すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.弟子の召命

・クリスマスも終わり、年内最終礼拝の時を迎えています。私たちはヨハネ福音書を読み続けます。今日は、ヨハネ1章後半を通して、キリストの弟子になるとはどういうことか、考えてみたいと思います。洗礼者ヨハネがユダの荒野で宣教を始めた時、ユダヤ全土から多くの人々がヨハネの許に集まりました。ローマの植民地支配に苦しむ人々は、聖書に預言された救世主(メシア)が来られて、イスラエルが救われることを求めていました。だから、「世の終わりは近い、メシアが来られる」との洗礼者ヨハネの呼びかけに人々は共感し、もしかしたらこの人こそメシアかも知れないとの期待を込めて、集まったのです。アンデレと無名の弟子(おそらくは福音書の著者ゼベダイの子ヨハネ)もまた、ガリラヤからユダの荒野に来ていました。その二人に、洗礼者は「私よりも優れた方がおられる。この方こそ神の子羊だ」として、イエスを指し示しました(1:36)。
・二人の弟子はイエスの後をついていきます。イエスは二人を見て、「何を求めているのか」と言われました。二人は聞きます「ラビ、どこにお泊りですか」(1:38)。二人はイエスの泊まっておられた所に行き、一晩中イエスの話を聞き、この人こそメシアだと確信しました。翌朝、アンデレは兄弟シモンの所に行き、告げます「私たちはメシアに出会った」(1:41)。そして、シモンをイエスのところに連れて行きました。イエスはシモンを見つめて言われました「あなたをケファ(岩)と呼ぶことにする」(1:42)。ケファはアラム語の岩、それをギリシャ語に直すとペトロになります。イエスは青年シモンの中に、やがて教会の土台石(ペトロ)となるべき素質を見出されたのでしょう。
・やがて、イエスは、「宣教のために働くべき時が来た」ことを自覚され、郷里ガリラヤに帰ることを決意されました。ヨハネの許には、同じくガリラヤから来たピリポもいました。イエスはピリポにも、「私に従いなさい」と呼びかけられ、ピリポも従います。イエスに出会ったピリポは、同郷のナタナエルをイエスの許に誘います。「私たちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」(1:45)。ナタナエルは「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と反論しますが、ピリポは「来て、見なさい」としてナタナエルを連れて行きます(1:45-46)。イエスはナタナエルを見て言われます「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(1:47)。ナタナエルはびっくりします。今までイエスに会ったこともないのに、この方は私を知っておられる。イエスは答えて言われました「私は、あなたがピリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」。ナタナエルは出会う前から自分を知って下さったこの方こそメシアであることがわかり、告白します「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(1:49)。

2.イエスの弟子となる

・今日の物語の中でまず注目したいことは、「来て見なさい」と言う言葉が繰り返し用いられていることです。イエスはアンデレとヨハネに「来なさい、そうすれば分かる」と言われ、二人は従い、イエスがメシアであることを知ります。ピリポもまた「私に従いなさい」(1:43)という言葉に従い、イエスの弟子となります。そのピリポが今度はナタナエルに「来て、見なさい」(1:46)と誘い、ナタナエルもまたイエスにひざまずく者になります。信仰は出会いです。「来て、見なさい」という招きに応えて、その人に会い、その人の話を聞き、自分で確認することにより、出会いが起こります。私たちがキリストと出会う、それが伝道の第一歩です。
・次に証言の連鎖によって伝道が為されているのに気が付きます。洗礼者ヨハネはイエスを「見よ、神の子羊」と弟子たちに証言し、その言葉が二人の弟子をイエスに導き、導かれたアンデレは自分の兄弟ペトロを探し「私たちはメシアに出会った」と証言し、その証言がペトロをイエスに導きます。そのペトロはピリポに証言し、ピリポは知人のナタナエルに証言し、彼をイエスの下に導きます。伝道とは、自分が出会ったもの、見出したものを、隣人に伝えていくことです。ヨハネからアンデレへ、アンデレからペトロへ、ペテロからピリポへ、ピリポからナタナエルへと証言されていき、やがて彼らがイエスに従う弟子集団になって行きます。
・ヨハネ1章から教えられる三番目のキーワードは「留まる」という言葉です。弟子たちがイエスに「先生、どこに泊まっておられますか」と尋ねた時の「泊まる」と言う言葉は、「メノー」と言うギリシャ語です。このメノーはヨハネ福音書に40回用いられる特別な言葉で、「泊まる」と言うよりも「留まる」という意味を持っています。二人は「今夜どこに宿泊するのですか」と言う表面的な問いと同時に、「神の救いの計画の中であなたはどこに留まっているのですか」という内面的な問いをイエスにしているのです。ですから、その日、彼らは「ついて行って」、「イエスがどこに留まっているか」を見届け、「彼らもそこに留まり」、「私たちはメシアにあった」と証言するのです。

3.生きる勇気の発信源としての教会

・今日の招詞にヨハネ15:4を選びました。次のような言葉です「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない」。「私につながっていなさい」という時の「つながる」は、ヨハネ1章で見た「留まる=メノー」です。木の生命は根であり、その根から幹が伸び、幹から枝が分かれます。枝は根や幹から栄養分や水分をもらうことによって、実を結ぶことが出来ます。幹から離れた枝は枯れるばかりです。私たちは幹であるイエスに留まり続けることによって、豊かな実を結ぶのです。
・イエスの宣教によって、多くの人々がイエスこそ神の子と信じ、教会が生まれました。しかし、生まれたばかりの教会はユダヤ教から異端として迫害を受け、ローマ帝国からは邪教として弾圧され、多くの人々が教会から脱落していきました。本当にイエスにつながっていなかった、留まっていなかったからです。それに対し、危機に直面してもなお、イエスをキリストと告白し神の子と信じる者は、殺されても信仰を曲げませんでした。その弟子たちの死をも恐れない信仰を見て、多くの人々が福音を信じていきます。留まり続けた人々の存在によって伝道の業は進められていったのです。
・私たちはぶどうの幹ではなく、枝です。「イエスに留まらない時」、イエスを離れた時、信仰の実は枯れてしまいます。どうすればイエスに留まり続けることが出来るのでしょうか。「教会に留まり続ける」ことによってです。多くの人々は牧師や信徒の罪を見て、教会に失望し、教会から離れていきます。しかし、教会から離れた時、教会の頭であり命の源であるキリストからも離れるのです。教会に招かれた人々が教会に留まり続けるためには何が必要なのでしょうか。教会に集う人々に与えられる「生きる勇気」を、いただき続けることだと思います。
・先週ご紹介しましたティリヒという神学者は語りました「生きる勇気とは自己肯定ができる勇気であり、受け入れられていることを受け入れること」だと。人はどのような困難の中にあっても、「愛されている」、「必要とされている」ことを知った時、「生きる勇気」を与えられます。「お前はだめだ」と他者から言われなかった人はいないでしょう。自己が否定される経験は誰でもがします。ヨハネの教会も、ユダヤ人共同体から排除され、ある者は殺され、ある者は投獄されていました。しかし、神を信じる人は自己が否定されても、倒れることはありません。なぜならば神の肯定を知るからです。イザヤは語りました「私は思った、私はいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、私を裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのも私の神である」(イザヤ49:4)。この神の肯定があれば、現実が苦しくとも、苦しみが喜びに変わる日が来ることを信じることができます。「神はあなたを愛しておられる、あなたを必要としておられる」、それこそが神から預かった福音です。私たちは神から預かった言葉を伝えるためにここにいます。
・自己肯定こそ人間を生かす道です。経済学者の神野直彦氏は語ります「人間の欲求には所有欲求と存在欲求があり、所有欲求が充足されれば豊かさが実感され、存在欲求が充足されれば幸福を実感する」(神野直彦「分かち合いの経済学」から)。日本が豊かになったのに人々が幸福になれないのは、この存在欲求が満たされていないからです。スェーデンでは、社会サービスを「オムソーリー(悲しみを分かち合う)」と呼びます。神野先生は続けます「人間の生きがいは他者にとって自己の存在が必要不可欠だと実感できた時である、悲しみの分かち合いは、他者にとって自己が必要だという生きがいを与える」。この「オムソーリー」の概念は聖書から来ます。パウロが語る「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」(ローマ12:15)を制度化したものが北欧の社会保障システムです。それに対し、日本の場合は、自己責任が求められ、社会保障の大部分は社会保険で構成され、社会保険料を納めることのできない非正規社員やシングルマザー等の低所得の人々は、生活保護という屈辱の中でしか生きるために必要なものを受け取ることができません。この分かち合いのシステムが欠けていることが、人間の尊厳を損なっています。
・財政学者の井手英策氏は語ります「格差社会が問題なのは、所得格差があることそれ自体ではない。格差が所得の少ない人々が尊厳をもって生きていけない状態を作り出したことが問題なのである。欧州の多くの国では、すべての人にとって大学は無料だし、医療も無料ないし無料に近い。北欧にいたっては年金だってみんなもらえる。全員にサービスを提供すると、みんなが受益者になる。貧しい人を助けることが自分の利益につながる仕組みがある。日本でも医療費を無償化すれば生活保護の半数近くは不要となる」(日本財政・転換の指針)。国立大学学費無償化のためには3300億円が必要ですが、それは消費税の軽減税率というばらまきを止めれば簡単に捻出できます。その気になれば、医療も教育も老後保障も無償化は可能なのです。人間が生きるために必要な育児・教育・医療・老後保障等を、所得にかかわらず受益できるようにするシステムが「分かち合いのシステム」です。
・そしてこの分かち合いのシステムは聖書の考え方から来ていることを、私たちは再認識する必要があります。私たちの教会の今年の標語は「「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」(ローマ12:15)です。これは単なる飾りではなく、私たち一人一人ができる範囲で行動することが求められています。ヤコブは語ります「私の兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(ヤコブ2:14-17)。教会は本質的に「分かち合いの共同体」であり、その実現を社会に働きかける時、そこに新しいものが生まれていく。教会こそ、人々に「生きる勇気」を与えることのできる場所なのです。


カテゴリー: - admin @ 08時20分46秒

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1.神の言葉の受肉

・今日、私たちはクリスマス礼拝の時を持ちます。与えられたテキストはヨハネ福音書1章14節以下です。ヨハネ福音書の著者はイエスの12弟子の一人、ゼベダイの子ヨハネと言われています。イエス時代のユダヤは混乱の時代でした。占領者ローマからの独立を求める反乱が各地に起こり、多くの血が流され、人々は今こそ神がご自分の民ユダヤを救うためにメシア(救世主)をお送り下さるに違いないと期待していました。だから、人々は洗礼者ヨハネの「世の終わりが近づいた。メシアが来られる」との宣教の声に応えて、「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受け」(マルコ1:5)ました。ナザレのイエスも洗礼者ヨハネから受洗し、ゼベダイの子ヨハネもその群れの中にいました。
・ゼベダイの子ヨハネに洗礼者はイエスを「見よ、神の子羊だ」(1:36)と紹介します。ヨハネは同郷の仲間アンデレと共にイエスの後に従い、一晩中語り明かしました(1:37-39)。翌日、アンデレは兄弟ペトロに語り掛けます「私たちはメシアに出会った」(1:41)。こうして数人の者が、やがて独立して宣教を始められたイエスに従うようになります。ヨハネはイエスの弟子として、3年間イエスと生活を共にしました。その間、彼は多くの驚くべきものを見、また聴きました。彼はイエスが「5つのパンで5千人を養われる奇跡」を見ました(6:11-12)。彼はイエスが人々の忌み嫌う「らい病者」に手を触れ、癒される場面を目撃しました(マルコ1:41)。彼は姦淫を犯し、人々から石を投げつけられようとしている女の前に立ち、「あなた方の中で罪を犯したことのないものがまず投げなさい」と言って、女を救われる場面を目撃しました(8:7)。そして何より、十字架で殺されたイエスが復活され、彼自身がそのイエスに出会いました(20:20)。このような経験をした彼にとって、イエスはもはや人ではなく、神としか思えませんでした。だから彼は告白します「私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(1:14b)。
・イエスを信じる者は豊かな恵みをいただくとヨハネは記します。「私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」(1:16)。この恵みこそ、「生きる勇気」だとティリヒという神学者は語りました「生きる勇気とは自己肯定ができる勇気であり、その条件が整っていないにも関わらず、受け入れられていることを受け入れること」だと彼は説明します。つまり、人はどのような困難の中にあっても、「愛されている」、「必要とされている」ことを知った時、「生きる勇気」を与えられます。らい病者は世間から「汚れた者」として排除されていました。不治の伝染病者として、彼らは道を歩く時には、「私は汚れています。私は汚れています」と叫ぶことを求められていました。その彼にイエスが手に触れて癒して下さることによって、彼は「生きる勇気」を与えられました。弟子の一人マタイの職業は取税人でした。当時、取税人は支配者ローマに仕える売国奴とされ、また強欲に税を取り立てる者が多かったため、卑しい職業とされていました。しかしそのようなマタイをイエスが弟子として招いて下さり、彼も「生きる勇気」を与えられました。まさにヨハネが書いたように「この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」のです。
・ヨハネは続けます「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(1:17)。モーセ律法は「殺すな、盗むな、姦淫するな」等の戒めであり、社会秩序を保つ上で不可欠です。しかしイエスはもっと踏み込めと言われました「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、私は言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」(マタイ5:27-28)。また「隣人を自分のように愛しなさい。それこそが最も大切な戒めだ」(マルコ12:31)と教えられました。隣人とはあなたの助けを必要としている人であり、その人はあなたの助けを通して、「自分は愛されている」、「自分は必要とされている」ことを知り、生きる勇気を与えられます。そしてヨハネ福音書のイエスはさらに踏み込まれます「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(15:13)。
・ヨハネはイエスこそ「人となられた神の言葉だ」と語ります「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(1:18)。今私たちの目の前にヨハネ福音書が置かれています。この福音書はイエス・キリストを通して、神が自己を示して下さったと証しします。その証言を信じる人も、否定する人もいるでしょう。しかし信じる時、そこに何か良いものが生まれます。

2.人間の罪を見つめる

・クリスマスになると、私たちはクリスマスソングに耳を傾けます。その一つに、「7時のニュース/きよしこの夜」という歌があります。1966年に「サイモンとガーファンクル」が発表した歌で、最初に「きよしこの夜」のきれいなメロディーが流れます「Silent night, holy night, All is calm, all is bright・・・」。その後讃美歌に並行して夜7時のラジオニュースが流れてきます。1966年のある日のニュースです「下院議会における直近の議題は、公民権法による、包括的な人種差別禁止住宅政策が争点となっています」、「コメディアンのレニー・ブルースさんが今日、ロサンゼルスで亡くなりました。42歳でした。麻薬の過剰摂取により死亡したものと見られています」、「マーティン・ルーサー・キング師は、日曜日に計画しているデモについて、中止の意向は無いことを表明しました。シカゴ郊外で、人種による住宅と居住地の差別撤廃を求めるデモ行進が予定されています」、「シカゴで今日リチャード・スペック被告の起訴を審理する大陪審が開かれました。スペック被告は9人の看護実習生を殺害した罪に問われています」、そして最後のニュースが流れます「ワシントンの下院議会では現在、非米活動についての特別小委員会で、ベトナム戦争反対運動に対する精査が行なわれており、緊迫したムードが高まっています。以上、7時のニュースをお伝えしました。良い夜をお過ごしください」。
・私たち現代人は「神は死んだ」として、人間の知性・理性に究極の信頼を置く生き方をしてきました。それを象徴する言葉がデカルトの、「我思う、故に我あり」です。「我思う、故に我あり」、神はいらないという宣言です。近代以降、私たちは神や宗教的なものを排除して来ました。その結果、私たちは神を、自分を越える絶対者を見失いました。自分を越える存在を持たない世界では、相対的存在である人間が絶対化され、個人崇拝や独裁が生まれてきます。人は他者よりも優位に立つことを競い、能力の劣る者を障害者、敗者として排除するようになり、この世は弱肉強食の苛烈な社会になってきました。人間は争い合い、殺し合い、世界大戦という全世界的な殺し合いまで行いました。二度の世界大戦を経験した人間は、自分が有限な存在であること、「神なしには生きていけない」ことを知ります。今、私たちはもう一度神に立ち返ることが必要な時に来ています。サイモンとガーファンクルのクリスマスソングは、讃美歌と世の営み(ラジオニュース)を並行させることで、私たちに「神に帰れ」と伝えているのではないでしょうか。

3.闇の終わりが来る

・ヨハネは語りました「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(1:4-5)。この暗闇はこれからも続くのでしょうか。歴史を見れば、イエスが来られても、闇は依然この世を支配していると認めざるを得ません。しかし、信仰の目で見れば異なります。ヨハネはこの闇を打ち砕くために「(イエスが)肉となって、私たちの間に宿られた」(1:14)と記します。多くの人はイエスを受け容れませんでしたが、少数の者は信じました。洗礼者ヨハネはイエスが神から遣わされたことを信じました。イエスの弟子たちも十字架と復活を通して、信じる者とされて行きました。
・少数者は信じ、信じた者は「神の子となる資格を与えられた」(1:12)。「神の子が人となられたことによって、人が神の子とされる道が開けた」、それがクリスマスの出来事だったのだとヨハネは言っています。子は自分の無力を知る故に、父なる神に拠り頼み、拠り頼む時に恵みが与えられます「私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」(1:16)。そしてヨハネは言います「最大の恵みはどんな時でも神は共にいて下さり、私たちを愛していて下さることを信じることが出来ることだ」と。まさに生きる勇気が与えられるのです。その言葉が今日の招詞、ヨハネ黙示録21:3-4です。「その時、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」。
・お正月には大勢の人が神社に初詣に行きます。人々が願うことは「家内安全、無病息災」です。「苦難が来ませんように、災いが来ませんように」と祈ります。その時、人は、闇は自分たちの外側にあって、外側の闇が自分たちを苦しめると考えています。だから、「闇が来ませんように」と祈ります。しかし、聖書が私たちに教えることは、闇は私たちの心の内側にある罪であり、その罪が取り除かれた時、闇はなくなるということです。だから私たちは、「闇が来ませんように」とは祈りません。神が共にいて下さるからです。経済的な困窮があっても、神は必要なものは与えて下さいます。病気になっても、必要であれば癒して下さるであろうし、仮に癒されなくともその病の中で平安でいることが出来ます。世の人に裏切られ、失望することがあっても、「私を裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのも私の神である」(イザヤ49:45)と信じるゆえに耐えることが出来ます。パウロが語るように、「私たちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(第二コリント4:8-9)存在に変えられたのです。世にどのような闇があろうとも、キリスト者はその闇から解放されています。イエス・キリストと出会い、生きる勇気を与えられたことこそ、私たちへの最高のクリスマス・プレゼントなのです。


カテゴリー: - admin @ 07時51分57秒

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1.洗礼者ヨハネの証し

・待降節にヨハネ福音書を読み続けています。4福音書はイエスの誕生を記した後、30歳までの出来事については何も語りません。ルカ福音書は、イエスは30歳になられるまで故郷のガリラヤにおられたと伝えます(ルカ3:25)。そのころユダヤでは、洗礼者ヨハネが立ち、「最後の審判の時が迫っている。罪を悔改めよ」と説き(ルカ3:8)、そのしるしとしてバプテスマ(洗礼)を授けていました。イエスはガリラヤでこのうわさを聞き、ヨハネからバプテスマを受けるために、ユダヤに来られました。恐らくは、ヨハネの「悔改め運動」に共鳴され、今こそ世を立て直す時だと思われたのでしょう。
・イエスが活動された時代は混乱の時代でした。当時のユダヤはローマの占領下にありましたが、ローマからの独立を求める反乱が各地に起こり、多くの人々の血が流されていました。神を信じぬ異邦人に支配されることは、自分たちを神の選民と考えるユダヤ人には忍び難い屈辱であり、今こそ神が立ち上がり、彼らを救うためにメシア(救世主)をお送り下さるに違いないという期待が広がっていました。だから、人々は洗礼者ヨハネの「世の終わりが近づいた。メシアが来られる」との宣教の声に応えて、「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」(マルコ1:5)。
・ヨハネはユダヤ人にも、バブテスマを受けるように勧めました。これはエルサレムの宗教指導者には許しがたい行為でした。ユダヤ人は生まれながらに神の民であり、そのしるしとして割礼を受けていました。他方、異邦人は救いの外にあるので、異邦人はバブテスマを受けることによってユダヤ教団に加わることを許されました。バブテスマは異邦人が受けるべきもので、ユダヤ人は受ける必要はないとされたのです。しかしヨハネは「我々の父はアブラハムだなどと思ってもみるな・・・神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタイ3:9)といってユダヤ人にもバブテスマを求めました。これは旧来の権威の否定です。
・自分たちの権威を否定されたエルサレム指導者は人を送って、ヨハネを問いつめます「お前は誰だ」(ヨハネ1:19)。お前は何の権威でこんなことをするのか、お前はメシアなのかと彼らは聞きます。ヨハネは「私はメシアではない」と否定します。では「お前はエリヤなのか」と彼らは問います。ヨハネは違うと答えます。「では、終末に来るといわれたあの預言者なのか」と聞きます。今度もヨハネは「違う」と否定します。「ではお前は誰なのだ」、というと問いに対し、ヨハネは答えます「私は荒れ野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよと」(1:23)。「私は救いが来ることを知らせる者の足だ」とヨハネは答えます。そしてヨハネは言います「私は水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人は私の後から来られる方で、私はその履物のひもを解く資格もない」(1:26-27)。

2.世の罪を取り除く神の子羊

・イエスはヨルダン川でヨハネからバブテスマを受けられました。その時の光景をヨハネは記します「私はこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、私は水で洗礼を授けに来た・・・私は、”霊"が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た・・・水で洗礼を授けるために私をお遣わしになった方が、『"霊"が降って、ある人に留まるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』と私に言われた。私はそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである」(1:31-34)。
・イエスこそ神から遣わされたメシア、キリストであると洗礼者ヨハネは受け止め、イエスを「世の罪を取り除く神の子羊」(1:29)として紹介したと福音書は伝えます。「罪を取り除く子羊」とは、罪の身代わりとして捧げられる犠牲の羊のことです。エルサレム神殿では、過ぎ越し祭りの時に、子羊を犠牲として捧げます。子羊が血を流すことによって、人の罪が贖われる(過ぎ越される)との信仰です。この信仰は現代にも継承されています。カトリック教会では聖餐式(ミサ)の時に「神の子羊(アニュス・デイ)を讃美します。「人の世の罪を取り除く神の子羊、我らを憐れみ給え、我らに平安を賜り給え」という讃美の中でミサ(聖餐式)が行われます。
・ヨハネ福音書における洗礼者ヨハネはイエスの証人です。洗礼者は彼のもとに集まった弟子たちにイエスを「神の子羊」と紹介し(1:36)、多くの者たちがやがてイエスの弟子になって行きます。アンデレ、ペトロ、フィリポ、そしてこの福音書の著者であるヨハネも、洗礼者の弟子としてヨルダン渓谷に集まっており、やがて彼らはイエスの下に集います。その後、イエスは洗礼者から離れ、独自の宣教活動を始め、洗礼者教団よりも人気を博すようになります。洗礼者の弟子たちはヨハネに「何とかして下さい」と頼みますが、洗礼者は答えます「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、私は喜びで満たされている。 あの方は栄え、私は衰えねばならない」(3:29-30)。ヨハネ福音書の洗礼者ヨハネは徹底してイエスの証人です。しかし他の福音書を見ると、洗礼者ヨハネの別な姿が記されています。

3.ヨハネでさえイエスにつまずいた

・今日の招詞としてマタイ11:4-5を選びました。次のような言葉です「イエスはお答えになった『行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている』」。洗礼者ヨハネは今、ヘロデに捕らえられ、獄にいます。獄中でヨハネはイエスの評判を聞きました。イエスは「貧しい人々は幸いである」と説かれ、盲人やらい病者を癒されている。そのような言動を聞いて、ヨハネは違和感を覚えます。「メシアは世の罪を裁き、神の支配をもたらすために来られるのではないか。一人や二人の病人を癒して何になるのか、世を変えることこそ、メシアの使命ではないか」。ヨハネは「自分は最後の審判を告知するために神に遣わされた」との自覚を持っていたようです。彼は万人が「神の怒りの審判の下に立つ」と理解し、メシアとはその審判の執行者、それ故に「火で洗礼をお授けになる方」と理解していました。
・ヨハネはメシアが来れば、世界は一変すると考えていました。しかし、イエスが来ても何も起こらない。ローマは相変わらずユダヤを支配し、ローマから任命されたヘロデは領主としての権力を誇り、自分はヘロデに捕らえられ、やがて殺されようとしている。自分が世に紹介したイエスは本当にメシアなのか、という疑問が彼の内に起こったのです。だからヨハネはイエスに尋ねます「来るべき方はあなたでしょうか。それともほかの方を待たなければなりませんか」(マタイ11:3)。
・それに対してイエスは応えられます「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、貧しい人は福音を伝えられている」。イエスはヨハネの洗礼運動に惹かれて彼の運動に参加しましたが、やがてヨハネとは別な神の国のビジョン、「神は無条件で人を恵まれる」という確信を持たれました。だからイエスはヨハネを離れて、独自の宣教を開始されました。イエスは罪人を断罪するよりもむしろ招かれ、人々に悔い改めを求めるよりも、天の父が彼らを愛し、養い、共にいて下さることを告げ知らせました。その喜ばしい知らせのしるしとして、病気や悪霊に苦しんでいる者を癒されました。
・イエスは「メシア」とは英雄ではなく、霊によって人々の心を新しく生まれ変わらせる存在だと考えておられました。しかし、人々は理解しなかったし、ヨハネもわかりませんでした。人々は自分の期待を込めた勝手なメシアを求めます。民衆は貧しい暮らしを良くしてくれるメシアを求め、支配者はユダヤをローマから解放してくれるメシアを求め、ヨハネは悪に満ちた社会を裁き、正義と公平を実現するメシアを求めていました。彼らにとってメシアとは、自分たちの願いをかなえてくれる人のことでした。イエス自身もそのことを知っておられました。だから言われます「私につまずかない人は幸いである」(11:6)。
・人々はキリストにつまずきました。キリストが来ても何も変わらないではないか。生活はよくならないし、ローマは相変わらずユダヤを支配し、世の不正や悪は直らない。本当にこの人はメシアなのか。このつまずきは私たちにもあります。信じてバプテスマを受けても、病気が治るわけではないし、苦しい生活が楽になるわけでもありません。私たちも心のどこかで「イエスが来られて何が変わったのだろうか」と疑っています。
・しかし疑うことのできない時が来ます。弟子たちはイエスが十字架につけられた時に逃げました。しかしその弟子たちにイエスが現れ、「あなたがたに平和があるように」にと言われた時(20:19)、弟子たちの疑問や恐れは吹き飛びました。弟子たちは、信じることの出来ない弱い彼らのために、復活のイエスが現れたことを知り、人生を変えられました。彼らはイエスの前にひざまずき、告白します「わが主、わが神」(20:28)。イエスの死後、弟子たちは「イエスは復活された。イエスはメシアであることを示された。私たちはその証人だ。だから、あなたたちも悔い改めて、イエスの招きを受入れなさい」と説き、死をもって脅かされても屈しませんでした。
・この弟子たちを聖書学者ゲルト・タイセンは「キリストにある愚者」と呼びました。タイセンはイエスが来て何が変わったのかを、社会学的に分析し、「イエス運動の社会学」という本を著しました。その中で彼は述べます「社会は変わらなかった。多くの者はイエスが期待したようなメシアでないことがわかると、イエスから離れて行った。しかし、少数の者はイエスを受入れ、悔い改めた。彼らの全生活が根本から変えられていった。イエスをキリストと信じることによって、『キリストにある愚者』が起こされた。このキリストにある愚者は、その後の歴史の中で、繰り返し、繰り返し現れ、彼らを通してイエスの福音が伝えられていった」。キリストにある愚者とは、世の中が悪い、社会が悪いと不平を言うのではなく、自分たちには何が出来るのか、どうすれば、キリストから与えられた恵みに応えることが出来るのかを考える人たちです。この人たちによって福音が担われ、私たちにも継承されています。私たちも、人生のいろいろの場面で、弟子たちと同じ体験を通して、イエスに出会いました。もう、元の生活には戻れない。今度は私たちが、苦しんでいる人、悩んでいる人を招く番です。今度は私たちが「キリストにある愚者」になる番です。クリスマスは私たちにそのような決断を促す時なのです。


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1.神が人となって来られた

・待降節を迎えています。キリストの降誕を待ち望む時です。その私たちに与えられました聖書箇所はヨハネ1:1-13、ヨハネ福音書の最初の言葉(序文)です。ロゴス賛歌と呼ばれるヨハネのクリスマス祝歌です。最初にヨハネは語ります「初めに言(ロゴス)があった。言(ロゴス)は神と共にあった。言(ロゴス)は神であった」(1:1)。この言=ロゴスをキリストと読み替えると意味がはっきりします。「初めにキリストがおられた。キリストは神と共におられた。キリストは神であった」。そして、「言(キリスト)は肉となって私たちの間に宿られた」(1:14)。神が人となって世に来られた、それがクリスマスの出来事であるとヨハネは語ります。ここにはベツレヘムの羊飼いも、三人の博士も、マリアとヨセフも登場しません。ヨハネは、クリスマスとは「神が人となって私たちの所へ来られた」、その一点にあると考えているからです。
・ヨハネ福音書は「イエスは神であった」という前提で書かれ、神だから創造の初めからイエスはおられたという立場をとります。ヨハネはイエスの生涯を「復活」という光の下で見つめています。ヨハネは語ります「言は肉となって、私たちの間に宿られた。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(1:14)。ヨハネ福音書は12弟子の一人「ゼベダイの子ヨハネ」が語った事柄を、弟子たちが編集してできたと言われています(20:30-31)。ヨハネはイエスに従って町々村々を訪ね、イエスが病気の人を癒し、悪霊につかれた人から悪霊を追放されるのをその目で見ました。またイエスの力ある言葉が多くの貧しい人々を励ますのをその耳で聞きました。このようなしるし(奇跡)は神以外にはできない、この人は神から遣わされたメシアだ、ヨハネはそう信じてイエスに従って行きました。しかしそのイエスがユダヤ教指導者とローマ軍により捕縛され、無残にも十字架で殺されます。ヨハネの失望はいかばかりだったでしょう。しかし死んだイエスが復活され、その復活のイエスに直接出会ったヨハネはイエスの前にひざまずき、告白します「わが主、わが神」(20:28)。ヨハネにとってイエスは地上に来られた神だったのです。
・ヨハネ福音書冒頭は、「初めに=エン・アルケー」と言う言葉で始まります。その時、ヨハネは、創世記の言葉を想起しています。当時、ヨハネが読んでいた聖書は70人訳ギリシア語聖書で、その最初の書である創世記は、「初めに=エン・アルケー」で始まります。「初めに、神は天と地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた“光あれ”。こうして、光があった」(創世記1: 1-3)。天地が創造される前、地は混沌であった、何も見えない闇の中にあった。しかし、神が「光あれと言われると光があった」。創世記はバビロン捕囚地で書かれたと言われています。イスラエルは戦争に負けて国が滅ぼされ、住民は捕虜として敵国の首都バビロンに囚われています。彼らの前途は闇でした。しかし彼らが異国の地の礼拝の中で、そこにも自分たちの神が共におられる事を知った時、彼らは闇の中に一筋の光を見出しました。「神が“光あれ”と言われると、光があった」、神は私たちをこの闇から救い出してしてくださる。その信仰が創世記を生みました。「光あれ」という言葉をヨハネも今、聞いています。ヨハネ教会もユダヤ教からの迫害の中にあります。しかし、神はかつて言葉で天地を創造されたように、今、「光を創造された、その方がイエスだ」とヨハネは語っているのです。
・ヨハネは言います「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(1:4-5)。「暗闇は光を理解しなかった」、神はイエスを光として世に送られたが、闇の中に住む人々はイエスが神から来られたことを認めなかった。そしてイエスを殺し、今はヨハネ教会の人々を迫害しています。何故、世の人々はキリスト・イエスを殺したのみならず、私たちをも迫害するのか。何故、「イエスこそキリスト(救い主)である」と信仰告白することによって、異端とされ、殺されねばならないのか。「暗闇は光を理解しなかった」、この言葉の中に厳しい迫害の中にあるヨハネ教会の叫びがあります。

2.神の子となるとはなにか

・ヨハネは続けます「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(1:10-11)。イエスを十字架につけたのは、ユダヤ教の祭司や律法学者でした。祭司たちは「神殿に礼拝し、十分の一の献げ物をすれば救われる」と人々に教えました。しかし、その献げ物は祭司が生活を立てるための物になり、彼らは宗教貴族として贅沢三昧の暮らをしていました。祭司は神のためではなく、自分のための献げ物を人々に要求していたのです。律法学者たちは神の言葉である律法を守るように教えましたが、自らは「宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好」みました(マタイ23:6-7)。律法学者もまた仕えられることを求めていたのです。祭司や律法学者たちは、自分たちは神に仕え、光の中にあると思っていましが、実は彼ら自身は人々を搾取し、闇の中に追いやっていた。そのことをイエスが批判されると、彼らはイエスを憎み、殺しました。
・「世は言を認めなかった」、「民は光を受入れなかった」、ヨハネの教会は行き場のない苦難の中にいます。しかし、彼らは希望をなくしてはいません。多くの人々はイエスを拒絶しましたが、小数の者は信じました。そして「言は、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(1:12)。神の子になるとは、命の根源である神によって生かされるという意味です。その人々は「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」(1:13)。この世的には家柄の良い人も悪い人もおり、能力の高い人もそうでない人もいます。しかし神の前ではそのような差異は問題にもならない。全ての人が神の祝福を受けてこの世に生を受けた。身体や心に障害を持って生まれた人も、社会から差別されていた人も、また神の祝福の中にあります。イエスが「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と言われた時、この暗闇に住む人々に光が来たのだとヨハネは語っています。

3.神の子の受肉を喜ぶ

・今日の招詞にマタイ25:35-36を選びました。次のような言葉です「お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ」。イエスが最後の審判について語られた言葉です。イエスは言われます「人は最後に神の前に出る。そして正しい人は右に、そうでない人は左に分けられる」。正しい人とは招詞にあるような生き方をした人、「飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、裸の人に着物を与え、泣く人を訪問する」人だとイエスは言われました。世はそのようなイエスの生き方を嘲笑しました。世はイエスを受け入れなかった。ヨハネが語るように「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(1:11)。しかし、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(1:12)。キリスト者になるとは言(イエス)を受け入れ、イエスに従って歩むことです。
・バーバラ・テイラーは「片隅のメシア」という説教をしました。彼女は述べます「主イエスは片隅に追いやられていた人々の医者としてふるまわれた。彼は重い皮膚病を患う人、悪霊に取りつかれた人、出血の止まらない女性、そしてローマ兵の部下さえも癒した。イエスの受難と復活の後、イエスに従う人々が出てきた。彼らはポタリ、ポタリと絶え間なくしたたり落ちてくる、憐れみの一滴となって生きた」。彼女は続けます「ホンジュラスで起きた大洪水の直後、アメリカの救急救命士が二人、泥の中から遺体を引き上げるのを手伝うため、自分たちの仕事を辞めて車を走らせた。中西部のある農家は隣の州の原住民特別区が干ばつで牧草の収穫ができないというニュースを聞いて、自分の畑の牧草をトラックに積み込み、夏中かかって何トンもの牧草を無償で差し出した。ある女性はロシアの孤児院に養子に迎えに訪問した時、帰り際に他の子どもたちからの『さよならママ、さよならパパ』という言葉を忘れられず、帰国後に『まだ見つかっていない親たち』というNPOを立ち上げた」。彼女は言う「これらは小さなニュースです。一度にほんのわずかな人たちだけが救われただけです。しかし、このしずくの一滴、一滴が、メシアが私たちに示されたやり方なのです」。イエスが片隅のメシアとして生きられた。
・その片隅のメシアを歌ったクリスマス・ソングが、「「キリストは明日おいでになる」という歌です(讃美歌21、244番)。こんな歌詞です。「(1番)キリストは明日おいでになる。この世が闇に閉ざされても、客間はあふれ余地なくても、昨日こられた御子のように」。ヨハネは語りました「光は暗闇の中で輝いている」(1:5a)。たとえ「この世が闇に閉ざされても、客間はあふれ余地なくても」、光であるキリストはおいでになる。「(2番」この世は今も改まらず、御子はこられる厩の中。十字架に主をくぎづけにし、墓におさめた時のままだ」。私たちを含めた「この世」は何も「改まらない」。「暗闇は光を理解しなかった」(1:5b)。しかし、そうした私たちの振る舞いのすべてを越えて、「キリストは明日おいでになる」。歌は続きます「明日を持たない人々にも、生命のパンがあたえられる。そのみからだが示すものは、また来たりたもう復活の主だ。み子キリストはいつの世にも、みどり子としておいでになる。その約束を果たすために、私たちをも用いられる」。キリストは片隅のメシアとして生きられた、そして彼に従う私たちが片隅のキリスト者として生きることにより、御子の約束が私たちを通して実現すると讃美されます。私たちを必要とする人こそ、私たちの隣人なのだとイエスも語られました。
・クリスマスは光の祭典です。私たちはろうそくの光を灯してそのことを象徴します。教会が12月25日をイエスの誕生日として祝うようになったのは、4世紀頃にローマで行われていた冬至の祭りの日を誕生日に制定してからです。ローマ暦の冬至は12月25日、冬至は夜が一番長い時、闇が一番深まる時です。しかしまた、それ以上に闇は深まらず次第に光が長くなる時です。人々はこの冬至の日こそ、光である救い主の誕生日に最もふさわしいと考えるようになりました。「光は暗闇の中で輝いている」(1:5)。私たちは暗闇の中でこの言葉を聞き、自分たちもその光を反射する者、片隅で働くキリスト者でありたいと願います。それが私たちのクリスマスです。


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