すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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09 30

1.サムソンの愚かさ

・旧約聖書「士師記」にありますサムソンとデリラの物語は、文学や音楽、映画などで数多く取り上げられて有名です。「失楽園」等を書いた17世紀英国の詩人ミルトンは、この物語をギリシャ悲劇の様式に倣った劇詩「闘士サムソン」として創作しました。またヘンデルやサン・サーンスは「サムソンとデリラ」をオペラ化しています。レンブラントは「目をえぐられるサムソン」を絵画にしています。さらにセシル・デミルは物語を「サムソンとデリラ」として映画化しています。サムソン物語は、聖書の中でも最も知られた物語の一つです。何が芸術家たちをそのように魅惑するのでしょうか。今日は士師記の最終章である16章から物語を聞いていきます(士師記17章以下は後代の付加であり、サムソンは最後の士師です)。
・「サムソンは聖別されたナジル人として、人々の期待の中で生まれ、成長しました」(13:24-25)。彼は無双の力を持つ救国の英雄でしたが、欠点は女性の魅力に弱いことで、最初はペリシテ人女性を愛し、結婚しますが、争いを起こして失敗しています。そのサムソンがまたもペリシテの女に迷うところから16章の物語は始まります。「サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛するようになった」(16:4)。ペリシテ人たちは自分たちを苦しめるサムソンの怪力の秘密を知るためにデリラを誘います「サムソンをうまく言いくるめて、その怪力がどこに秘められているのか、どうすれば彼を打ち負かし、縛り上げて苦しめることができるのか、探ってくれ。そうすれば、我々は一人一人お前に銀千百枚を与えよう。」(16:5)。
・デリラは金銭の欲と同胞の脅しの中で、サムソンに言い寄り、力の秘密を探ろうとしますが、サムソンは応じません。デリラは何度も哀願します「あなたの心は私にはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか。もう三回もあなたは私を侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった」(16:15)。来る日も来る日もデリラがこう言って迫ったので、サムソンは耐えきれず、ついに心の中を一切打ち明けたと士師記は記します「私は母の胎内にいた時からナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、私の力は抜けて、私は弱くなり、並の人間のようになってしまう」(16:17)。デリラはサムソンを眠らせて、その髪の毛をそり、力はサムソンを去ります。彼はペリシテ人に捕らえられ、目をくりぬかれて奴隷にされます。「サムソンは眠りから覚めたが、主が彼を離れられたことには気づいていなかった。ペリシテ人は彼を捕らえ、目をえぐり出してガザに連れて下り、青銅の足枷をはめ、牢屋で粉をひかせた」(16:20-21)。私たちは神によって生かされています。サムソンの力も神から与えられたものです。その力は、彼が生まれる前からナジル人として神にささげられた者であることによって、神から与えられた賜物でした。しかしそのことを忘れた時、神の力はサムソンから去り、サムソンはただの人になってしまいました。

2.サムソンの悔い改め

・サムソンは、全てを失い、光さえも失った牢獄の中で、自分がかつて主なる神に捧げられた者だったこと、それによって力を神の賜物として与えられていたのだということを、初めて本当に知り、自覚します。そして自分の神に捧げられた者としての人生を、デリラへの執着、彼女への欲望のゆえに売り渡してしまったこと、神との関係よりも人間との関係を、女性への欲望を第一としたために、かけがえのないものを失ってしまったことを、後悔と共に知ったのです。人間は追いつめられないと真実は見えないのです。
・しかし追い詰められた人が真摯に悔い改めて祈る時、神は人の声を聴いてくださいます。サムソンの髪の毛は再び伸び始め、それに伴い、彼の力も復活しました。サムソンは自分の罪を悔い、祈り、神との交わりが回復したのです。それを知らないペリシテ人はサムソンを見世物にして楽しもうと宴席にサムソンを呼びます。士師記は記します「ペリシテ人の領主たちは集まって、彼らの神ダゴンに盛大な生贄をささげ、喜び祝って言った。『我々の神は敵サムソンを我々の手に渡してくださった』。民もまたサムソンを見て、彼らの神をたたえて言った。『わが国を荒らし、数多くの同胞を殺した敵を、我々の神は、我々の手に渡してくださった』。彼らは上機嫌になり、『サムソンを呼べ。見せ物にして楽しもう』と言い出した。こうしてサムソンは牢屋から呼び出され、笑いものにされた」(16:23-25)。
・サムソンは最後の力を振り絞って主に祈ります「私の神なる主よ。私を思い起こしてください。神よ、今一度だけ私に力を与え、ペリシテ人に対して私の二つの目の復讐を一気にさせてください」(16:28)。そこには自分の命をも捨てる真剣な祈りがありました。サムソンは「建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。サムソンは『私の命はペリシテ人と共に絶えればよい』と言って、力を込めて押した。建物は・・・そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった」(16:29-30)。

3.サムソン物語をどう読むか

・今日の招詞に詩篇107:12-14を選びました。次のような言葉です。「主は労苦を通して彼らの心を挫かれた。彼らは倒れ、助ける者はなかった。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみに救いを与えられた。闇と死の陰から彼らを導き出し、束縛するものを断ってくださった」。17世紀英国の詩人で『失楽園』を書いたミルトンは、この物語をギリシャ悲劇の様式に倣った劇詩として創作しました(闘士サムソン)。そこにはかつて天下無双の怪力を誇った英雄の姿はなく、妖艶な女性の魅力に負けた結果、敵方に囚われ、視力を奪われ、労役を科せられながら、過去を内省して苦闘する人間の姿が描かれています。ジョン・ミルトンは41歳の時、過労で失明しています。自らが失明して、彼は失明したサムソンの悲しみと祈りを理解したのでしょう。ミルトンは盲目でありながら「イリアス」や「オデッセイア」を描いたギリシャ詩人ホメロスをあげ、盲目が〈内面の目〉を培い、真の洞察に至ることを説きます。
・ミルトンが代表作「失楽園」を書いたのは、彼の失明後です。ミルトンは語りました。「盲目であることが悲惨なのではない、盲目に耐えられないことが悲惨なのだ。真理のための受難は崇高なる勝利への勇気なのだ」。ミルトンと同じように、盲目の中で自分は何を為すべきかを考え抜いた全盲の牧師がいます。玉田敬次牧師は神学校を卒業して宮城県の教会に牧師として赴任しますが、全盲の自分が晴眼者ばかりの教会に赴任して仕事が出来るだろうかという不安を持っていました。その彼に恩師が語ります「教会は牧師一人が働くところではなく、役員や会員が一緒になって奉仕する場所である。目に見える牧師はつい自分一人でやっていくことが多い。しかしあなたは目が見えないから、嫌でも信徒の手助けを借りなければならない。その方が真の教会の姿である」。目が見えないからこそ為すべきことがあることを示されたのです。
・玉田牧師はやがて故郷に戻り、芦屋三条教会の牧師になり、多くの人を育てましたが、その一人が小森禎司氏です。小森氏も全盲でしたが、励ましを受けて明治学院大学で英文学を学び、やがて桜美林大学の教授となり、ジョン・ミルトン研究に生涯を捧げます。盲目の中で「失楽園」を書いたミルトンを紹介する事こそ、自分に与えられた天命だと全盲で生まれた小森氏は思われた。詩編は歌います「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみに救いを与えられた」。主の助けがあれば、盲目になっても多くのことが出来ることを、サムソン物語は語ります。ミルトンはサムソンの生き方に励まされて「失楽園」を書き、小森禎司氏は失楽園を読んでジョン・ミルトン研究に生涯を捧げ、その小森氏に触れて多くの盲人たちが励まされました。
・サムソンは途方もない乱暴者で、女性の誘惑に弱く、失敗ばかりを繰り返し、最後は敵に捕らえられて目を抉り出されるような悲劇も経験しています。しかし、残酷な抑圧者であるペリシテ人に対し、繰り返し抵抗します。民衆は失敗しても失敗しても諦めないサムソンの姿に感動しています。このことは現代日本社会に大事なメッセージを語るのではないかと思います。サムソン物語が私たちに伝えるのは、やり直すことを認める寛容性です。田原総一朗氏は「日本人の不寛容性が日本の成長を阻害している」と語ります。「日本の最先端の研究所はアメリカのシリコンバレーに集中している。何故か、それは日本の経営者たちは失敗を恐れてチャレンジせず、企業の価値判断が失敗を許されない空気に包まれているからだ。しかし、シリコンバレーでは、3回4回失敗しないと相手にされない。失敗をおかすことが特権なのである。社会全体が失敗を甘受しないと、研究者が活躍できない」。畑村洋太郎氏は「失敗学」という本を書きました。失敗に学び、同じ愚を繰り返さないようにするためにはどうすればよいか、それは人を責めるためではなく、同じ失敗を繰り返さないための学問です。日本人は不都合な真実を隠そうとしますが、それは失敗に向き合うことを許さない社会の体質があるためです。しかしやり直すことを認めない不寛容の国は滅びます。多くの芸術家たちが、盲目になったサムソンに惹かれたのは、盲目になってもあきらめず、今一度のやり直しを祈って為し遂げたからです。
・ペテロは生前に三度イエスを否定していますが、教会は、彼の失敗を責めず、彼を教会の筆頭使徒に立て、そのことによって初代教会は活動を拡大する事ができました。パウロは教会の迫害者でありながら復活のイエスと出会い、偉大な伝道者になりました。もしパウロがかつて教会を迫害したことをもって教会が彼の伝道活動を阻んだら、今日のキリスト教会はなかったでしょう。神は自分に不誠実であったサムソンに、何度もやり直しの機会を与えられました。髪の毛をそられて力を喪失したサムソンに対し、彼の髪の毛を再び伸ばすことにより力を与えてくれました。聖書は「人にやり直すことを認める赦しの福音」に満ちた書なのです。聖書は、「人間の失敗とそれを赦す神の憐れみの歴史」を物語る書なのです。


カテゴリー: - admin @ 07時47分35秒

09 23

1.サムソンとペリシテ人との戦い

・9月は礼拝の中で士師記を読んでおります。士師記はサムソン物語を13−16章の4章にわたって記します。士師記の中で、最も長い物語です。サムソンはペリシテ人と対峙した士師(戦争指導者)です。ペリシテ人は、紀元前15-13世紀に、エーゲ海よりパレスチナ海岸に侵入した海洋民族で、それ以降、彼らの名によってこの地域は「パレスチナ=ペリシテの地」と呼ばれるようになりました。彼らは、ガザ、アシュドデ、アシュケロン、ガテ、エクロン等の海岸部に都市を築き、士師時代後期からイスラエル最大の強敵となります。そのペリシテ人の支配からイスラエルを救い出すために、士師サムソンが起こされました。
・サムソンはペリシテ人からイスラエルを守るために士師として召命されますが、「彼はナジル人として召命されて生まれた」(13:5)と描きます。ナジル人は神から特別の召命を受け、聖別(ナーザル)された者という意味で、強い酒を飲まないこと、髪をそらないことが求められました。「サムソンは聖別された者として、人々の期待の中で生まれ、成長した、主は彼と共におられた」(13:24-25)と士師記は描きます。
・そのサムソンが成人した時、彼はペリシテ人女性を愛し、結婚します。サムソンの両親は異民族の女性との婚姻に反対しますが、士師記は、これは主の計画であったと描きます(14:3-4「父母にはこれが主の御計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった。当時、ペリシテ人がイスラエルを支配していた」)。サムソンはペリシテの女性をめとりますが、妻はサムソンの力の秘密を同胞のペリシテ人に漏らしてしまい、怒ったサムソンはペリシテ人30名を殺してしまいます(士師記14:17-19「宴会が行われた七日間、彼女は夫に泣きすがった。彼女がしつこくせがんだので、七日目に彼は彼女に明かしてしまった。彼女は同族の者にそのなぞを明かした。七日目のこと、日が沈む前に町の人々は彼に言った。『蜂蜜より甘いものは何か、獅子より強いものは何か。』するとサムソンは言った。『私の雌牛で耕さなかったなら、私のなぞは解けなかっただろう。』その時主の霊が激しく彼に降り、彼はアシュケロンに下って、そこで三十人を打ち殺し、彼らの衣をはぎ取って、着替えの衣としてなぞを解いた者たちに与えた。彼は怒りに燃えて父の家に帰った」。)
・サムソンの乱暴に憤慨した妻の父は娘をサムソンと離縁させ、同胞のペリシテ人の男に嫁がせます。怒ったサムソンは報復にペリシテ人の畑を焼いてしまう乱暴をします(士師記15:3-5「サムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえ、松明を持って来て、ジャッカルの尾と尾を結び合わせ、その二つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付けた。その松明に火をつけると、彼はそれをペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の山から麦畑、ぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やした」)。

2.ペリシテ人の報復

・ペリシテ人たちは自分たちの畑を焼いたサムソンへの報復に、最初にサムソンの嫁と舅を殺し、さらにサムソンの身柄引き渡しをイスラエルに求めます(15:9「ペリシテ人は、ユダに上って来て陣を敷き、レヒに向かって展開した」)。恐れたイスラエルの人々はサムソンを縛って、ペリシテ人に差し出します。ここにサムソン物語の本来の意味、支配者たちが敵を怖れる中で、一人でペリシテ人と戦うサムソンの姿があります。イスラエルの人々は言います「我々がペリシテ人の支配下にあることを知らないのか。何ということをしてくれた」(15:11a)。それに対してサムソンは答えます「彼らが私にしたように、彼らにしただけだ」(15:11b)。ここにあるのは、現在の沖縄・普天間基地の辺野古移転問題と同じ構造です。基地の県内移転に反対する沖縄住民に対して、日本政府は威嚇します「我々がアメリカ軍の支配下にあることを知らないのか」。それに対して沖縄の人々は応えます「私たちは自分の国で平和に暮らしたいだけなのだ」。政府の役割は、住民の切実な声を汲み上げて官民一体で米軍と交渉することですが、政府はその役割を放棄し、先頭に立ってアメリカ軍基地造成を行っています。それはペリシテ軍の圧力に押されて、「我々は、お前を縛ってペリシテ人の手に渡すためにやって来た」(15:12)と語るイスラエルの指導者と同じです。
・共に戦うイスラエル人は誰もいなかったのに、サムソンは一人で立ち向かっていきます。「サムソンがレヒに着くと、ペリシテ人は歓声をあげて彼を迎えた。そのとき、主の霊が激しく彼に降り、腕を縛っていた縄は、火がついて燃える亜麻の糸のようになり、縄目は解けて彼の手から落ちた。彼は、真新しいロバのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、これで千人を打ち殺した」(15:14-16)。ここには敵を殺すことに対する罪悪感はなく、殺した敵の数を誇る風潮があります。サウルやダビデの時代もそうでした(サムエル記上18:5-7「イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』」)。これは、ある意味やむを得ないことかもしれません。戦国時代とは、敵を殺すことが正義である時代なのです。

3.サムソン物語をどう読むか

・今日の招詞にヘブル11:32-34を選びました。次のような言葉です。「これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました」。
・サムソン物語をどう読むかは難しい課題です。今日の私たちから見ますと、サムソンは士師にふさわしくない乱暴者です。それにも関わらず、士師記は最大の記述をサムソンについて割り当てます(13−16章)。彼は当時イスラエルを占領し、支配するペリシテ人に、恐れず立ち向かった救国の英雄として描かれています。乱暴者サムソンがペリシテ人を殺したことを士師記は礼賛します。「神の民イスラエルは無割礼のペリシテの支配下にいてはいけなかった。ペリシテを恐れて何もしない民を奮起させるために主はサムソンを用いられた」と理解し、新約時代のヘブル書ですら、彼を信仰の人として描きます。士師記の人物は、ギデオンにせよ、エフタにせよ、サムソンにせよ、不完全な人です。主は不完全な人を用いて御旨を行われることを士師記は示しています。
・勝村弘也は「サムソン物語雑考」の中で語ります「士師記13〜16章に描き出されているサムソンの姿は、読者に独特の奇妙な印象を与える。サムソンは、ここで〈士師〉の一人に数えられているようではあるが、イスラエルをペリシテ人の抑圧から解放したわけでもなく、何らかの軍勢を指揮したわけでもない。彼はどこまでも単独で行動する〈テロリスト〉的な人物に見える。聖書の読者は当惑するほかない。」彼は続けます「サムソンは、ふつうの士師でもナジル人でもない。しかし、まさにこの男からイスラエルの解放は〈開始〉されたと申命記史家は主張している。サムソンによってペリシテ人に対する闘争は始まった。ペリシテからの救出ないし解放はダビデによって完成するが、サムソンはこのサウルからダビデへと続く展開の先駆者と見られていることになる。」
・新約のへブル書はサムソンを肯定します。「獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました」と。サムソンは途方もない乱暴者で、また女性の誘惑に弱く、失敗ばかりを繰り返し、最後は敵に捕らえられて目を抉り出されるような悲劇も経験しています(16:21)。しかし民衆は失敗しても失敗しても挑戦を続けるサムソンの姿に感動し、そのことが多くの伝承を生み、士師記に最大のページ数を割り当てさせたと思います。このことは現代日本社会に大事なメッセージを伝えるのではないかと思います。先に述べた沖縄の基地問題です。沖縄に米国の軍事基地を提供することが、本当に日本の「平和と安全」に寄与するのかの議論がなされないままに、新しい基地建設が進められています。それに対して「普天間飛行場の移設先は国外、最低でも県外」と唱えた鳩山前首相はつぶされて行きました。世の人々は「鳩山氏はアメリカという巨大な風車に、ドン・キホーテのように突っ込んで見事にぶっ飛ばされた」と嘲笑しますが、ある意味でペリシテ人という強大な風車に跳ね飛ばされたサムソンの生き方もドン・キホーテに似ています。沖縄の自治が、日本政府とアメリカ政府によってつぶされようとしている現在、ドン・キホーテ的存在は必要です。
・聖書は私たちに世の大勢に流されず、「主によって示された正しいことをせよ」とサムソン物語を通して語っておられます。教会は世にあって世に仕えますが、世にならうことはしません。「人の目ではなく、神の目に何が正しいのか」を求めて生きます。サムソンは、多くの人々がペリシテ人を怖れて何もできなかった時、一人でペリシテ人に立ち向かって行きました。国民の多くがアメリカ軍の威圧の下に何もしようとしない時、「平和に暮らしたい」と基地建設反対を訴える沖縄の人々がいます。かつてユダヤを攻めてきたアッシリアの軍隊から逃れるために、エジプトに頼った人々にイザヤは語りました「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない・・・エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない」(イザヤ31:1-3)。日本の安全保障を何故アメリカの軍事力に頼るのか、アメリカ人も肉に過ぎないではないか。サムソン物語は私たちに、今の日本の国家としての在り方をどう考えるかを、一人一人に迫る物語です。


カテゴリー: - admin @ 07時56分14秒

09 09

1.アンモン人との戦いのために立てられたエフタ

・士師記の二回目です。前回に引き続き、士師エフタの物語を読んでいきます。イスラエルは主の前に罪を犯し、主はイスラエルをアンモン人の支配下に放置され、アンモン人はヨルダン川東岸のギレアドを侵略し、川を越えて西岸の地域をも侵し始めました。「敵は、その年から十八年間、イスラエルの人々、ヨルダンの向こう側ギレアドにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめした。アンモン人はヨルダンを渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた」(10:8-9)。
・イスラエルは主に救いを求め、主は彼らを救うためにエフタを士師として選ばれます。このエフタは仲間と徒党を組んで隊商を襲う夜盗集団の頭でした。エフタはギレアドの出身でしたが、遊女の子であったので、故郷を追われてトブの地にいました(11:1-3)。その勇敢さは聞こえていたので、人々は彼に指揮官になるよう頼みます。エフタはギレアデ人の指導者となっても、アンモン人に対して直ちに戦闘を開始しませんでした。彼は先ず、平和的手段で争闘の根を絶とうとしました。彼は使者をアンモン人の王に派遣して、その要求の非をただし、和平交渉をします。11:12-28までは、当時の外交談判の記録です。エフタは平和解決の方法を試みましたが、ギレアデ人の力を侮ったアンモン王は、これを斥けました。ここに至って、「主の霊がエフタに臨んだ」(11:29a)。戦闘の力は、平和の手段が尽きる時に降ります。エフタはアンモン人との戦いに臨みます。「彼はギレアドとマナセを通り、更にギレアドのミツパを通り、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた」(11:29b)。
・しかし強大な敵を打ち負かす自信はありません。彼は戦場に臨むに先だって、神に誓いを立てます「もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰る時、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす献げ物といたします」(11:30-31)。彼が担った責任は、余りに重大でした。彼は自己の力に頼ることができず、そうかと言って、未だ全く神の援助を信じることができませんでした。誓願は人の至情から出るものですが、同時に前後を顧みない無謀な誓いでした。自分の家の者を人身御供に出すから、この戦に勝たせてほしいと嘆願したのです。彼は如何なる犠牲を払っても、この戦争に勝たなければならないと思ったのでしょう。戦争は、大勝利で終わり、強敵は征服され、民の自由は回復されました。そして勇者は、凱旋の栄光を担ってその家に帰りました。ところが、エフタが家に帰ってみると、彼を最初に迎えたのは、彼の娘でした。
・士師記は記します「エフタがミツパにある自分の家に帰った時、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った『ああ、私の娘よ。お前が私を打ちのめし、お前が私を苦しめる者になるとは。私は主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない』」。エフタは娘を生贄として捧げることになってしまいます。彼はおそらく召使を捧げる心積もりであったのでしょう。しかし、現れたのは娘でした。
・娘は悲しみますが、誓願の言葉を破ることは出来ません。彼女は「生贄」として捧げられ、死んで行ったと士師記は記します。「彼女は言った『あなたは主の御前で口を開かれました。私を、その口でおっしゃったとおりにしてください・・・二か月の間、私を自由にしてください。私は友達と共に出かけて山々をさまよい、私が処女のままであることを泣き悲しみたいのです』。二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓い通りに娘を捧げた」(11:36-39)。

2.犠牲の死

・「人はどこから来て、どこへ行くのか。そして何ものなのか」、いくら考えても答えが出ない問いです。私たちは生活の忙しさの中で、普段はそのことを考えません。しかし、自分の命がかかった事態に遭遇すると考えざるを得ません。エフタは戦争という、「負ければ自分は死ぬし、国は亡びる」という極限状況の中で、「勝利の暁には家の者を生贄として捧げます」と誓願してアンモン人との戦いに臨みました。愚かな決断で、そのために彼は娘の命を失ってしまいます。しかし士師記はこれを愚かな出来事とは考えません。内村鑑三は「士師エフタの話〜少女の犠牲」という文の中でこの出来事を語ります。「誓願そのものが、既に間違いであったのです。その成就は、敢えて怪しむに足りません。私共は、エフタの迷信を憐れみましょう。彼の浅慮を責めましょう」と語ります。「しかし」、と彼は続けます「彼の誠実を尊び、彼の志を愛せざるを得ません。燔祭の事実はどうであったとしても、犠牲の事実は、これをおおうことはできません。エフタはここに、凱旋の帰途において、彼の一人の娘を失ったのです。この事によって、彼の高ぶった心は低くされ、誇ろうとした心はへりくだされたことでしょう」(内村鑑三全集第19巻、明治45年6月10日)。
・内村は続けます「彼はたびたびギレアデの首領にならずに、トブの地で彼の一人の娘と共に隠れて、幸福な日を終生送りたかったと願ったでしょう。しかし、幸福は人生最大の獲物ではありません。義務は幸福に優ってさらに貴いのです。義務のゆえに私共は、たびたび幸福を捨てざるを得ません。そして義務のために私共が蒙る損失は、決して損失ではないのです。エフタは彼の幸福を犠牲にして、彼の国を救いました。そしてエフタの娘は彼女の生命を犠牲にして、彼女の父の心を清めました。犠牲なしには、人生は無意味です。もしイスラエルを救うためにはエフタの苦痛が必要であり、そしてエフタ自身を救うためには彼の娘の死が必要であったということであれば、神の聖名は讃美すべきです。エフタは無益に苦しまず、彼の娘は無益に死にませんでした。神はそのようにして人と国とを救われるのです」。この内村の解釈をどう受け止めるかが今日の主題です。
・東京大学・高橋哲哉教授は、「戦前の靖国体制は戦争犠牲者を神として祀ることによって戦争を遂行した。戦後の経済成長も安全保障も『犠牲』の上に成り立っている」と批判します。「福島の原発事故は、原発推進政策に潜む『犠牲』のありかを暴露し、沖縄の普天間基地問題は、日米安保体制における『犠牲』のありかを示した。もはや誰も『知らなかった』とは言えない。沖縄も福島も、中央政治の大問題となり、国民的規模で可視化されたのだから。経済成長や安全保障といった共同体全体の利益のために、誰かを「犠牲」にするシステムは本当に正当化できるのか」と問いかけます(『犠牲のシステム 福島・沖縄』から)。
・そして、高橋氏は内村鑑三に言及します。「祖国のための死を称えることは、日本だけではなく、欧米の近代国民国家もそれをナショナリズムの核とし、戦争を繰り返してきた。キリスト教の犠牲の論理としては、内村鑑三が日露戦争中の1904年に出した『非戦主義者の戦死』や、旧約聖書エフタの物語の中で『犠牲に犠牲、人生は犠牲であります。犠牲なくして人生は無意味であります』と書いている」と批判しました。キリスト教の犠牲の信仰の中核は、「贖罪信仰」であり、キリストの犠牲により救われるとの教えが、内村やその他のキリスト者の犠牲礼賛を生んだと高橋氏は考えています。
・文中に引用されている「非戦主義者の戦死」は1904年日露戦争の時に書かれました。国民すべてに兵役命令が出て、内村の非戦主義に賛同する若い弟子たちに戦争に参加すべきかどうかを問われた時代です。内村は彼らに対して、「博愛を唱うる平和主義者は、この国やかの国のために死なんとはしない。されども戦争そのものの犠牲になって、彼の血をもって人類の罪悪を一部分なりとあがなわんためには、彼は喜んで、神に感謝して、死に就かんとする。彼は彼の殉死によって彼の国人を諌めんと欲し、また同胞の殺伐に快を取る、罪に沈める人類に悔い改めを促さんとする。」と書きました。高橋哲哉氏はこの内村の考え方こそ「犠牲のシステムを推進した」と批判するのです。

3.私たちはこの物語をどう読むか

・今日の招詞に第一ヨハネ3:16を選びました。次のような言葉です「イエスは、私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです」。ヨハネにとっては「愛し合う」とは「相手のために命を捨てる」ことであり、その根拠は「イエスが私たちのために命を捨てて」下さったという贖罪愛にあります。キリスト教の根本教理は、「贖罪による救い」です。神の子が私たちのために死んでくださった、だから私たちも他者のために死んでいこうと信仰です。人間の愛は常に自己の利益を求めて相手を裏切りますが、神の愛はその裏切り続ける者のために死ぬ愛です。神の子が自分のために死んでくれた、そのことを知った時、私たちはもう以前のような生き方は出来ない。この贖罪愛が私たちをキリスト者にします。
・この贖罪の信仰は理性で理解することが難しい事柄です。だから高橋氏のような批判が出てきます。それは自分が血を流して体験した時に初めてわかる信仰です。「宝島」や「ジキルとハイド」を書いた作家のロバート・スティーヴンスンは、ある時、らい病者たちが収容されたハワイのモロカイ島を訪れます。島では、ダミアン神父がライ病者救済のために働き、神父死後は修道院のシスターたちがらい病者の世話をしていました。島を訪れた彼は次のような詩を歌います「この所には哀れなことが限りなくある。手足は切り落とされ、顔は形がくずれ、さいまれながらも、微笑む、罪のない忍苦の人。それを見て愚か者は神なしと言いたくなろう」。なぜ、らい病のような忌まわしい病気があるのかわかりません。不信仰者はそれを見て「神はどこにいるのか」とうそぶきます。
・しかし、彼は続けます「もう一度見つめるならば、苦痛の胸からも、うるわしさ湧き来たりて、目に留まるは歎きの浜で看取りする姉妹たち。そして愚か者でも口をつぐみ、神を拝む」(スティーヴンスン「旅の歌」より)。らい病者のために自分の生涯を捧げる人がいます。この人たちこそ、キリストの贖罪死に心動かされたキリストにある愚者です。この世は神がいないかのように悪で満ちている社会です。不条理の中で多くの涙があります。その中で世の力に迎合しよとせず、キリストの苦難と連帯しようとする人々がいます。そのような人を通して、「神を見た者は、まだ一人もいない。もし私たちが互に愛し合うなら、神は私たちのうちにいまし、神の愛が私たちのうちに全うされる」(第一ヨハネ4:12)という言葉が成就します。知性や理性を超えた信仰の力、贖罪愛こそが、私たちが証ししていくべきものなのです。


カテゴリー: - admin @ 08時15分09秒

09 02

1.士師記とはどのような書か

・創世記の学びを終え、9月には士師記を読んでいきます。皆さんの中には、士師記を読んだことがないという人もおられるでしょうが、そこにも大事な使信があります。士師はヘブル語で「ショフェティーム」、英語では「Judges」と呼ばれ、裁き司、治める者という意味です。エジプトを脱出したイスラエルが約束の地に入り、ダビデ・ソロモンの統一王朝を形成するまでの250年間の苦難の歴史が、指導者「士師」の物語を通して、描かれています。
・イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを出て(出エジプト)、神が与えると約束された地に向かって歩んで行き、やがてモーセは死に、後継者ヨシュアに率いられて、民は約束の地カナンに入ります。約束の地と言っても、そこには先住民族が住んでおり、イスラエルは彼らと戦いながら、土地を獲得しなければなりませんでした。しかし、鉄製の武器を持ち、城壁で守られた都市を攻略することは難しく、当初は人があまり住んでいない山地に入り、そこに定着を始めたと言われています(1:19)。
・神が与えると約束された土地をイスラエルは占領することが出来ませんでした。歴史的には武力に勝る敵を追い払えなかったということでしょうが、士師記はそれを「神を信頼しない」不信仰の故と記します(2:1-3)。戦いを通して、イスラエルはカナンの地に少しずつ足場を築いていきますが、周辺部族からの絶え間ない侵略に常に悩まされます。士師記はそれを「民が主を忘れ、罪を犯した時に、裁きとして略奪者が送られた」と理解しています(2:14)。

2.ギレアドの苦難

・異邦人の侵略に悩んだ民の一つがギレアドの民です。主の前に罪を犯したイスラエルを、主はアンモン人の支配下に放置されたと士師記は語ります。「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行い、バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた・・・主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された」(10:6-7)。アンモン人はヨルダン川東岸のギレアドを侵略し、さらには川を越えて西岸の地域をも侵し始めます「敵は・・・十八年間、イスラエルの人々、ヨルダンの向こう側ギレアドにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめした。アンモン人はヨルダンを渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた」(10:8-9)。
・イスラエルは救いを求めますが、主は拒否されます「バアルやアシュトレトの偶像の神を拝んでいるのなら、その神々に救いを求めればよいではないか」。しかし、イスラエルなおも救済者を求め、主は彼らを救うためにエフタを選ばれます。エフタは隊商を襲う夜盗集団の頭でしたが、その勇敢さは聞こえていたので、人々は彼に指揮官になるよう頼みます。「帰って来てください。私たちの指揮官になっていただければ、私たちもアンモンの人々と戦えます」(11:6)。
・エフタはギレアド出身でしたが、遊女の子であったため、故郷を追われてトブの地にいたと士師記は記します(11:1-3)。その自分を追放した町の人たちが、自分が困ると助けを乞いに来る。エフタは当初は指導者になることを断ります。「あなたたちは私をのけ者にし、父の家から追い出したではありませんか。困ったことになったからと言って、今ごろなぜ私のところに来るのですか」。しかし度重なる要請にやむを得ず、承諾します。

3.戦いのために立てられたエフタ

・エフタはギレアドの指導者となり、民のために、アンモン人と戦う準備をします「エフタはギレアドの長老たちと同行した。民は彼を自分たちの頭とし、指揮官として立てた』(11:11)。やがてエフタはアンモン軍と戦い、これを撃破し、ギレアドの地を守りますが、そのために取り返しのつかない犠牲を払うことになります。それが娘を生贄として捧げる出来事です。エフタは故郷の人々の懇願を受け入れ、アンモン人との戦いに臨みますが、勝つ自信が持てません。そのため彼は「勝利の暁には家の者を生贄として捧げます」と誓願します。「もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰る時、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす献げ物といたします」(11:30-31)。
・彼はおそらく召使を捧げる心積もりであったのでしょう。召使ならば死んでも良いと思ったのでしょう。戦いはエフタの勝利になり、エフタが家に帰ってみると、彼を最初に迎えたのは、彼の娘でした。「エフタがミツパにある自分の家に帰った時、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った『ああ、私の娘よ。お前が私を打ちのめし、お前が私を苦しめる者になるとは。私は主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない』」(11:34-35)。娘は悲しみますが誓願の言葉を破ることは出来ません。彼女は「生贄」として捧げられ、死んで行きました(11:36-39)。

3.罪の縄目の中で

・今日の招詞に士師記21:25を選びました。次のような言葉です「そのころイスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。アブラハムが息子イサクを生贄として捧げよと命じられた時、主は備えの羊を送ってそれを止めさせられました(創世記22:10-15)。しかし、今回は何もされません。アブラハムのイサク奉献との違いはどこにあるのでしょうか。アブラハムは何十年間もの祈りの結果与えられた子であるイサクを、「生贄として捧げよ」と命じられます。アブラハムには主の御心がわかりません。しかし、一言も反論せず、主の命に従います。彼はイサクを連れてモリヤの山に向かい、途中でイサクは父に尋ねます「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」。それに対してアブラハムは応えます「子よ、必要なものは神が備えて下さる」(創世記22:8)。しかし、エフタは「誓願」という形で神と取引し、その罪を問われました。
・礼拝学者のジョン・バークハートは、人は何故礼拝するかについて語ります「私たちが生きている社会は、ほとんどすべての価値が『それは何の役にたつか』という尺度によって測られている・・・私たちの中の多くは、この世は『役に立つ』ものと『役に立たない』ものの二種類に分類できると考えている」。エフタは神が役に立つと信じるゆえに、捧げものと引き換えに神の恩恵を求めました。彼は神を利用しようとした罪の結果を突きつけられたのです。しかも追い詰められても悔い改めることをしなかった。バークハートは続けます「神をまるで私たちの目的を達成するための手段であるかのように取り扱うことは、私たち自身が神であると思い込むことに他ならない」(越川弘英「今礼拝を考える」p29-30)。
・本当に意味のある捧げものとは自分自身を捧げることです。かつてモーセは罪を起こした民衆を救うために祈りました「この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこの私をあなたが書き記された書の中から消し去ってください」(出エジプト記32:31-32)。仮に、エフタが「娘を助けて下さい。そのためには私の命を消し去ってもかまいません」と祈れば、主はおそらく許されたでしょう。エフタに欠けていたものは「神は憐れみ深い」という信仰です。エフタは「神に為した誓願は守らなければいけない」と自分の正しさに固執し、神の正しさと憐れみに物事を委ねなかった。そのことが娘を殺したのです。
・士師記の物語は当時の悪の現実、イスラエルに王がなかった時代、それぞれめいめいがどのように、自己満足的に生きていたか、その堕落の極み、偶像礼拝、不品行、内乱の状況を描いています。私たちが神を離れ、自分の心の基準に従って歩みだすと、結果的には、悪と混乱を極めていく他はありません。人間が「自分の目に正しいと見える」ことを行う時、その必然的な結果は暴力的な混沌なのです。士師記の物語をそのことを私たちに告げます。・聖書でいう罪=ハマルテイアとは、「的から外れる」という意味です。的から外れる、神なしに生きるという意味です。神なき世界では、人間は人間しか見えません。他者が自分より良いものを持っていればそれが欲しくなり(=貪り)、他者が自分より高く評価されれば妬ましくなり(=妬み)、他者が自分に危害を加えれば恨みます(=恨み)。神なき世界では、この貪りや妬み、恨みという人間の本性がむき出しになり、それが他者との争いを生み出していき、世は弱肉強食の、食うか食われるかの世界になります。士師記の「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」ことによる混乱はそのことを示唆するのです。バークハートを紹介した越川先生は語ります「礼拝とは何かを獲得するために人々が集まる場ではなく、私たちに本当に必要なものが既に与えられていることを知って感謝する人々の集いなのです」(同p32)。


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09 24

1.主の戦いからギデオンの戦いへ

・ギデオン物語を読んでおります。今日が最終回です。ミディアンの大軍をたった300人の奇襲戦で破ったギデオンは、敗残の敵兵をヨルダン川を越えて、追跡していきます。ギデオンは途中、ガド族の町スコトの人々に支援を求めましたが、人々は拒否します。「ギデオンはヨルダン川に着き、彼の率いる三百人と共に川を渡った。疲れきっていたが、彼らはなお追撃した。彼はスコトの人々に言った『私に従ってきた民にパンを恵んでいただきたい。彼らは疲れきっている。私はミディアンの王ゼバとツァルムナを追っているところだ』。しかし、スコトの指導者たちは『私たちがあなたの軍隊にパンを与えなければならないと言うからには、ゼバとツァルムナの手首を既に捕らえているのか』と言った」(8:4-6)。スコトの町は長い間ミディアン人の支配下にありました。彼らはギデオン軍の貧弱な兵を見て、勝利を危ぶみ、協力を断りました。ギデオンは協力を拒んだスコトを呪って先を急ぎます。しかし、ペヌエルの町も同じように協力を断り、ギデオンは報復を誓います。「彼はそこからペヌエルに上って、同じことを要求したが、ペヌエルの人々もスコトの人々と同様の答えをした。そこで彼は、ペヌエルの人々にもこう言った『私が無事に帰って来たなら、この塔を倒す』」(8:8-9)。
・ミディアン軍はヨルダン川東岸の奥深くまで逃げていましたが、ギデオン軍が攻め、ついには王も捕らえられます。「ゼバとツァルムナは、約一万五千の軍勢を率いてカルコルにいた。すべて東方の諸民族の全軍勢の敗残兵であった。剣を携えた兵士十二万が、既に戦死していた。ギデオンは、ノバとヨグボハの東の天幕に住む人々の道を上って、敵の陣営を攻撃した。陣営は安心しきっていた。ゼバとツァルムナは逃げたが、彼はその後を追った。彼はこの二人のミディアンの王ゼバとツァルムナを捕らえ、その全陣営を混乱に陥れた」(8:10-12)。敵を制圧したギデオンは、今度は自分たちに協力しなかったスコトとベヌエルの人々を殺します。「ギデオンは町の長老たちを捕らえ、荒れ野の茨ととげをもってスコトの人々に思い知らせた。またペヌエルの塔を倒し、町の人々を殺した」(8:16-17)。これは主が命じられた戦いではありませんでした。6-7章の主語は「主」でしたが、8章の主語は「ギデオン」です。戦いの性格が「主の戦い」から「個人の報復」に変わり始めています。

2.個人崇拝に陥った晩年のギデオン

・ギデオン軍の大勝利によって、イスラエルに平和が戻りました。士師記は記します「ミディアン人は、イスラエルの人々によって征服されたので、もはや頭をもたげることができず、ギデオンの時代四十年にわたって国は平穏であった」(8:28)。人々は平和をもたらしたギデオンに、「王になって自分たちを治めてほしい」と要請します。「イスラエルの人はギデオンに言った『ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください』」(8:22)。しかしギデオンはこれを断ります。「ギデオンは彼らに答えた。『私はあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる』」(8:23)。イスラエルを治められるのは主なる神です。同時代の文書であるサムエル記では、主は王を求める人々に語られます「「主はサムエルに言われた『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ』」(サムエル記上8:7)。
・ギデオンの答えは表面上信仰的ですが、ギデオンは本当に主の支配を求めていたのか、疑念を感じさせる文書を士師記は残します。彼は王になるのは断りましたが、人々に戦利品の金を提供するように求めます。「ギデオンは更に、彼らに言った『あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪を私に渡して欲しい』。敵はイシュマエル人であったから金の耳輪をつけていた。人々は『喜んで差し上げます』と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れた。彼の求めに応じて集まった金の耳輪の目方は、金千七百シェケルで、そのほかに・・・飾り物があった」(8:24-26)。
・集められた金は総量20キロにも達しました。ギデオンはそれを用いて、大祭司の衣服であるエフォドを作ります。彼は王にこそなりませんでしたが、個人崇拝を求めたのです。ここからギデオン一族の堕落が始まります。「ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった」。(8:27)。
・ギデオンは王になることを辞退しましたが、実際には「王のような生活」をむさぼります。「ヨアシュの子エルバアルは、自分の家に帰って住んだ。ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。シケムにいた側女も一人の息子を産み、彼はその子をアビメレクと名付けた」(8:29-31)。
彼は多くの妻たちを抱え、子供も70人生まれます。実質的に彼は王のような生活を行ったのです。晩年の驕りは息子の名前にアビメレク(訳すると「わが父は王」)とつけたことにも現れています。人は成功すれば驕り、やがては自分が正しいと思うことをし始め、そこに世の乱れが生じてきます「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」(21:35)。士師記が教えるのは、主のために戦った人もやがては堕落する事です。信仰は主の名を呼び続けない限り、堕落していくのです。

3.神の人でありつづけるために

・今日の招詞に申命記8:17-18を選びました。次のような言葉です。「あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」。イスラエルをミディアン人から救ったギデオンは、王になってほしいという民の要請を断りますが、事実上彼は王のような生活を行い、生まれた子にアビメレク(父は王)と名づけます。そのギデオンの高慢が罪を生みます。
・ギデオンが死ぬと子のアビメレクは母方のシケムに行き、「王として立つので支援して欲しい」と要請し、シケムの一族はそれを受け入れます(9:1-3)。ギデオンは王になることは神の主権を侵すことだと拒否しましたが、息子のアビメレクは王になるために兄弟を殺します。「彼らがバアル・ベリトの神殿から銀七十をとってアビメレクに渡すと、彼はそれで命知らずのならず者を数名雇い入れ、自分に従わせた。彼はオフラにある父の家に来て、自分の兄弟であるエルバアルの子七十人を一つの石の上で殺した。末の子ヨタムだけは身を隠して生き延びた」(9:4-5)。彼を支援したのはカナン人であるシケム族、資金は偶像神の神殿から出ました。彼はその資金で親衛隊を雇い、兄弟を殺して王位につきます。彼の生き方は「自分で正しいと思うことをする」、彼はレメクの末裔です。創世記は記します「レメクは妻に言った『・・・私は傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍』」(4:23-24)。
・王とは神の委託を受けて民を統治するものであり、彼は最初から王の資格を欠いていました。神の召命を受けずに自分の力でなった王位は、神により剥奪されます。士師記は記します「神はアビメレクとシケムの首長の間に、険悪な空気を送り込まれたので、シケムの首長たちはアビメレクを裏切ることになった。こうしてエルバアルの七十人の息子に対する不法がそのままにされず、七十人を殺した兄弟アビメレクと、それに手を貸したシケムの首長たちの上に、血の報復が果たされることになる」(9:23-24)。アビメレクは反抗するシケム族を攻め滅ぼしますが、戦いの中で女の投げた碾き臼が彼の頭を直撃し、彼は死にます(9:52-53)。
・この物語は、「歴史は誰が支配しておられるのか、人間か神か」を問いかけます。歴史の主体が人であればそこは弱肉強食の力の世界になります。物語後半のギデオンのように、です。しかし、歴史の主体が神であれば、そこにおいては委託と正しさが求められます。物語前半のギデオンはまさにそうでした。今日の招詞の言葉は深い意味を持ちます「あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」。この感謝の心をなくした時、人は滅んでいくのです。
・神が共におられる時、人間はその力を超えた業ができます。ギデオンが300人の手兵で10万人を超えるミディアン軍を破ったように、です。しかし人が「その業は私が行った」と考え始めた時、主の霊はその人を離れ、彼は「自分の目に正しいとすることをおこなう」ようになり、破滅します。パウロが語りました。「力は弱さの中でこそ十分に発揮される・・・だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう・・・なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」(第二コリント12:9-10)、自分の無力を知るゆえに神の名を呼び続ける、そのような人生を歩みたいと願います。


カテゴリー: - admin @ 08時14分44秒

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