)。イエスの十字架刑の時、ガリラヤから来た女性たちが立ち会っていました。彼女たちはイエスの断末魔の叫びをゴルゴダで聞き、それを聞いたままに弟子たちに報告し、それが伝承となり、マルコ福音書の中に取り入れられたものと思われます。この言葉はイエスが日常話されていたアラム語で残されています。おそらく、イエスの肉声を伝える言葉、その言葉をマルコは、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」とギリシャ語に直して掲載します。
・イエスは十字架上で七つの言葉を残されたと福音書は伝えます。その中で最も有名な言葉の一つがルカ23:34「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」という言葉です。十字架上で自分を殺そうとする者のために祈られたイエスの言葉に、私たちは感動します。私たちもそうありたいと願います。しかし、マルコの伝える言葉「わが神、わが神、どうして私を捨てられたのか」は困惑する言葉です。「神の子が何故絶望の叫びを挙げて死んでいかれたのか」、弟子たちはイエスの言葉を理解できませんでした。そのような思いがこの叫びを、イエスは詩篇22篇の冒頭の言葉を語られたのだという理解に導きます。マタイはイエスの叫びをヘブル語に修正します「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(27:46)。ヘブル語で書かれた詩篇の言葉に近づけるためでしょう。詩篇22篇は4節からは讃美に転じており、イエスは神を賛美して死んでいかれたのだという理解です。ただこの解釈には無理があります。何故ならば、引用句自体が絶望の叫びであることは否定出来ないからです。
・ルカは、イエスが絶望の叫びをされるはずがないという視点から言葉を削除し、「父よ、私の霊を御手に委ねます」(23:46)という従順の言葉に変えました。ヨハネはイエスの十字架死は贖いのためであったと理解し、最後の言葉を「成し遂げられた」(19:30)という言葉にします。それぞれの福音書記者の信仰によって、イエスの最後の言葉の修正が加えられていきました。このような修正を経ることによって、イエスの十字架死の意味が、「神の見捨て」から、「栄光のキリスト」に変えられていきます。
・しかし、イエスの死の美化はゲッセマネで悶え苦しむイエスの姿を無視しています。マルコは死を前にして悶えるイエスの姿を隠しません。ゲッセマネのイエスは「私は死ぬばかりに悲しい」(14:34)と言われ、「この杯を私から取りのけて下さい」と神に切望されます(14:36)。またヘブル書もイエスの苦しみを証言します「キリストは、肉において生きておられた時、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(ヘブル5:7)。断末魔のイエスの言葉「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」こそ、イエスにふさわしい言葉だと思います。イエスは苦しんで、絶望の中で死んでいかれた、しかし絶望の中でなお神を呼び続けておられた。このイエスの信仰が十字架を救いの出来事にします。
・「わが神、わが神、どうして」、多くの人がこの体験をします。先の大震災では無念の内に2万人の人が亡くなりました。原爆で殺されていった人たちも、「何故」と問いながら死んでいかれました。人生には多くの不条理があります。もしイエスが平穏の内に、神を賛美されながら死んでいかれたとしたら、そのイエスは私たちと何の関わりもない人です。「イエスもわれわれと同じように生きて、同じように死の苦しみと不安を覚えられた。この事実がイエスとわれわれの距離感を縮める。神の前では全てが受け入れられる。嘆き悲しむ時は嘆き悲しんでも良い。イエスですら死に臨み、悲鳴し、絶望したのだから、死に直面した時のわれわれの弱さとて義とされる。これは何よりも慰めになり、癒しになるのではないか」(モルトマン説教集「無力の力強さ」から)。

2.弟子たちもその場にいなかったが、婦人たちがいた

・イエスの叫びを聞いて、周りにいた人々は言いました「そら、エリヤを呼んでいる」(15:35)。預言者エリヤは生きたまま天に移され、地上の信仰者に艱難が望むとこれを救うと信じられていました。そのため、人々はイエスの「エロイ、エロイ」という叫びを、エリヤの助けを求める叫びと考え、「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いました(15:36)。しかし、エリヤは来ませんでした。ローマの番兵は海綿に酸いぶどう酒を含ませてイエスに飲ませようとしますが、イエスは拒否されます。ぶどう酒には没薬が混ぜてあり、飲むと痛みが軽減されます。しかし、イエスは苦痛を軽減されることなく、苦しみをそのままに受けられました。そして最期に大声で叫ばれて息を引き取られます。何の奇跡も起来ませんでした。
・その時、「神殿の垂れ幕が上から下まで真二つに裂けた」とマルコは報告します(15:38)。神殿の垂れ幕、神殿の聖所と至聖所を隔てる幕のことです。この言葉も象徴的な意味を持ちます。イエスの死によりユダヤ教の神殿祭儀はもはや不要になったとマルコはこの表現を用いて語っているのです。マルコ福音書の読者は紀元70年にエルサレム神殿がローマ軍によって破壊され、今は廃墟となっている歴史を知っております。読者たちは神殿の垂れ幕が裂けたことを通して、神ご自身が神殿を破壊されたと理解しています。
・イエスの十字架刑の時、ただ婦人たちのみが立ち会ったとマルコは記します(15:40)。弟子たちは逃げ去っていました。イエスの仲間として捕えられるのが怖く、また十字架上で無力に死ぬ人間が救い主であると信じることが出来なかったのです。弟子たちはイエスを捨てました。しかし、婦人たちはそこに残り、細い糸はなおつながり、やがてこの婦人たちがイエスの復活の目撃者になり、その出来事を通して弟子たちに信仰の回復が起こります。

3.イエスの十字架の中に神の臨在を見る

・今日の招詞に詩編22編2-3節を選びました。次のような言葉です。「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。私の神よ、昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない」。イエスは十字架上で「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫んで、息を引き取られましたが、この叫びは詩篇22編冒頭の言葉です。弟子たちは「イエスこそメシア、救い主」と信じてきたのに、そのメシアが無力にも十字架につけられ、十字架上で絶望の言葉を残して死なれた。「この方は本当にメシアだったのか、メシアが何故絶望して死んでいかれたのか」、弟子たちは詩篇22編を通して、イエスの死の意味を探していきます。
・詩篇22編にはイエスの受難を預言するような言葉が満ちています。福音書にある人々の嘲笑の言葉も、詩篇22編から引用されています「私を見る人は皆、私を嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら、助けてくださるだろう』」(詩編22:8-9)。ローマの兵士たちはイエスの服をくじで分けますが、その光景も詩篇22編の引用です「犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み、獅子のように私の手足を砕き・・・私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」(詩篇22:17-19)。最後に詩人は歌います「主よ、あなただけは私を遠く離れないでください。私の力の神よ、今すぐに私を助けてください。私の魂を剣から救い出し、私の身を犬どもから救い出してください」(詩篇22:20-21)。
・イエスは人に棄てられ、神に棄てられ、絶望の中に死んで行かれました。イエスが十字架にかけられた時、人々はイエスを嘲笑しました。しかし、イエスが息を引き取られた後では嘲笑は消え、その代わりに思いがけない言葉が語り始められます。マルコはイエスの十字架を目撃したローマ軍の百卒長が「本当にこの人は神の子であった」と告白したと記します。ローマでは皇帝が神の子と呼ばれました。そのローマ帝国を代表してその場にいた百人隊長が、皇帝の名によって処刑されたイエスを「神の子」と呼んでいます。何がローマの兵士にこの言葉を言わせたのでしょうか。彼はイエスの十字架死に神の働きを見ました。そこに神がおられることを感じたのです。この出来事から100年もしないうちに、ローマ帝国の到る所に、イエスを救い主とするキリスト教会が立てられていきます。何故イエスの死が人々の魂を揺さぶったのか。十字架とそれに続く復活が多くの人々を、「信じない者を信じる者に変えていった」(ヨハネ20:27)です。
・神は私たちの苦難と共におられる、それを象徴する挿話があります。エリ・ヴィーゼルはアウシュビッツ強制収容所を生き残ったユダヤ人作家ですが、その著書『夜』の中で自身が収容所の中で体験した出来事を記しています。「ある日、3人が絞首刑にされた。二人の大人ともう一人は子供だった。収容所長の合図で三つの椅子が倒された。二人の大人はすぐに息絶えた、しかし子供は体重が軽いため首輪が閉まらず、何時間も臨終の苦しみを続けた。それを見ていた一人が叫ぶ『神はどこにおられるのだ』。その時心のなかで、ある声がその男に答えているのを感じる『どこだって。ここにおられる、ここに、この絞首台に吊るされておられる』」。その後、ヴィーゼルは、あるユダヤ人のラビに聞いたそうです「アウシェビッツの後でどうしてあなたは神を信じることが出来るのですか」と。するとラビは「アウシェビッツの後で、どうして神を信じないでいられましょうか」と答えたそうです。
・苦難が私たちに重くのしかかる時、私たちはしばしば言います「この苦しみはあなたなどにはわからない」。そして私たちは心を閉ざし、自分の世界に閉じこもります。しかしイエスの十字架の苦しみは私たちのどのような苦しみよりも深い。イエスは苦難の底で絶望しながらも、「わが神、わが神」と叫ばれました。イエスは「神なしで死んでいかれた」。しかし「神はイエスと共におられた」。イエスの叫びが私たちに伝えることは「聖書の神は私たちの苦しみを知り給う。正にこのことが、絶望のどん底にいる人を慰める」という事実です。私たちが苦難の中にあり、誰もそれを理解してくれない時にも、神はそこにおられる。その信仰が教会を形成していったのです。


カテゴリー: - admin @ 08時09分24秒

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