すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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06 18

1.お互いを裁きあうローマ教会の人々

・ローマ書を読み続けており、今日はローマ14章を読みます。14章のテーマは「習慣の違いが教会を壊す事も有り得る」ことに対する警告です。ユダヤ人は律法の規定により、豚肉や血抜きしない肉、また異教の神殿に捧げられた犠牲の肉等は汚れたものとして食べることを禁じられていました。最初のキリスト教会はエルサレムに立てられ、構成員はユダヤ人でしたので、この食物規定は、特に大きな問題にはなりませんでした。ところが、教会がギリシャ・ローマ世界に広がるにつれて、神殿に捧げられた肉や血抜きしない肉を食べてもよいのかどうかが、教会を二分する問題になっていきます。何故ならば、ローマ帝国内の諸都市で、市場に出回っていた肉の多くは異教の神殿に捧げられた動物の肉であり、当然血抜きもしてない。その肉を食べることは律法に反するではないかとの疑問が生じたからです。エルサレム使徒会議でもこの問題が議論され、「偶像に供えて汚れた肉」や「絞め殺した動物の肉(血抜きしていない肉)」は食べていけないと決められました(使徒15:28-29)。
・同じ問題を、私たち日本の教会も抱えています。日本は人口の多くが非キリスト教徒で、かつ神社や仏閣が方々にある、多神教の世界です。その中で、聖書の信仰を守ろうとする時、いろいろな問題が生じてきます。例えば親から継承した位牌や仏壇をどうすればよいのか、葬儀における焼香や合掌という儀式にどう対応するのか、日曜日に運動会や授業参観があれば礼拝を休んでもよいのか等々、私たちがこの日本でキリスト者として生活するために、社会とどのように折り合いをつけるかが課題となります。そして往々にしてこのような瑣末な出来事が教会の分裂を招きます。パウロがローマの教会に手紙を送ったのも、教会中にそれぞれの習慣をめぐっての争いがあり、無益な争いを止めるように勧告するためです。
・パウロは書きます「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません」(14:1)。パウロは宗教的な配慮から肉食を避け、野菜だけを食べる人たちを「信仰の弱い人」と呼んでいます。教会内のユダヤ人キリスト者たちは、「肉を食べることは罪だ」と考えていたようです(14:2)。他方、多数派は何を食べても良いとする異邦人キリスト者で、彼らはギリシャ・ローマの流れを汲む自由主義者でした。少数派のユダヤ人キリスト者たちは、ユダヤ教の禁欲的な伝統で育ち、穢れたものは食べていけないという教えを守って来た人々です。異邦人信徒たちは、禁欲的な人々を「信仰の弱い者」として軽蔑し、他方ユダヤ人信徒は節度を守らない異邦人を「罪人」として裁いていたようです。パウロはこのような人々に言います「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません」(14:3a)、何故ならば「神はこのような人をも受け入れられたからです」(14:3b)。
・パウロの考え方は明白です。彼は言います「それ自体で汚れたものは何もないと、私は主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです」(14:14)。イエスは言われました「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが人を汚す」(マルコ7:15)。だからパウロは何を食べても良いと考える人たちを律法の制約から解放されているという意味で「信仰の強い人」と呼び、食べてはいけないと思い込んでいる保守的な人たちを「信仰の弱い人」と言ったのでしょう。
・では何を食べても良いのだから自由主義者が正しいのか、パウロは違うと言います。たとえ何を食べても良いとしても、肉を食べることでつまずく人がいるのに肉を食べることは間違っている。彼は言います「あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません」(14:15a)。何故ならば「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」(14:15b)。正しい行いであっても、その行いが人を傷つける時、それは正しいものではなくなります。パウロは続けます「 食べ物のために神の働きを無にしてはなりません。全ては清いのですが、食べて人を罪に誘う者には悪い物となります」(14:20)。

2.違いを認める場が教会だ

・この問題は現代の日本の教会の中にもあります。日本の教会はアメリカの宣教師によって立てられたものが多いため、アメリカに倣って禁酒禁煙が当たり前で、お酒を飲んだり煙草をすったりするのは罪であると考える人が多いようです。他方、欧州の教会においては、牧師もビールやワインを楽しみ、喫煙する人も多い。お酒を飲むとか、煙草をすうとかの問題は各人が信仰の良心によって決めればよい問題であるのに、それがあたかも信仰上の譲れない出来事のようになり、争いが起きています。ローマ教会で起きていた出来事は私たちの周りにも起きているのです。
・偶像に捧げられた肉を食べることは、信仰の本質に関わる問題ではありません。しかし、食べることによって、つまずく人がいるのに食べることは、信仰の本質に関わる問題です。他者の救いを閉ざす行為だからです。日本のキリシタン禁制時代に用いられた踏み絵を踏むかどうかも、同じ問題を抱えています。踏み絵そのものは板に聖母子を描いたメダルを組み込んだもので、それ自体何の意味もありません。しかし、踏み絵を踏んだ人々の信仰は崩れました。それは人の前で、最も大事に思うものを踏みつけにする、自己の信仰告白を偽りと表明する行為だったからです。私たちの信仰は、私たちの生活を規定します。行為が人を救うわけではありません。しかし、信仰は行為を導くのです。キリスト者は全ての事に自由ですが、その自由はキリストの十字架の犠牲を通して与えられました。そのキリストは他者のために死なれた。ですから、他者への愛が自由を制限します。

3.教会の一致のために

・今日の招詞にローマ12:4-5を選びました。次のような言葉です「というのは、私たちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、私たちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです」。私たちは多くの兄弟姉妹と共に教会を形成します。部分である個人個人は多様な価値観と世界観を持ちます。お酒を神が下さった恵みとしていただく人もいるし、酒の害を見てお酒を飲むことは罪だと思う人もいます。肉を食べても良いと考える人もいれば、肉は動物の生命を絶って食べるのだから、「殺すな」という戒律に反すると考える人もいます。どちらも正しい。
・しかし、教会において求められるのは「人の正しさ」ではなく、「神の正しさ」です。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜び」(14:17)です。「肉を食べてもよいか」、という問題は、「キリストは彼のためにも死なれた」という真理の前では些細な問題です。その些細な問題で教会を壊してはいけない。パウロはコリント教会への手紙の中で述べます「全てのことが許されている。しかし、全てのことが益になるわけではない。全てのことが許されている。しかし、全てのことが私たちを造り上げるわけではない」(1コリント10:23-24)。自分の正しさだけを主張していく時、教会は壊れるのです。
・パウロはローマ13章で次のように語りました「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」(13:9-10)。キリスト者の自由とは、自分の権利を相手のために放棄する自由です。「キリストが私のために自分を捨てて死んでくださった」、このキリストの愛を知った時に私たちは根底から変えられます。私たちはキリストが私たちを赦してくれたのだから他の人を赦します。たとえ誰かが私たちの右の頬を打つなら、左の頬を向けます」(マタイ39)。これは単に抵抗しないことではありません。泣き寝入りすることでもありません。「悪に対し、善をもって立ち向かう」という積極的な生き方です。「キリストは彼のためにも死んでくれたのだから、彼のことを祈る」、これこそがキリスト者の生き方です。
・病気の人が教会に来ても病気が良くなるわけではなく、貧乏な人が教会に来ても金持ちになるわけでもありません。しかし、病気のままに、貧乏のままに祝福を受けるのが教会です。外部状況は変わらなくとも内部から新しい人間に変えられていくのが、教会と言う場です。教会はその神と出会う場、そこに教会員同士の争いがあれば、そこは神の国でなくなります。少なくとも信仰の本質にかかわらないところで争って、教会を壊すことはやめたい。先祖の位牌はどうすればよいのか、十分の一献金はしなければいけないのか、酒を飲んでも良いのか。子供の運動会のために礼拝を休んでよいのか。それぞれの事柄は、自分の信仰によって決断すればよい出来事であり、教会で対立する出来事ではない。違いがあってもよい。お酒を飲む人も飲まない人もいていい。信仰の本質に関わらない問題では争わない。本質で一致し、細部は個々の人の決断に委ねる。そこに神の国が生まれていきます。そのような教会を、この地に、共に建設したいと祈ります。


カテゴリー: - admin @ 08時05分18秒

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