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説教書庫 Ktai edition2007年8月12日説教(1テサロニケ1:1-10、希望の信仰)(08/12 08:35) Page:1
Author : admin
Category: 13.テサロニケ第一

1.孤立した教会を心配するパウロ

・私たちは聖書日課に従って、礼拝の聖書箇所を選んでいます。8月第2週の聖書箇所として〓テサロニケ1:1-10が与えられましたが、先週、準備のためにこの聖書箇所を読んだ時には、何故テサロニケ書が与えられたのかがわかりませんでした。わからないままに、月曜日から神学校の夏期講座に参加しました。夏期講座を終えて帰宅した今、その意味がわかりました。今日は皆さんとこの手紙のすばらしさを分かちあいたいと思います。
・テサロニケはマケドニア州の州都、陸海の交通の要所として栄えた都市でした。パウロとその同行者シラス、テモテはヨーロッパ伝道の最初にマケドニアのピリピに渡りましたが、そこで激しい反対運動を受け、テサロニケに逃れて行きます。テサロニケにはユダヤ教の会堂がありました。一行はその会堂を拠点として、福音の宣教活動を行います。使徒言行録17章にパウロの説教の一部が残されています。「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた。・・・このメシアは私が伝えているイエスである』と説明し、論証した」(使徒言行録17:2-3)。「イエス・キリストこそ聖書に約束された救い主である」とパウロは説きましたが、ユダヤ人たちはパウロの言葉を信じませんでした。
・「神をあがめる多くのギリシアや・・・婦人たちは二人に従った」と使徒言行録は記します。テサロニケで信仰に入った人々の多くは、ギリシア人や女性たちだったのです。それはギリシア人や女性たちは、ユダヤ教会の中で一人前の扱いをされていなかったからです。テサロニケは、偶像崇拝の町でした。偶像ではない本当の神を求める人々は、聖書を読みユダヤ教会に集いましたが、民族主義的なシナゴークの中においては、改宗異邦人は、二級信徒の扱いしか受けませんでした。婦人たちも、男性中心のユダヤ教会の中では働きの場が与えられません。その彼らにパウロは呼びかけました「バプテスマを受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく・・・男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:27-28)。ユダヤ人も異邦人も、男も女も、キリストにおいては一つであり、何の差別もないというパウロの言葉が彼らに迫り、彼らはキリストを主と受け入れました。
・こうしてユダヤ教会から分離する形でキリスト教会が生まれていきましたが、それは土地のユダヤ人に大きな反発をもたらしました。これまで自分たちの会堂に集っていた人々が、会堂を出て、パウロの集会に行くようになったからです。そのため、騒動が起こります。ユダヤ人たちは市当局者のところに行って彼らを告発しました。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。・・・彼らは皇帝の勅令に背いて『イエスという別の王がいる』と言っています」(使徒言行録17:6-7)。ローマ帝国に対する反逆者としてパウロたちが告発されたのです。この騒動のため、パウロたちに身の危険が迫り、パウロたちは町を出ます。
・パウロはその後、コリントに行き、そこで伝道を始めますが、テサロニケに残してきた信徒たちのことが気がかりで仕方ありません。生まれたばかりの教会が、牧会者のいない状況の中に放置されることになったからです。信徒たちはバプテスマを受けて間もない信仰者たちであり、周囲の人々の無理解と迫害の中にあります。自分たちだけで礼拝を守っていくことが出来るのか、福音の種が消えてしまうのではないか、心配したパウロは弟子テモテをテサロニケに派遣しました。そのテモテがコリントへ戻り、教会の様子を知らせてくれました。その間の事情が手紙の3章にあります「テモテがそちらから私たちの元に今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。・・・あなたがたがいつも好意を持って私たちを覚えていてくれること、更に、私たちがあなた方にぜひ会いたいと望んでいるように、あなた方も私たちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました」。(〓テサロニケ3:6-7)。テサロニケの人々はパウロたちがいなくなった後も、信仰に固く立っている、そのことを聞いた喜びと感謝が、パウロに手紙を書かせました。

2.牧会者無しで、信仰・希望・愛に立つ教会

・手紙には、テサロニケ教会が困難な状況下にありながら、信仰を守っていることを聞いたパウロの喜びがあふれています。それが1章3-4節の言葉です「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、私たちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、私たちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、私たちは知っています」。あなたがたは神に愛されている、困難な状況の中で信仰を失わないでいてくれたことを考えると、そうとしかいえないとパウロは言います。この短い言葉の中に大事な三つの事柄が含まれています。信仰の働き・愛の労苦・希望の忍耐です。
・最初に「信仰の働き」です。ここでは「信仰」という言葉に、「働き」という言葉が結び合わされています。働きとは業、行いです。パウロは繰り返し「人が救われるのは信仰によるのであって業ではない」と言います。人は良い行いをするから救われるのではなく、救いは神の側からの一方的な恵みなのです。それでは何故ここで業と言うのでしょうか。それは信仰によって救われた者は、その恵みに答える応答の生活をしていくからです。パウロは何のために、投獄や鞭打ちの苦難を冒してまで、福音宣教のために働くのでしょうか。救われたからです。救われた者として自分たちには福音が委ねられている、だから伝えるために働くのだとパウロは言います。
・次に「愛の労苦」です。人を愛するとは、相手の労苦を負っていくことです。イエスが私たちの労苦を負って下さったから私たちは世の束縛から解放された、だから今度は、私たちが隣人の労苦を負っていくのです。良きサマリヤ人の例えを思い出して下さい。彼は強盗に襲われて道に倒れている人を介抱し、宿屋に連れて行き、宿代を払っています。愛とは行為、労苦なのです。目の前の一人の人の労苦を負い、隣人になっていく。パウロは言います「私たちは自分の命さえ喜んであなたがたに与えたいと願っています」(2:8)。
・最後に「希望の忍耐」です。この希望とはイエス・キリストに対する希望です。目に見える現実には希望はないかもしれません。テサロニケの人々は、キリストを信じたばかりに世の人々から迫害されています。しかし人々はキリストの再臨に望みを置いています。今、不当な迫害の中にあろうとも、審きの日には労苦は報われるとの希望です。この信仰、愛、希望にテサロニケの人々がしっかり立っている、これは神の恵み以外にはありえない、だから感謝しますとパウロは述べています。

3.いつも喜び、絶えず祈り、全てに感謝しなさい

・今日の招詞として、第一テサロニケ5:16-18を選びました。次のような言葉です「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。
・先週の月曜日から水曜日まで、神学校の夏季講座に行ってきました。今年は西南学院・寺園先生をお迎えしてのキリスト教倫理の学びでしたが、同時に三名の卒業生牧師を招き、現場報告を聞く機会がありました。その内の一人は、山形・酒田伝道所の藤井秀一先生でした。藤井先生は東京・常盤台教会の牧師でしたが、2006年9月に酒田に赴任されました。酒田は、東北地方連合の開拓伝道が行われ、2004年から民家牧師夫妻が伝道しておられましたが、先生が重い病に罹られ、やがて亡くなられました。常盤台教会は酒田開拓を支援していましたので、藤井先生は前に何度か酒田へ行っておられ、今回は民家先生の遺志を受け継ぐ形で、酒田に赴任されました。
・赴任した時、酒田には教会員は一人もいません。藤井先生は牧師館として借りた借家で毎週礼拝を献げましたが、参加者はなく、家族だけの礼拝でした。彼はチラシ配りや訪問、学校のPTAやサークルでの友人作りなどの活動を続けましたが、それでも誰も来ません。来なければこちらから行こうとして、ホテルの会議室を借りて聖書の学び会を立ち上げ、そこに集った方々がやがて何人か礼拝に参加してくれるようになります。しかし、東北の冬は厳しく、吹雪の時はその人たちも来ません。藤井先生は厳しい状況下で、うつ病に近いところまで追い込まれました。先生は「1ヶ月間うめいていた時がありました」と報告されています。前身の常盤台教会は大教会で、日曜礼拝は300名、水曜祈祷会でも50人近い人が集まります。そこで働いておられた藤井先生が主の召しだと心に燃えて酒田に赴任したら、礼拝に誰も来ない。その落差、失望は大きかっただろうと思います。彼は証しされました「開拓伝道は自分との戦いです。前任者から引き継いだ伝道を継続していく。その中で主が出来事を起こして下さるのを待ちます」。
・ここにテサロニケと同じ状況があります。テサロニケ教会は、牧会者がだれもいない中、周りの人々からの迫害の中で、礼拝を守り続けました。どのように礼拝を守ればよいのか誰もわからない状況でした。彼らの手元には聖書も賛美歌集も祈祷書もなかったでしょう。その状況の中で彼らは、パウロから聞いた教えを語り、相互の交わりをなし、主の晩餐式を行い、祈りました。藤井先生が言われたように、礼拝をしながら「うめく」こともあったでしょう。しかし、主は出来事を起こしてくださいました。やがて、彼らの信仰が、「主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられている」(1:8)とパウロから賞賛されるほどのものに成長して行きます。信仰者はどのような状況の中でも祈ることが出来、喜ぶことが出来、感謝することが出来るのです。その祈り、喜び、感謝が教会を成長させていきました。藤井先生の話を聞きながら、酒田伝道所の状況がテサロニケ教会の状況と重なってきました。酒田においても、主が出来事を起こして下さると確信しました。この手紙を今日、皆さんと共に分かち合えることを感謝しています。同時に、この手紙は、私たちの教会にも、革新を迫ります。「信仰の働き・愛の労苦・希望の忍耐をもって教会を形成し、江戸川の人々にあなた方の信仰の実を示せ。そこにこそ、あなた方の使命があるのではないか」と。


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